第十二話 聖騎士殿と市長さん
「この私が二十三分四十六秒も待たされるとはな、相も変わらず聖騎士殿は大した大物だ」
開口一番にそんな皮肉を言ってのけるのは、シワ一つない紳士服に身を包んだ白髪の壮者。固く引き結ばれた口元と、シワの消えない眉間がその気難しさを物語っている男。
彼こそゼニス市を九年にも渡り治めている、『市長』ことベルリークだ。
「待つのが嫌なら、今度から事前連絡くらいはよこせ」
そんな相手に、喧嘩腰にも見える態度で返すカタナ。
「聖騎士殿は暇そうにしていることで有名だからな、そんなものは必要ないと思っていたぞ」
「ただの憶測で行動して時間を無駄にしてるようじゃ、老い先短い人生がもったいないぞ市長さん」
「……私は市長である事に誇りを持っているが、役職に敬称を付けて呼ばれるのは好かない」
「奇遇だな、俺も聖騎士殿っていう呼ばれ方は大嫌いだ」
カタナの傍らに付き添うヤーコフは、その二人によって空気が冷えていく駐屯所の応接室を、一刻も早く抜け出したい思いだった。
胃が痛くなってくるのを我慢しながら、それでもヤーコフは永久に続きそうなピリピリした空気を仲裁する。
「お、お忙しい中、市長をお待たせして申し訳ないっす。なにぶんうちの隊長も市内の巡回中だったもんすから。すぐに掴まえられなかったのは僕のせいっす、本当に申し訳ないっす」
実際にはカタナは喫茶店でサボっていたわけだが、それがバレては市長の皮肉に拍車がかかるのでヤーコフは嘘をついた。
「ふん、確か君はさっき聖騎士殿を十五分で連れてくると言っていたな、だが実際は八分四十六秒の超過だ。時間と自分から持ち出した約束事を厳守するのは、人として当然の事だというのは解っているのか?」
矛先が自分に向いたことで、ヤーコフは市長の強面に漏らしそうになるが。なんとか耐えて謝罪を続ける。
「はい、本当に申し訳ないっす。この度の事は全てこのヤーコフに責任があるっす。お望みならどんな謝罪でもさせて頂きますっす」
この手の相手に有効なのは何よりも謝罪、反論などもってのほかだという事を、これまでの苦労人と呼んでいい人生で培ったヤーコフは、それを遺憾なく発揮する。
誠心誠意をもって頭を下げる相手に、常識を持つ者なら追撃することはない。
「……解っているのならいい。気を付けたまえ」
市長もそのあたり、しっかりと常識人なので安心だ。
ヤーコフは少し緩んだ場をそのままに、早くこの対面を終わらせるために話を促す。
「ところで市長、隊長に話があるってことだったっすけど……」
「そうだな、こんなつまらない事を言いに来たわけではなかった。私がわざわざここに出向いたのは、聖騎士殿に御願いしたいことがあるからだ」
「……パス」
「何だと?」
「御願いする気があるなら、それ相応の態度を示せ」
(あああああああ、胃が、本当にこの二人は本当にもう)
どうしてここまで噛み合わないのか、ヤーコフは理解した。
似た者同士なのだカタナと市長は、どっちも退かないし譲らない、そういう生き方ができる人間なのだ。
普通はそうはいかない、退いて譲って人は助け合って生きていく。だが一握り、それをしないで生きていけるものもいる。本来集団で生きる中で淘汰される性質だが、自分の実力のみで這い上がれる者はその限りではない。
強い弱いで語れるものかは解らないが、ヤーコフはそれを凄いと思う。だが同時に、思う事もある。
(周りの迷惑も少しは考えてください。というか僕抜きでやってくれっす)
この場で一番ストレスを感じているのが、自分であることも確信したヤーコフは、本気でこの場を逃げ出すことも考えた。
「……報酬は出す、一千万エルクだ」
市長が示したのは態度ではなく、金銭による報酬額だった。それは頭を下げて頼むよりよほど市長の性格に合ったやり方だ。
「一千万!?」
市長が何気なく提示したその報酬額は、ヤーコフの胃の痛みを吹き飛ばして叫び声を上げさせる程だった。
「うるさいぞヤーコフ」
「すいません。でも隊長、一千万っすよ、一千万エルク!」
自分の今の給料で換算して、数年分のその額に、無駄に高揚するヤーコフ。
対してカタナは冷めた表情で市長を見ていた。
