終章第八話 星天至と巨無
(何だここは?)
気が付くと、カタナは不思議な空間に立っていた。
何もない闇がただ広がるだけの空間、そして遠くには夜空の星のような光がいくつか目に入った。
「ここは世界の境界、さっきまでいた場所とは位相のずれた空間だ」
カタナの疑問に答えたのは魔人ラスブート。
魔光を上らせる宝玉を手に、悟りきったような表情でカタナと相対している。
「境界? 位相?」
「そうだ、世界と世界の狭間と言うべきか。もっとも、こうして私たちがここにいられるのは、星天至が空間を固定しているからだが」
「……それが旧王国の最後の秘宝か」
カタナは巨無を構え、臨戦態勢に入る。
頭の片隅に刻まれた記録により、その宝玉についての知識だけは備わっていた。
「時と空間を支配する力、運命操作の宝玉……そんなものを持ち出して、いったい何をする気だ?」
カタナの問いに、ラスブートは口元に笑みを作って答える。
「この世界を根本から作り変える。我ら黒の民の楽園を作るため、まずは人間すべてを排除するところから始めるつもりだ」
長き時間をかけ待ち望んだ野望。
それを目前にして、そう饒舌な方ではないラスブートも些か口は軽くなる。
「その後、黒の民の失われた生命も再生させる。これが私たちが黒の巫女より賜った未来だ」
「……災予知の予言か、あくまであんたらは人間の敵なんだな」
「それはそうだろう、決して相容れる事などありはしない。奴らは時代が変わり、国が変わっても、かつてと本質は変わっていない。富と権力に固執し、どうすれば他者を下に見る事が出来るのかしか考えていない、まったく愚劣な者達だ」
王国の女王ユヨベール・ケニス・バティストをはじめ、ラスブートが見てきた人間たちは、かつて自分たちを隷属させていた者達とまるで同じであった。
「凶星よ、貴様も本当は呆れているのではないか? 奴らの事は守る価値も無いと思っているのではないか?」
「……ねえよ、そんなこと」
カタナはラスブートの言葉を一蹴する。
「確かに他人を食いものにするクソみたいな奴もいる、自分の事しか考えない奴もいる。だけどなそういう奴らが霞むほど、他人の事ばっかり考えて、他人の為に行動できる人間を俺はたくさん見てきた。いや、俺だけじゃない、俺に全てを託したあのジジイも、それはずっと認めていた」
カタナが掲げる正義、それも決してラスブートとは相容れない。
「見解の相違か、人間に道具として作られた貴様なら解ると思ったが……」
ラスブートに動きがあった、その手の宝玉をカタナに見せつけるように掲げる。
「――!?」
何かの危険を肌で感じ、カタナは反射的に切りかかろうとするが体が動かない。
星天至の空間支配、その力は何者であっても決して逃れる事は出来ない。
「ぐ……」
抗うが、その支配力はカタナを平伏せさせた。
「貴様はここで死ぬ。それはただの死ではない、世界の再誕の為この星天至の動力となり、永劫の輪廻をここで終えてもらう」
ラスブートの世界を作り変える壮大な野望の為には、星天至に蓄えられた魔力だけでは足りない。
その為に、理論上は無限の魔力を引き出せる魔元心臓とその適用者を利用する結論に至っていた。
「予定では貴様の兄であるゼロワンがその役目を担う手はずであったが、奴の魔元心臓は劣化品。高出力で通常は制御できないほどの魔力を瞬時に生み出せるものが、一番望ましい」
「それで、ゼロワンを使い捨てにしたのか」
「そうだとも、まあ奴は最後まで貴様の代わりになれると思っていたようだがな」
「おまえ――!!」
今すぐにこいつを殴りたい、そういう衝動にカタナは駆られるが、体の自由は戻らない。
「だがそうだな、奴との約束をただ反故にするのは忍びない。代わりに貴様の望みを聞いてやろう」
「望み?」
「貴様の望む者の存在だけは世界に残してもいい、どうだ? 悪い提案ではないだろう?」
「……」
完全に上からの物言いであるが、既にカタナには自由が存在しない。
星天至の力に圧倒され、その歯車として生かされているというだけ。
「……同じだな、あんたもあの王国の女王と」
「何?」
「力を振りかざして世界を変える。誰の犠牲も厭わず、自分に都合のいい者だけが世界に必要だと考えている。本当はあんた自身が世界に不要な存在であるのに」
「ふん、それは貴様とて同じことだ、作られた命はそもそもが間違いなのだから。それに私とて間違いを正そうなどとは思っていない、これはただの復讐だ、間違いを犯した者達に対してのな」
ユヨベールとラスブートの決定的な違い、それは自分自身が過ちであると認めている事。
歪んだ世界に生まれ、その運命と戦い続け、その上で新たな歪みとなるべく決心した者。
だからこそ、もう全てにおいて揺るぎない。
「私は何があろうとやり遂げる、最後の一人に選ばれたのは伊達ではないのだ」
ラスブートの手にある星天至の魔光が増す。
それに呼応するようにカタナの体に更なる異変が生じた。
(……これは、魔元心臓が起動している!?)
