転章 次世代と魔剣カタナ
本編に入れるところが無くてお蔵入りしていたエピソードです
最終話で少し触れたヤーコフの息子とカタナの話
いつの世も、偉大な人物を親に持った者は苦労する。
そんな事を思いながら、協会騎士団の聖騎士として名をはせたヤーコフの子『リーフ』は、自身の悲運な運命と苦労を噛みしめていた。
時は激動の時代、統治能力を失ったバティスト王国を平和的に併合したガンドリス帝国は『統一帝国』を名乗り、ミルド共和国と東方列島をはじめとした大陸周辺国との融和政策を進めていた。
多くの者が大陸の民として一つの意思に集う事を受け入れる一方、それぞれの軍や騎士団も一つとなるべく再編される事で、かつてのわだかまりが原因での諍いや小競り合いが各所で見られ、上層部の人間に悩みは尽きない。
「だから私は今忙しいんですよ、出て行ってください」
リーフは自分の執務室に突然現れ、何故か自分の為に淹れられたはずのコーヒーをすすっている男に、呆れ交じりにそう言った。
「そうやって俺の事を邪険に扱う所は母親譲りだなリーフ。もうちょっと敬意とかそういう事を父親から学ばなかったのか?」
「……はあ、知りませんよ、父から貴方の話なんて一度も聞いた事がありませんでしたし。まあ、その代り師匠たちからはよく聞かされましたが」
リーフの言葉など大して気にも留めぬように、我が物顔でくつろいでいる男――その者は通称『魔剣カタナ』、前科百犯を超える犯罪者でその悪名を歴史に残す程である。
神出鬼没でどこにでも現れ、その戦力は軍隊の一個師団を相手にしても勝利するなどの逸話もある人物。
リーフにとって目下の悩みの種の一つであった。
「へえ、お前の師匠か……ケンリュウやメイティアだったか?」
「そうです、おかげで貴方には昔から殺意が湧き通しでした。私があんな奴らの師事を受ける原因を作ったのは、貴方だったんですからね」
「……あんな奴らってお前」
「貴方に解りますか! まるで人外を養成するような訓練を、幼少の頃から積まされた私の気持ちが!! もうね、やれ滝を斬れだの、寝ている間も気配を感じ取れだの、無茶ばっかり言って! そしてそれをちゃんと出来ちゃう良い子な自分! おかげで逃げ場がないし!」
「……いいじゃねえか、それがあったからフルールトーク騎士学院を飛び級で首席卒業。史上最年少で協会騎士団の騎士団長として就任できたんだから」
「本当ですね!! その結果が寝る暇もないクソ忙しい毎日だって知ってたら、絶対に騎士なんて目指してませんでしたけどね!! あー、思えば私の青春は騎士学院でのたった二年で終わってたんだ……戻りたい、あのぬるま湯に」
リーフは輝かしい思い出に浸るように遠くを見つめる。
大平原の中心に横たわる星玉座を改修して作られた校舎の中、師匠達からの厳しい訓練から解放されて、恋をする余裕すらあったあの日々。
だが、それを思い出してカタナへの殺意が改めて湧き出す。
「そういえば、私の初恋も貴方のせいで裏切られたんだった……」
「はあ? 何の話だ?」
「あれは入学式の日……私は一目で恋に落ちた。気品に溢れ美しく、壇上で我々に祝いの言葉を述べてくれた大人の女性に……」
「……あ、それって」
「そう、学院理事長のフランソワ・フルールトークだ!! 返せ、私の純情と青春を!! 私など相手にされないと解っていても、せめて想い続けようと。騎士として大成した時に想いを伝えよう、そう心に決めたあの春を!!」
「俺に言うな」
「く、悔しい!! なんで貴方みたいな犯罪者がモテて、私のような品行方正な騎士団長がモテないのか!! こんなの絶対に間違っている!!」
モテる為に騎士になった訳ではないが、騎士団長になれば自分もモテる、そう思っていた時期もリーフにはありました。
結局そんなのは忙しさに忙殺される日々の中で、幻想だという事を実感するしかなかったが、カタナという男を見ているとそんな自分がたまに馬鹿らしくなる。
リーフがそういう風に不満を募らせていると、執務室のドアが軽快なノックで叩かれ、そして開かれる。
入ってきたのは騎士団長付きの秘書官である女性、手には魔法瓶を持っている。