「……何があった? アンタが俺に御願いってのも珍しいが、それ以上にそれだけの報酬を提示するって事は、尋常じゃない事態みたいだな」
「察しがよくて助かるよ。聖騎士も案外伊達ではないのかな?」
「……貧乏極まってるこんな田舎の市長が、それだけの額を提示したら誰だって解るだろ」
「……」
無駄にはしゃいでしまったヤーコフは、カタナと市長の両方から冷たい一瞥をもらい縮こまる。
羞恥に塗れて静かになったヤーコフを尻目に、カタナと市長は話を続ける。市長が持ちかけたお願いというものの危険な臭いに、話を聞く気がまるでなかったカタナがようやく興味を示したのだ。
「聖騎士殿の言うように尋常ではない問題が発生した。この街の存続が危ぶまれるほどの事だ。場合によっては滅びるかもしれない」
もとより真剣な顔の市長だが、そこに神妙さも混じるように声を落として言った。
「……街が滅びる、か。ずいぶんと切羽詰ってるな、賊や魔獣程度の話ではないんだな?」
戦争の無い今の大陸は、国同士が争っていたかつての時代よりは十分に平和であると言える。しかし、だからといって危険が無いわけではない。
人間には清い心の者もいれば、道を踏み外したような行いに、進んで手を染める汚れた心の者もいる。治安が悪ければ犯罪も起こるし、犯罪者が徒党を組めばその被害も広がる。
その最たるものが賊――盗賊、山賊、海賊などいろいろな呼び方があるが、広義の意味ではすべて同じ賊である。
彼らが居るからこそ、傭兵や自警団、そして騎士団が必要とされるのだ。
そしてもう一つ、この共和国には他国にはない危険も存在している。
それが魔獣――かつて大陸が別世界である魔界と繋がった時に紛れ込んだ、異界の獣。
人間に害のないものも僅かにいるが、そうでないものがそのほとんどを占め。中でも大きい個体で体長が二十メートルを超える『魔竜種』は、一匹相手に軍隊総出でかからなければならないほどの脅威であった。
今では各国が総力を挙げて大々的に討伐されたこともあり、大陸にいる魔竜種は絶滅したとされているが。小型の『亜竜種』や、大陸の動物が魔獣と交わって個別に進化を遂げた『新種』も存在し。更に共和国の開拓の済んでいない北西部は、魔獣達の巣窟と化しており、そこの将来的な危険性も懸念されている事項ではある。
そういった魔獣の対応も騎士団の使命であるが、今のところは散発的な被害に留まっているため、そこまで重要視されてはいないのも事実。
実際年間の統計で見て、人が魔獣と遭遇する事よりも、人が人を殺めてしまう事件の方が百倍も多いのだから、それが人間の業の深さを表しているのかもしれない。
「賊に魔獣か、その程度なら我々でも対応可能だ。だが今度の件はそれよりも重大な事態だ……」
「……」
カタナもヤーコフも、市長の言う「我々」という言葉には引っ掛かるものはあった。
ゼニス市のほぼ全ての権限を持つ市長にとっては、自分の権限の内にない協会騎士団は異物のように思えているのだろう。敵愾心みたいなものはよく感じるし、快く思われていない事も知っている。
自警団と騎士団の反目も、あるいは市長のそういう態度にも原因が作られているのかもしれない。
だがこの場で何か言ったところでその姿勢が変わるわけでも無い、むしろトラブルの元になりそうであったので二人は何も言わなかった。
「魔人が出た。私からのお願いというものは、それの対処だ」
そしてその市長の言葉に、ヤーコフは言葉を失い、カタナは嘆息を漏らす。
「……ずいぶんと簡単に言うな」
「問題が難しい時ほど、人は落ち着いていなければならない。そう思わないか?」
「そうだが……まあいい、詳しい話を教えろ」
「やる気になってくれたようだな」
「いいからさっさと話せ、落ち着くのもいいが、無駄に時間をかけて良い事じゃない」
カタナが苛立ち交じりに促すと、市長はフンと鼻を鳴らし説明を始めた。相変わらず友好的とは言えない空気だが、カタナの言い分が正しかったので市長に反論は無い。
「……では話そう、まずこの大事を知るきっかけとなった事からだ」
