転章 私が私として
ミルド共和国の某所にある大衆食堂。
そこではある一つの卓についている女性二人が衆目を集めていた。
「なんで……魔剣は……いつも……ああなんだ!!」
文句を零しながら卓に並べられた料理を口に運んでいくのは、銀糸のような長髪を結い、普段よりも幾分か女性的な服に袖を通した風神。
まるで親の仇を前にするような形相でのやけ食いは、料理を運ぶ店員を何事かと落ち着かない気分にさせていた。
「仕方がないわ、貴方の誘い方が悪かったのよ。我が君と二人きりになりたいのなら、もっと解りやすい態度ではっきり言わないと」
呆れたように風神を眺めるのはリュヌ。
ゆったりとした服の上からでも解る扇情的な体のラインは、他の男性客の目を奪い魅了していた。
「べ、別に二人きりになりたいなどとは言ってない! 魔剣が暇そうにしていたから、いつもとは違う雰囲気の場所で食事でもと思っただけで……」
「……フフ」
「ぐ、お前からかっているな」
恨みがましい風神の視線をリュヌは飄々と受け流す。
「鋭いのね風神は、カトリは中々気付いてくれないから、からかい甲斐が無いのだけれども」
「カトリは単純だからな、割と見たままを判断するきらいがある。その点私は付きあい難い者とよく組まされてきたから、お前が何を考えているのか大体の考えは読める」
「あらそう。じゃあ我が君に対しての態度は、その大体の考えを読んだうえでの事なのね」
「……」
風神は視線を逸らして、また料理を次々と口に運び出した。
それは返す言葉がなくなったというよりは、ただ単純に落ち込んでいるという様子である。
「あ……いや、でもほら、風神も頑張っているじゃない。一緒に行動する時は我が君の隣をキープしたり、普通は気付かない細かい変化に気が付いたりしているじゃない」
「黙れ、変なフォローはしなくていい……余計惨めな気分になる」
行儀とか周囲の反応とかはまったく気にせず、とうとう風神は卓に顔をつけてうずくまる。
いつもは姿勢正しく折り目正しい風神が、そこまで落ち込んでいるところを見るのはリュヌには初めてであった。
「……約束していたんだ」
「約束?」
ずっと管を巻くだけだった口から感情の籠った言葉が出る。
「ちょっとした事だが、私にとっては大事な約束だった。もう魔剣は憶えていないのかもしれないがな」
「そう……」
「憐れむような目で見るのはやめろ」
「いえ、そういうわけではないわ。私もちょっと昔を思い出しただけ……」
「昔?」
「そうよ、本当に昔の事。貴方達が生まれる前の話かしら? ちょっとだけ気になる人がいて、その人と話をした時の事」
リュヌは遠い残照を追いかけるように思考を巡らせる。
思い出すのは五十年前の大戦、まだ王国の近衛騎士だった頃の事。
「私も向こうも青くさい実直さだけを信じていた頃だったから、色気のある話ではなかったけど。同じ考えを誰かと共にすることでより強く信じられると、その時に初めて知ることが出来たの」
リュヌが思い出すのは一度だけ同じ戦場を共に駆けたシュトリーガル・ガーフォークの事。
長い年月によって二人を取り巻く環境も生き方も変わり果てていたが、当時から変わらない部分もまだ自分に存在していることを、リュヌは感じられた。
そしてリュヌがここにいるのは、その過去の自分を取り戻す為でもあった事を、改めて自覚する。
「……誰かと共にすることで、か」
「ええ、もうその人はこの世にいないけど、その時の思いを大事にしていれば、またこうして思い出す事もできる。それも中々素敵な事かもしれないわ。でも風神、貴方は今をもう少し大事にするべきよ」
「な、なぜそこで私の話になる」
「いいかしら、これは後悔するような生き方を送らないための、私からの助言。もしも現状に不満があるのなら行動に移しなさい、伝えたいことがあるのならしっかりと言葉にしなさい。風神が大切にしている約束があって、我が君が本当に忘れているようならば、自分が思い出させてやるくらいの気概を持つべきよ」
「……随分と説教くさい事を言ってくれる」
「それだけ歳をとっているもの、見た目と違ってね」
随分と余裕をもった言い方でリュヌに返され、風神は嘆息して起き上った。
「解っているんだ、本当は……だが、あの男にはどう言っても伝わらない気がしてならない。いや、というよりはわざと曲解させているようにすら思える」
「まあ、解る気はするわ。鈍いと言うよりは、踏み込ませないようにしているみたいよね」
その根本にはおそらく、人間ではないという一種の劣等感に近いものを抱えているのだろうと、近しい立場にいるリュヌは思っている。
「一緒にいるのが自然になるくらい付いて回っても、死にかけた時に告白まがいの事を言っても、そういうのが全部無かった事にされている気さえする」
「そ、そう……」
不憫としか言いようがない風神の愚痴に、フォローすら浮かばないリュヌ。
「それでも我が君についていく事を選んだのは何故?」
「……それが私にとって一番自然な事だと気づいたからだ。私が何にも怯えず、何にも縛られずに、私として生きていけるのは魔剣の隣だと思ったから」
生まれつき片目が凶兆とされる黒色で、帝国貴族の子として生まれながら忌み子として扱われていた風神。
帝国特務で魔法の実力を発揮して認められても、それは一生ついてくる問題だと思っていた。
「この目を晒す事を恐れなくなったのも、こうして自分の意思で首輪を外す事が出来たのも魔剣と出会ったから。だから魔剣と共に行く、それはもう変わりようのない生き方だ」
女々しい管を巻いていたのが嘘のように、風神ははっきりとそう告げる。
それだけ彼女にとって確固とした生き方なのだろう。
「それだけ言えて、なぜ我が君にはもっと素直に言えないのかしら?」
「……それとこれとは話が別だ、自然に思っている事をわざわざ言葉にして伝えるのは不自然だ、それを自然に行える奴らが私には理解できん」
かつてデートの約束を取り付けるのにすら、二年近い時間をかけたという事実を知るのは風神本人だけ(当の相手はデートという考えすら持っていない)。
「はあ……」
つまるところ、恥ずかしいという一言に収まる問題だと、リュヌは結論付けた。
「……私は先に宿に帰っているわ、風神は少しここでゆっくりしていなさい」
「何故だ?」
突然不自然に席を立った上に、風神には残るように言いつけるリュヌ。
「今日だけは特別よ」
耳打ちして流し目を向けた先にその答えはあった。
「だから何が……あ」
風神の疑問の答えは振り向いた先にあった。
リュヌとすれ違いで男が風神の目の前にやってくる。
(頑張りなさいね……サイノメも気にしていたから、貴方達の事を)
なんだかんだで仲睦まじい二人の様子を遠巻きに眺めながら、リュヌは鼻歌を歌いながら去った。
――特に語られるべき事も無い日常。
――自分が自分らしく生きられる場所。
――失った自分らしさを取り戻せる場所。
――本当の自分とは、そういう日常の中にこそあるのかもしれない。




