終章第九話 願いと別離
「く、くく……ここまでか、私も」
半身を失いながらもまだラスブートには息がある。
魔人の生命力によって死までの時間は多少残されているが、そう幾ばくもない。
「見せてもらったぞ、凶星。貴様の力を、この世の不条理を……私では何度生まれ変わっても、貴様に勝利する事は出来ないだろう。それが解っただけで、少し満足だ……」
何を思ってそう言うのか、虫の息のラスブートは笑っていた。
「最初から、戦わなければよかっただろ。そうすれば何も……」
「……争うものなのだ、生者というものは……それは知能があっても無くても、木偶であっても同じ、敵対した時点で互いの領分を競って戦わねばならない、そうしなければ気が収まらない。それに、戦わなければ変わらない事も、解らない事もある」
不敵な笑みを浮かべるラスブートは転がった星天至を指さした。
「最後の悪あがきだ、止められるなら止めてみろ」
魔光の上る宝玉、宿すその力の系統が先程までとは異なるというのを、カタナは直感した。
「ドレッドノート、何が起きている?」
<これはまずい、時間操作だ>
カタナの問いかけに、巨無に宿る精霊は返答する。
契約を交わした事で意識や感覚の共有も可能になり、会話する事も出来るようになっていた。
「時間操作……星天至のもう一つの力か」
<時と空間を合わせた運命操作がそれの本領だからね。それにしても星天至の力を全て解放せずに余力を残していたのはこの為だったのか……>
意識を共有するカタナの頭の中に、ドレッドノートがまずいと感じる思考が自動で流れてきた。
<時間操作は空間に大きな歪みを生む。特に本来は不可逆である時の流れを逆行させるとなると、影響は世界全体に及ぶだろう。そういった常識を超越するのが魔術だとしても、正しく発現させるには周到な準備がいる>
そしてその周到な準備を、ラスブートは行っていない。
<下手したら人が全て死滅するくらいの災厄になるかもしれない。繁栄した旧王国が一夜で滅んだようにね>
「止められないのか?」
<今これの知識を参照しながら星天至を解析してるけど、かなり絶望的だよ。空間に及ぼす術式は比較的解析が容易だけど、時間操作に関しては星天至の固有の力と言っていいくらいだからさ>
「じゃあ、単純に星天至をぶっ壊したらどうだ?」
<やめておいた方がいい、それこそ何が起こるか読めないし。そもそも、壊せるかどうかも怪しい、それには無血のような自動再生が備わっているから。実は星玉座にも同じ力が備わっているけど、あれを一時的にでも無力化できたのは、技術と魔術の回路中枢を担う演算装置でもあった星天至が組み込まれていなかったからだ>
王国の遺跡に長い時をかけて眠っていた太古の遺産、それを完全に抹消する事は今までに誰もできなかった事だとドレッドノートは言う。
「なんとかできないのか?」
<……>
返答はない、だが共有した意識に引っかかるものがあったのを、カタナは感じ取った。
「できるんだな?」
<……確かに、なんとかできない事も無い。でもこれはキミには教えられない>
「あ? 何を言ってる、早く教えろ」
<教えられないと言った。理由はこれによってキミの身が滅ぶ可能性があるからだ、これと契約した以上、キミはこれの為に生きてもらわなければいけない>
「……ふざけるな、やらなければ世界が滅ぶかもしれないんだろ。だったらどちらにしても同じことだ」
<いいや同じことではない。これを使えばキミはこの世界の命運から外れる事ができる。星天至の影響が及ばない場所まで逃げることができる。これはそれを推奨する>
「ふざけんな!!」
自分だけ助かっても何の意味もない。
ここに来たのはこの世界に生きていてほしい者達がいるからで、それは決して揺らぐはずもない。
「お前が協力しないなら、俺は勝手にやらせてもらう。リロード……」
<認証ロック>
「――おい!?」
ドレッドノートによって巨無の力は封じられる。
<これと契約した以上、これには契約主の生命を第一とする権利と義務がある。こんな事でこれとの契約の放棄は認められない。でも安心してほしい、有事の際にはキミを助けるように力を行使しよう>
「……ぐ、このクソ剣が!!」
カタナは役に立たない巨無を投げ捨て、そして虫の息のラスブートを掴みあげる。
「おい、頼む星天至を止めてくれ」