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絶句していたヤーコフは我に返って、カタナが市長の話を聞く様を見ていた。
そこで気付く、どうして市長がカタナに直接話をしたいと言ったのか。
(僕じゃ、ここまで落ち着いていられないっすよ)
副隊長として働かない隊長に代わり、その業務を代行することが多かったせいか、知らぬ内に自分を過信していた事に気付く。
きっかけは先程の市長からもたらされた凶報。それを聞いた時、ヤーコフは頭が真っ白になってしまった。本来ならば市長が言ったように、問題を前にして落ち着いて対処を考えなければならないその時に、あろうことか思考停止していたのだ。
今こうして我に返っているのは、落ち着いて話を聞いているカタナの後ろにいるからだ。そうでなければ何も考えられず、何も出来ずに取り乱していた事だろう。
(流石隊長っすね、僕じゃまだまだ何もかも敵わないっす)
問題が発生した時、上に立つ者は落ち着いていなければならない。指示を出す者が取り乱したり不安を見せたりすれば、下の者にも伝染していってしまう。だが逆に言えば上に立つ者が落ち着いていさえすれば、下の者にも良い方向でそれが伝染していく。
その恩恵を受けたヤーコフは、カタナが自分の上司で本当に良かったと改めて実感した。
目の前の問題は難しそうだが、それでも打てる手はあると思える。頼れる上司の背中が目の前にある限り、そう思えた。
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魔人という存在の事を、大陸に生きるもので知らない者はいないだろう。
約五十年前に起きた人と魔人の戦争の事は、それこそ学校の社会の授業で必ず習う事だ。その人類史で最も多くの血を流したと言われている熾烈な戦いは、忘れてはならない事であるし、伝えなければならない事だ。
だが一方でどうしても伝えられない、いや伝わらない事もある。
それは魔人の恐ろしさ。
実際に戦ったものにしか解らないその力の強大さを、徹底的に魔人が排除された現代となっては、戦後に生まれた者達には知る術のない事。当時一戦を張っていた老人達も、たまの自慢話に持ち出すくらいで、魔人についてはあまり語る者がいない。
あるいは恐ろしいからこそ、過去の恐怖を呼び起こさない為に、語ることができないのかもしれない。
いずれにしても過去の事、過去の存在だと、多くの者が思っている。
しかし、一部の人間は知っている、魔人との戦争は終わっても、魔人の恐怖は終わっていないのだと。
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「初めは近隣の村からの要請だった。内容は、山賊による被害が拡大しているからその討伐を頼みたい、という事だった。それに対して私は一週間程前に、自警団からその半数の派遣を決めた」
半数といえば二十人くらいだったかと、カタナは市長の話を聞きながら記憶に照らし合わせる。
そして一週間程前に自警団が市外に出動したらしいという報告を、ヤーコフから受けたことを思い出す。記憶違いでなければその時の事だろう。
「山賊の人数ははっきりとはしていなかったが、証言から十人には満たないと判断した。単純に人数差はこちらが倍以上、問題は起こらないとその時は思っていた」
市長のその物言いは、暗に問題はその時発生したと言っている。カタナはそう理解した。
「何故、俺達に協力の要請をしなかった?」
「それについては、私から自警団の団長に持ちかけはした。だが団長がかえって邪魔になると言って拒んだ、私は現場の意見を尊重したまでだ」
「……それで、派遣した自警団員は何人帰ってきたんだ?」
「……二人だ」
(ほぼ全滅か。そうなるとこっちとしては、協力の要請が無かった事が良かったかもしれないな)
犠牲になった自警団員には思う事が無いわけではないが。今必要なのは感傷的な思考ではなく、あくまで現実的な思考だけ。
「その流れだと、山賊団の中に魔人が混ざっていた、ということでいいのか?」
「……その通りだ。帰ってきた二名の自警団員から聞いた証言から、そう確信した。なにせ有名な話だ、『災いの黒き髪と目』は」