「ども~、カタナさんコーヒーのお替りはいかがですか?」
「ああ、貰おう。ありがとうラスティア」
「いえいえ~、こんな場所でよければゆっくりしていって下さいね」
そんなやり取りを目の前で見せられ、リーフは頭痛がしてくるような思いだった。
自分の補佐をするはずの秘書官が、自分の為に淹れるはずのコーヒーで、自分の最大の敵を歓待している。
いっそ発狂したくなるくらいの光景だった。
「ラスティア、何をしてるのかな?」
「何って……ポイント稼ぎかな?」
「何のポイントだよ!? そんな人相手に稼ぐ必要のあるポイントなんて何も無いわ!!」
「ええ~? だってカタナさんカッコイイし、私の淹れるコーヒー美味しいって言ってくれるし、こんな素敵な人いないよ?」
「おいキミ、チョロすぎるだろ!! 放っておいたら悪い奴に騙されてるってレベルじゃないぞ!!」
秘書官のラスティアに対して、少し素に戻りながら厳しく言い含めるリーフ。
それを傍で見ていたカタナは、その雰囲気を楽しむように笑みを浮かべながらコーヒーを啜っている。
その態度がまた腹立たしい。
「もう本当に、帰ってくださいよカタナさん。というか、そろそろ実力行使に出ても構いませんか? 私としては連日被っている迷惑を考えれば、そろそろキレてもいいと思っているんですが」
「短気だな、これくらいの事で騎士団長が心乱していていいのか?」
「……母から教わった事の意味が今ようやく解りましたよ。迷惑な客の話を聞く必要はない、問答無用で追い出せって」
言いながら、剣を構えるリーフ。
カタナもその気配が冗談の類ではないと悟ったのか、立ち上がって相対する。
「ラスティアは部屋から出た方がいい、本気のようだ」
「……あ、はい(うわカタナさんめっちゃ素敵)」
カタナに退避を促されたラスティアは、その流し目にやられて目にハートマークを浮かべていた。
(だから、どんだけチョロいんだよアイツ!!)
目の前の茶番に苛立ちながら、リーフは霊光を上らせる。
執務室に張り巡らせた魔法陣が、彼の意によってその力を発現させた。
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カタナはリーフのその尋常ならざる雰囲気を察して、巨無をその手に呼び寄せる。
「魔剣カタナと、その力の象徴である魔術剣・巨無。貴方が築いた数々の不敗神話も今日までとさせていただきましょうか」
「不敗神話ね、結構負けてる事も多いんだがな……それにしても、この部屋の雰囲気、これはどういう事だ?」
部屋全体に広がった魔法陣の法式、それは即興で組まれたとは思えないほど複雑で、まるでここで戦う事を予定したようであった。
「貴方が此処にまた来る可能性はありましたから、その時の為に手は用意しておこうと思っていたまでです」
「……なるほど、嫌われたもんだな」
「そりゃそうでしょう、私は騎士、貴方は犯罪者……馴れ合いが許される関係ではありません」
リーフにとってのカタナは、いつか倒さねばならない相手。
それは父から譲り受けた使命であり、リーフ自身も強く望んでいる。
「本当はもっと万全を期しておきたかったところですが、貴方のような方にこれ以上舐められるのは騎士の名折れ……全力で行かせてもらいます!!」
「……見せてみろ」
リーフの体から上る霊光の輝きが更に増す。
それは大陸でもほんの一握りの限られた者だけに与えられた力――『精霊子』。
発現するのは最速最高の『精霊魔法』。
「――精霊駆身魔法・一意戦神!!」
刹那、リーフの世界だけが加速する。
速く、誰よりも速く、物理的ではなく霊的に自身の体を駆動させる。
その速度は音すら超える。
大気との摩擦で体が焼かれぬように、音速の壁で体が壊れぬように、リリイ・エーデルワイス製作の空気の抵抗が極限まで減衰される魔法衣により、リーフは全力で剣を抜いた。
そして放たれるのは飛ぶ斬撃。
音を超える動きで、音を超えて飛ぶ刃が、間合いの外からカタナを襲う。
師であるケンリュウ・フジワラより受け継いだ技は、十月十日という魔術武装無くしてもリーフの身に完全に染みついていた。
