最終話 魔剣カタナとそのセカイ
ガンドリス帝国の皇宮。
そこには帝国栄華五家と呼ばれる家々の当主達と、時の皇帝ラインラルゴ・ガンドリスが一堂に集っていた。
用意された卓には、その者達と皇帝を含め六つの席が置かれている。
「ようやく我ら帝国が、大陸の覇権を握る時がきたのですな」
口火を切ったのはゼルグルス家の当代、武門の名家らしく屈強な外見と鋭い気配を纏わせた人物。
「ええ、ええ、苦労が実るというのは喜ばしき事。東方列島を駆けまわって備えてきたのが報われます」
頷くのは経済を司るミアアリス家の当代、小太りの外見から商人らしい人懐っこい雰囲気が伺える。
「過去に三国間で結んだ条約に違反しますが、それを先に破ったのは王国。法的にも何の問題もありませんね」
淡々と告げるのは法を司るディルキリス家の当代、帝国の審判と呼ばれる堅物だが、この時に至っては表情も判断も少々緩ませていた。
「いやはや、これまで皆様の働きを見てきただけに、わたくし共も我が事のように嬉しい限り。デアトリスの暴走を止められなかった事は悔まれますが、それもようやく乗り越える事が出来そうです」
控えめに端から物を言うのはバルドロス家の当代、その職務は各家の補佐とお目付け役である。
そして話題に上ったデアトリス家は空席。
没落したとはいえ、新たに他の家を栄華五家に加えられる事は考えられておらず、事実上の欠番という形になっている。
そして皇帝が口を開く。
威厳ある風貌はゼルグルス家の当代に引けは取らないほどの迫力、眼光は飢えた獣のそれ。
「余もこの時をずっと待っておった。王国は女王の乱心により軍勢を失い、共和国もまた戦力の再編を余儀なくされておる。今の打って出るには絶好のこの好機、逃すわけにはいかぬな」
帝国の獅子と呼ばれ、強硬な政策を好む皇帝。
目指すは軍事力による大陸の統一。
「栄華五家よ、余と共に大陸の頂点に君臨する覚悟はできておるな」
「は、もちろんでございます」
皇帝の言葉に栄華五家の当代達が揃って頭を下げ、傅く意を表明する。
皇帝の口元は上がり、それは宣言された。
「ならば総てを我が物に、ガンドリス帝国が世界を統治する!」
好機を待ち続け、眠りから覚めた獅子の牙は鋭い。
積年の夢であった統一帝国の誕生も、そう先の未来ではないとここにいる誰もが信じていた。
そう、その一瞬後までは。
「いつの時代も、支配者というのは同じ事しか考えられないのかしら?」
「――!?」
空席であったデアトリス家の席には、誰も気づかぬ内に一人の女が座っていた。
赤い髪が映える妖艶な美女、頬杖をついて皇帝や栄華五家の当主達が驚いた様子を眺めている。
「何者だ貴様! どこから入った!」
「その気になればどこからでも入れるわ、それよりそんな月並みな台詞を吐く前に、やるべき事があるのではなくて?」
「……取り押さえる」
妖艶な美女の挑発に、その場でただ一人武門を開くゼルグルス家の当代が動き出す。
席を立ち、卓に足を乗せ迅速に飛びかかる。
皇帝の前での無礼であるが、緊急の事と判断して最速の手段を選んでいた。
「どうやら一人だけのようね」
「――!?」
美女が呟くと共に、その瞳に赤い光が宿る。
飛びかかったゼルグルス家の当代は、その妖しき目が合うと同時、全身の力が抜けるようにして卓の上に倒れこんだ。
騒然とする一同。
間をおいて、ミアアリス家の当代が我に返って叫ぶ。
「衛兵!! 衛兵よ!! 賊の侵入だ! 誰でもよいから早くこんか!!」
皇宮には精鋭の兵士が守りを固めている、騒ぎを聞き付ければすぐに駆けつけるように訓練されているはずだった。
しかしミアアリス家の当代による呼び声が、虚しく響くように静寂となる。
「な、なぜ誰も来ない」
そこでようやく扉が開かれる。
当主達に安堵の息が漏れるが、入ってきた者達の姿をみとめると、まるで幽霊でも見たかのように全員の息が止まった。
「帝国兵の質も思っていたほど高くは無かったな、私が基本に見ていた特務がそれだけ異常だったという事か」
「そうですね、精鋭の宮仕えがこれでは戦争を仕掛けても泥沼となった事でしょう」
衛兵の代わりに入ってきたのは二人の女。
「お前たちは……ゼルグルスの忌み子に、デアトリスの人形……生きておったのか」
バルドロスの当代が、その二人の姿に怯え震えだす。
「私達を知っている方も意外に多いようですね皇帝と栄華五家の歴々よ、そしてお久しぶりです叔父上、返事は望めぬようですが……」