災いの黒き髪と目とは、魔人の特徴を言い表すのによく使われる言葉である。
単純な見た目で言えば、基本的に魔人と人の相違点はさほど多くない。墨で人物画を描いたとしら、個体差(美形かそうでないか程度の)くらいしか見分ける方法は無い。
それを見分ける方法として言われているのが、魔人は全て黒い髪と瞳を持つという特徴である。これは大陸の人間では見られない特徴であるため、そう言われている。
しかし厳密に言えばかなり少ない割合だが、黒い髪と瞳の人間は大陸でも生まれている。
そうした一部の黒い髪と瞳を持って生まれた人間は、迫害の対象になったり、不幸を呼ぶとして赤子の内に親に捨てられたり、といった差別や偏見が今でも後を絶たない。
そう言った意味でも『災いの黒き髪と目』と言われる所以でもある。
「もちろんその特徴だけでなく、黒い光と共に見た事のない魔法を放ったとも聞いている。これは魔術という事で間違いないだろう」
「詳しいんだな、白髪は伊達じゃなかったわけだ」
「……普通は見識を褒めるところだろうがね」
確かに白髪ではあるが、市長はそこまで年老いた印象は無く、見た目で言えば五十前後。魔人の事をちゃんとした知識を持って知っている事は、褒められるべき事だろう。
もちろんカタナが市長を素直に褒める事など、世界がひっくり返ってもない事だが。
「魔人の数は何人だ?」
「確定ではないが、おそらく一人」
「一人か、まあそうだろうな……」
何かを考えるように、カタナはそれきり黙りこむ。ヤーコフが何かを言いかけるが、結局この場はカタナに任せることにしたのか、言葉にすることはしなかった。
「……」
市長は言うべき事は言ったという雰囲気で、後はカタナの返答をじっと待っている。
一分ほどの静寂の後、最初に口を開いたのはやはりカタナだった。
「いいだろう。魔人の対処、こちらで引き受けよう。だが条件がある」
「……何かな? 報酬額だけでは御不満か?」
「……そうだな、その報酬がまず不満だな」
「ちょっと隊長!? 弱みに付け込んで搾り取る気っすか!?」
守銭奴の暴言に聞こえたのか、ヤーコフは口を挟む、それだけ一千万エルクが衝撃的だったのだろう。
「待て、別にもっとよこせって言っているわけじゃない。金で動かそうっていうのが気に食わないってだけだ」
「どういう意味か?」
「そのままの意味だ、金は要らない。必要なものは用意してもらうが、報酬として何かを受け取る事は無い」
当然の話として、騎士は騎士団からその働きに見合う給料が出ている。その務めの中で他からも報酬を貰うというのは、場合によっては賄賂だととられて罰せられることになる。
それはヤーコフも理解しているから、しきりに頷いている。だが少し残念そうにしているのを、カタナは気のせいだという事にしておいた。
「それは助かるが、良いのか?」
「要らんものは要らん、だが必要なものを用意してもらうという事も含めて、俺の言う条件は聞いてもらう」
「うむ、私にできる事なら何でもしよう」
その市長の言葉に、待ってましたとばかりにカタナは口を歪める。
「じゃあ、まず態度で示せ」
「何?」
「言っただろ、御願いする気があるならそれ相応の態度を示せと。なあヤーコフ、人にものをお願いする時に普通はどうする?」
「え? えっと、頭を下げるとかっすか?」
いきなり話を振られたヤーコフは思ったままそう言った、カタナはその返答に満足げに頷く。逆にカタナの言っていることを理解した市長は苦い顔をしている。
「……どうしてもか」
「嫌なら別にいいが、何でもするって言ったことは嘘なんだな。自分の失態を押し付けた上に、あっさりと嘘吐くなんて市長さんは大した大物だ」
「ぐ……わかった。聖騎士殿、この度の事宜しく御願いする」
何かの覚悟を決めたように、潔く頭を下げる市長。ソファーに座りながらであるが、前にあるテーブルにつくくらい姿勢よく下げられた頭は、若干震えている。
「ああ、改めて引き受けた市長さん」
対するカタナは凄くいい顔をしていた。
その一部始終を傍らで見ていたヤーコフは、上司への認識をまた改めざるを得なかった。