「くく、勝者が敗者に乞うとは、最後に面白い姿を拝めたな」
カタナの願いをラスブートが聞き届ける気は毛頭無く、一笑に伏されるのが当然の事。
だが、もう他に手は無い。どんなに無様でも、願いを乞うしかカタナにはできなくなった。
「頼む、どうか……お願いだ」
「……無理だ、もう止められん。世界に対する……私の……復讐は……成った」
「おい!? お……くっ!!」
カタナの手の中でラスブートは絶命する、野望叶わずとも一矢報いた事でその表情は満足げであり、誇らしげでもあった。
「……また、なのか」
落胆し、俯くカタナ。
「また俺は失うのか……大切なものも……居場所も……全て」
これが凶星として生まれた者の宿命なのか。
それとも、この世界が生まれた時から決まっている変えられない運命なのか。
「冗談じゃねえぞ……俺はいったい何の為に」
その運命を変える為に作られたはずなのに、ここにいるカタナは無力。
悔しくて握る拳にもやがて力が入らなくなる、意志の通った瞳も徐々に濁っていく。
「あはは、相変わらずかっこ悪いねえシャチョーは」
その時誰もいないはずの空間に響く弾んだ声に、とうとう幻聴まで聞こえ出したかとカタナは思った。
「およ? 今日は随分と頭が低い位置にあるぞ、これは絶好の好機! くらえ、サイノメぱーんち」
「――!?」
自分の耳を疑っていたカタナであったが、後頭部を小突かれた感触で我に返り、俯いていた顔を上げる。
「……お前、なんで」
目の前には、見知った人物の姿があった。
未発達の体は幼く、しかしそれはその身に宿す魔術装置の力を行使するため。
「なんでって、決まってるじゃん」
カタナの元相棒は、魔光の上る星天至を拾い上げる。
「最後のいいとこ、かっさらいに来たんだよ」
不敵な顔でサイノメはそう言った。
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さした光明はしかし、カタナの表情を更に重く沈ませる。
「待て、止めろ」
なぜサイノメがここに来て、これから何をする気なのか理解したからだ。
「止めないよ。これはあたしにしかできない事で、その為にここに来たんだから」
サイノメの体内には魔術装置・夢幻が埋め込まれている。
それは星天至を元にして作られた下位互換品で、その力の一部を受け継がれている。
その力とは、まさしく時空間転移。
「時と空間を超え、これはあたしが責任をもって因果の彼方にでも持っていくよ。この世界に影響が出ないようにね」
時と空間を超える術、今この世界でその大役を担えるのはサイノメただ一人。
「いやー良かった良かった、星天至がアタシが持って行けるくらいの小さな物で。星玉座みたいにでっかい物は無理だからさ」
夢幻の力で転移できる範囲は狭く、サイノメの未発達な体はその為に調整されたものだが、星天至ほどの質量のものなら十分に許容可能。
「……だからって、無事では済まないだろ」
軽いノリでサイノメは言ったが、空間転移だけならともかく、時間も転移するとなるとその身への負担は重い。
それはドレッドノートがカタナに伝えた事柄で容易に想像できた。
「あはは、最初から無事で済まそうだなんて思ってないよ。良いじゃん、あたし一人がどうなってもこの世界が無事ならさ」
「いいわけねえだろ!!」
「――!」
サイノメは僅かに身を震わせる。
それはカタナの大喝に驚いたからではなく、体の後ろに回された手とその腕に抱きしめられる感触に驚いたから。
「……あ、あはは、やだなーシャチョーは本当に。こういう事されちゃうと、オンナノコは勘違いしちゃうもんなんだよ、その辺ちゃんと解ってる?」
「なんでもいい、行くな。いや、行かせない」
カタナの抱きしめる力が強くなり、その腕の中にいるサイノメは更に身を小さくする。
「べ、別にこれでお別れって決まったわけじゃないし、大袈裟だって。時空間転移でどんな影響が出るかなんて解らないし、さらっと帰ってこれるかもしんないし……」
慌てたように真っ赤な顔で言い訳するサイノメだが、その言葉のどれにも本心が無い事がカタナには解った。
「嘘はもういい、無理もしなくていい」
「あはは……一番無理してる本人がそれを言いますか」
サイノメは敵わないなあと呟き、神妙な面持ちで、改めてカタナを正面から見つめる。