侵入者の片割れ、帝国特務の制服を着た女は倒れているゼルグルス家の当代を見て、少し晴れやかな表情を見せた。
一方、もう一人の軽鎧姿の女は少し不服そうにしている。
「ゼルグルスもデアトリスも私達には関係ありません。私はカトリ、こちらは風神、つまらない事をいわないで下さいね」
「ひ……」
その圧力にバルドロスの当代がのけぞり、椅子を倒してしまった。
「賊よ、誰の差し金でここにおる? 目的は余の命か?」
皇帝は流石と言うべきか肝が据わっており、侵入者の様子を窺いながらどっしり構えていた。
他の当主達も、それで自分だけ無様を晒して逃げるわけにもいかなくなり、その場で事の成り行きを見守る。
「あら、差し金と言うのなら……貴方の後ろにいるのがその張本人よ」
デアトリスの空席に座る美女の返答と同時、それまで王者の風格を纏っていた皇帝から一滴の汗が流れる。
明らかに空気が変わった。
いや、気付かされたのだ。
纏わりつくような殺気に、皇帝も当主達も身じろぎすらできなくなる。
「く、なに……もの……だ」
振り返るのが恐ろしいか、呼吸すらも忘れたか、皇帝からは滝のような汗が流れ出していた。
「……初めましてだな、皇帝ラインラルゴ・ガンドリス」
皇帝の背後に立つ者は声にまで殺気を乗せ、まるで崖の淵に立たされたような絶対絶命の感覚を周囲に与え続けている。
「俺は『魔剣カタナ』」
その者は名乗った、これより後の世まで大罪人として語り継げられるその名を。
「俺は力を持つ者への反逆者」
その者は宣言した、力を振りかざし戦火を広げようとする者達への宣戦を。
「もしもお前達が力をもってこの世界を統治する道を選ぶのなら、俺はそれ以上の力で全て叩き潰す」
静かだが、凄みのある声と言葉、そして上る魔光。
「よ、余を脅すというのか、賊風情が……」
威厳のあった皇帝の声が震えている。
生まれも、生き方も、己を誇る事しか知らなかった男が、初めて他の誰かに呑まれている。
生物としての規格が違う、その確定的な現実を突き付けられている。
「これはただの警告だ皇帝。命は等価、お前達は常に奪う側にいると思っていたのかもしれないが、これからは違う。他を脅かす時には、自分が真っ先に討たれるという事を肝に銘じておくんだな」
帝国栄華五家の当主達も圧倒され、その支配力に抗えない。
目の前にいるのは闇。人が何よりも恐れ、避けるべき闇。他に比喩すべき表現が見つからないほどの恐怖がそこにあった。
しかし一瞬先には死が待っているかのような気配は、そのすぐ後にあっさりと消え失せる。
四人の侵入者、後に『魔剣カタナと三人の魔女』と呼ばれる者達の姿と共に。
「な、何だったのだ」
誰ともなしに胸を撫で下ろす声と、狸に化かされたような疑問。
だが誰よりも一番近くでその闇に触れた皇帝は、その邂逅だけで全てを悟っていた。
「……生かされたのだ、余らは」
屈辱に歪む顔、皇帝は逃げ場の無い恐怖に足を掴まれ、これからもそれはずっと続くという事を予感した。
かくして帝国の獅子の牙は魔剣の刃によって折られ、大陸の未来に多大な影響を与える。
その変化が善いものか悪いものか、それは後の歴史家が判断する事だろう。
後の歴史に散見する『魔剣カタナ』の名と共に。
++++++++++++++++
摩天楼が並ぶ街、高層の建物の谷間に一軒の小屋があった。
もう少し道を進んだ、スラムという貧民街にあるべき場違いなその建物は、一人の女性が事務所として使い多くの書類と日夜格闘を続けている。
「はあ、今月も激務だわー。調子にのって会社をでかくすると碌な事にならないって、こういう事なんだね」
女性が目を通しているのは世界各国のありとあらゆる新聞情報誌。
内容は政治、経済からゴシップまで様々。
それは女性の職業がそれだけ多くの事柄をカバーしなければならないからである。
「人を使うのも苦労ばかりだし、これならまだシャチョーに秘書官として使われてた方が楽だったかな……」
自分で淹れた不味いコーヒーをすすりながら、その女性――サイノメはため息を深々と吐いた。
それと同じくして事務所のドアがノックされる。
(ん? 誰かな……まあ、今は面倒が立て込んでるから放っておこうかな)
少し乱暴なドアの叩き方は、この事務所に普段出入りする誰のものでもないと判断し、サイノメは居留守を決め込んだ。
(……それにしても叩き過ぎだよ。中に誰もいませんよ……いないってば……いねえっての!!)