「なに!? これは……」
カタナがそれに気づいた時は遅い。
体中の至るところが細断され、痛みが走った時には地に崩れていた。
「――裏奥伝改式・天網」
それは藤原の暗殺剣をリーフなりに昇華した奥義。
リリイ・エーデルワイスが調節した魔法振動剣による飛ぶ斬撃は、網目のように広がり線ではなく面での攻撃が可能になる。
一撃で相手の全身を斬り刻む、逃れる事の出来ないまさに必殺の技。
「……カタナさん、貴方を超え倒すのは私に関わった多くの人々の悲願でした。かつて貴方に敗れた我が師をはじめとする者達、魔術武装を超える魔法武装を求めた鍛冶師、そして機会に恵まれなかった我が父」
リーフは勝利を確信していた。
部屋いっぱいに広がった魔法陣は、無血の力を発現させない為のもの。
対カタナとしてまずは絶対的な不死身の力を封じるのが、勝利するうえで最初に考えなければいけない条件。
それについてはリリイ・エーデルワイスが、ランスロー・ブルータスの持つオリジナルを解析して対抗する法式を編み出した。
「不本意ではありますが今の私があるのは貴方のおかげという事も考えられます、だからこれからは私が貴方の代わりに戦いましょう、協会の掲げる正義としてこの世界と……では魔剣カタナ、どうかやすらかに」
協会に伝わる祈りの所作で、リーフは自分が斬ったカタナを見送った。
その時を以って様々な逸話を持つ大罪人は歴史から消える……はずだった。
「いや、まだまだお前じゃ役者不足だな」
「――え!?」
背後から聞こえた不敵な声に驚くリーフ。
実はこの時が、彼が後々まで魔剣カタナに対して築く連敗記録の最初の一敗だった。
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体の中心を踏まれて床に転がされたリーフは、負けた悔しさよりも勝ち誇ってしまった事に対する恥ずかしさに、顔を真っ赤にしていた。
「今どんな気分なんだ? なあ、完全勝利だと勘違いして色々言ってたリーフくん?」
「……死にたい」
性根の悪いカタナに煽られて、リーフは更に凹む。
彼の人生はカタナのおかげで災厄続きだったが、確実に今この時がその最高潮だといってもいいくらい最悪だった。
「くすくす、我が師、我が父(キリッとか……ぷーくすくす」
「……やめろ、いっそ殺せ」
カタナだけでなく、秘書官のラスティアにまで笑われる事態に、リーフはこの先末代までの弱みを握られたような気がした。
リーフがカタナに負けた敗因は一つ、単純に情報が足りていなかった事にある。
勝利する為の前提条件として無血の不死身の力を封じるという考えは間違っていなかったが、カタナにはもう一つ不死に近づく力が備わっている。
それはリュヌによって受け継がれた『黒死病』の力。
今までにカタナがそれを戦いに用いたのは、かの剣聖との戦いのみ。
実は追い込まれたのがその戦い以来という話であり、逆に考えればそれを引き出したリーフは結構健闘はしていた。
「くそこんな辱め、殺せ! 殺さないなら次に会った時、絶対に貴方を殺す! 私は絶対に今日の事は忘れないからな!!」
「ふ、その意気だリーフ」
カタナがリーフの下に訪れていた理由、それはいざという時に自分を止められる力があるかどうか見極める為であった。
リーフの父であるヤーコフとの誓い、それがまだ生きているかどうかの。
「今度会う時は大きな戦場かもしれんな、俺を殺す気なら精々しくじるなよ」
納得のいく収穫はあった、だからカタナは去る。
もう自分から会いに来ることは無く、後に関わりを持つかどうかはリーフに委ねていた。
「……上等だ魔剣カタナ、今度は協会騎士団全員で貴方を討ってやる。その時までこの私が全身全霊を込めて皆を育て上げてやるからな!」
――その私怨に近いリーフの意気込みは、転じて協会騎士団の力を大いに引き上げる事になる。
――かの鉄血騎士と呼ばれたルベルト・ベッケンバウワーのものさえ凌ぐ訓練を終えた者達は、揃って魔剣カタナの事が殺したいほど憎くなったのは言うまでもない。
――しかし、それが身を結ぶのは当分先の事であった。