「あのねシャチョー、断っておきますけど、あたしが一肌脱ぐのは別にこの世界を救いたいからってわけじゃ全然ないんだよ? それは正直どうでもいいの」
サイノメにとって大事なのは、世界よりも目の前にいるただ一人。
「この二年くらい、あたしはシャチョーの近くにいて、なんというか楽しかった。秘書官の真似事、情報屋の真似事、所詮は真似事の関係だったけど……でも、あたしはあの日々を掛け替えのないものと思ってる」
「サイノメ……」
「あはは、だからさ、最後くらいは真似事の関係じゃなくて、ちゃんとシャチョーのパートナーのサイノメとして助けたいんだ。シャチョーがこの世界を救いたいって言うのなら、あたしもそれを救うのに惜しいものなんて何もないよ」
そう言ってサイノメは満面の笑みを作ってみせた。
それがどういう時に見せる表情なのか、カタナには解っていた。
「しけた面しないの英雄さん。あたしは『世界を救った英雄の相棒』として、胸を張って行けるんだから」
満面の笑みからこぼれ出す雫。
サイノメは慌てて目元を拭いながら、恥ずかしそうに顔をそむけた。
「あ、それとあたしの情報網のサイノメ・ラインは、シャチョーが自由に使えるようにしてあるから。それから、なんでも一人でやろうとしない事、逆に何もしないのも駄目だよ、シャチョーはその辺の落差が激しいからね、それから、えーと、えーと……」
照れ隠しなのか矢継ぎ早にカタナに伝え、まだ他に言い残した事が無いか言葉を探すサイノメ。
「サイノメ……」
「おっと、もう言う事もなくなっちゃった。名残惜しいけど、この辺が潮時かな」
「……」
引き留めたいという思いはまだカタナの中にある。
だが、その言葉も何も出ない。
サイノメから貰った言葉が尊くて、それを無下にして代わりに差し出せるものが何もないからだ。
「……お前がどこまで行っても、いつか俺は迎えに行く」
「……いいよ、別に来なくて」
「絶対に行く」
引き留められない代わりにカタナは強く約束する、形だけじゃない……それは魂をかけた決意を持った約束。
「そっか……じゃあ、ちょっとだけ期待しとこ」
カタナから離れて背を向けるサイノメ。
別れの時までもう少し。
「ねえ、シャチョー。ハッピーエンドの条件って知ってる?」
「……なんだよ急に」
サイノメはもう一歩離れた。
「本とかでさ、最後のページで主人公が笑っているかどうか、あたしの判断基準はそれなんだ……だからほら、ちゃんと笑って見せてよ」
言われてカタナは、笑みを作って見せる。
それがどんなものかは鏡を見なくても悲惨な想像ができた。
「……こうか?」
「ぷっ、変な顔ー。でも、そう、そうやって笑っていてよ、いつも……そんで、たまにでいいからあたしの事も思い出して」
サイノメはもう一度背を向ける。
それが別れの時だった。
「じゃあ、またね……シャチョー」
「――ああ、サイノメ」
目の前からサイノメが消える。
そして星天至によって固定されていた空間も消滅し、カタナは世界の境界に投げ出された。
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気が付くと、カタナは青空の下、地面の上に立っていた。
「……戻ってきたのか」
世界の狭間を漂った時は元の世界に帰るのが不可能に思えたが、それは傍らの地面に突き刺さった剣がなんとかした。
<ロック解除、モード・夢幻をロード。救われたね彼女に>
「黙れクソ剣」
カタナは巨無を蹴り飛ばし、地面に腰を下ろす。
荒れた大平原の中心、落ちた星玉座もすぐ傍にある。
「……ハッピーエンドか」
サイノメの言葉を思い返し、空を見上げる。
やり遂げた達成感も、全て終わった充足感も、そこには無い。
「笑えねえよ……サイノメ」
何も終わっていない、こうしてここに、この世界が存在している。
自分も、この世界に存在している。
だから、これからやるべき事は山積みであった。
「さて、何から始めるか…………ん?」
少しの間座ったまま考え込んでいると、自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、カタナは振り返る。
そちらからは知っている女性が四人ほど、こちらに向かって走り寄ってきていた。
「……まずは、これか」
目下のところ何をすべきか見えた気がして、カタナは彼女たちがここに来るまでの間に、決心を固める事にした。