しつこいノックにだんだんと苛立ってきたが、そうなれば意地でも出ないと無視を続ける。
しかし予想外の事が起きた。
金具の外れる音、そしてドアが開くのではなく倒れるというまず見られない光景と、その先に足を上げた男の姿。
「よう、しばらく」
「…………………………はああ!?」
あろう事かドアを蹴破って事務所に侵入してきた男は、サイノメに対して片手を挙げて気軽に挨拶してきた。
「な、シャ、こ、え? う……はあ!?」
「落ちつけ、言葉になってないぞ」
「お、落ち着いていられるか! 何でいきなりドアを蹴破ってんの!?」
「ノックはした」
「ノックをした後ならドアを蹴破ってもいいって言い分は、どこの世界でも認められねえよ!!」
ちょっと居留守でやり過ごすつもりが変に大事になったと、サイノメはこめかみを押さえる。
「……それにさ、あたしとしてはもう少し感動の再会があってもよかったと思うよ。正直また会えると思ってなったし」
「ハッ」
「は、鼻で笑いやがった、ほんと信じらんないわこの人」
「そう言うな、ちゃんと約束通り迎えに来た。それでいいだろ? 相棒」
男の口から発せられた『相棒』という言葉。
サイノメが別れの際に告げた望み。
「……ずるい」
「いいや、それを言うならお前の方がずるいだろ」
「あはは、まあそうかもね。でも本当に、こうしてシャチョーとまた会えるなんて夢にも思って無かった」
別れた場所とは、世界も時間も大きく違う。
それでも来てくれた、自分の目の前に。それが何よりもサイノメにとっては嬉しい事。
「……でも、良かったの? ここに来て。簡単には戻れないんじゃないの?」
「いいんだ、向こうで俺がやれる事はもう対して残っていない。俺が知っている奴も、俺を知っている奴も、もう誰も生きてはいないしな」
「そう……」
どれだけの歳月を重ねてきたのか、それを男の横顔からは計れなかったが、とてつもなく長い時であろうことはなんとなく予想ができた。
「大変だった?」
「どうかな? 俺なんかより、もっと大変な思いをした奴もいたしな。ヤーコフとか、その息子とか」
「あらら、シャチョーと関わると碌な目に遭わないからね」
「……否定できないが、お前にだけは言われたくないな」
「あはは、そうかもね。じゃあ、その辺の積もる話をこれから聞かせてもらいたいな、あたしもシャチョーに話したい事がいっぱいあるし。どうせ暇なんでしょ?」
仕事も今日は臨時休業、そういう事にすることにした。
「積もる話か……そうだな、俺も聞かせたい話がいくつかあった」
男はそう言って、僅かに微笑んだ。
サイノメはそれを見て微笑み返す。
「良い顔、できるようになったじゃん。うむうむ、そんなシャチョーの為に不肖サイノメが不味いコーヒーを淹れてあげようか」
別々の時を過ごしてきた二人の時間は、また確かに同じ時を刻み始めていた。
――いつの時代も、どんな世界でも、男は自分の信じる正義を貫いた。
――疎まれ、蔑まれる事もありながら、寄る辺なき者の為の力となった伝説。
――魔剣カタナとそのセカイ。
――これは運命から外れた、一人の男の物語。