カタナの意思とは無関係に、その体から魔力が溢れ出す。
星天至の空間支配の力が、とうとう体内にまで影響していた。
「まずは邪魔な意識を消し去ろう。歯車に自我は不要だ」
「ぐ、う、ああ」
視界がぼやけ、割れるような頭痛がカタナを襲う。
「最後にもう一度聞こう、望みは無いのか?」
「……」
沈みゆく意識の中で、カタナは幾人もの顔を思い浮かべる。
もしかするとここでその名を呼べばラスブートは約束を守り、その者達を生かしてくれるかもしれない。
「……」
だがカタナは何も言わなかった。
その射るような鋭い視線だけが、彼の意思を表していた。
「そうか、ならば永久に眠れ、凶星よ」
ラスブートの言葉を最後に、カタナの意識は深い海の底に沈むようにゆっくりと途絶えていった。
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何も見えない闇。
カタナの意識はそこに漂っていた。
まるで夢を見ているような感覚。
自分の体がどこにあるのか解らない、自分が何をしていたのかも思い出せない。
ただ、漂う。
「何をしているんだい?」
誰かが問いかける。
カタナには何も答えられない。
「この声が聞こえるかい?」
誰かが問いかける。
カタナには何も答えられない。
「この姿が見えるかい?」
誰かの声がそう言うと、カタナの視界には一人の初老に見える男が、突然現れた。
「見えるようだね、ふふ。少し意地悪をしてキミの苦手な人間の姿をとってしまった」
その男は少し可笑しそうにして、カタナの方を見ている。
「どうだい? 見られていれば自己を少しは認識できるのじゃないかい?」
男がそう言うと、カタナは自分の体がどこにあるのか解った気がした。
「……誰だお前は? いや、その姿は」
ようやくカタナは答える事が出来た。
そして忘れていた事を思いだす。
「この姿はシュトリーガル・ガーフォークのもの。でもこれはこれじゃない、これには姿なんてない。これは意識の集合体」
「意識の集合体?」
「そう、人が呼ぶには『精霊』。そして固有名詞は『巨無』」
「ドレッドノート……だと?」
「そう、キミが散々振り回し、乱暴に扱ってくれたあの剣の中に住む精霊。それがこれ」
どれがどれかはともかく、カタナは夢でも見ているのではないかと考えた。
「夢みたいなものだよ。ここはこれの意識の中、力と知識の精霊・巨無の腹の中」
「……」
「理解しなくてもいい。ただどうするべきかだけ考えてほしい、これからの事を」
「これから?」
「そう、その気になればこれはキミの消えた意識を現実世界に戻すことが出来る。だけどそれをするには、キミがこれを使う意思があるのかという事。これの本当の力を引き出して、扱っていく自信があるのかという事」
巨無はそう言って姿を変えた。
というか、増えた。
「これは力を欲する、これは知識を欲する。これはその気になれば際限なくキミの力を吸い尽くす」
いろんな姿といろんな声で、巨無はカタナに問う。
「それでもこれを使いたいかい? これと契約が出来るかい?」
その言葉に深淵が覗いているような深みをカタナは感じとった。
しかし迷うことは無かった。
カタナは手を伸ばす、そこにある魔術剣・巨無を掴む為に。
「……本当の力とかがあるのなら、最初から出しやがれよ」
「残念ながら必要ないくらいキミが強すぎたんだ、でも嬉しいよ。これでようやく制限が消えた、契約は成立だ。いやあ、契約するのはキミで二人目だから本当にうれしいなあ」
巨無は魔光を上らせる。
同時にカタナの体の魔元心臓は動き出す。
今までに発した事のない魔力の本流、臨界を超えてそれはとめどなくあふれ出た。
「う、おお」
「これはイメージだけど、現実でも同じ。だからもう使えるさ。さあ、唱えてこの鍵を」
カタナの意識の中に一つの言葉が刻まれる。
自然とそれは口をついて出た。
「リロード……」
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「リロード・不退」
カタナの体を包む魔術障壁。巨無の生み出したそれは、いかなる力の侵略も受け付けない。
「なん……だと!? 馬鹿な!!」
星天至を掲げたラスブートは驚愕する。
立つはずのないカタナが立ち、消したはずの意識が戻り、星天至の空間支配を受け付けていない事実に。
「……これが、巨無の本当の力」
それは今まで発現させていた霊子断に非ず、本領の一端に過ぎない。
力と知識の剣は、所有者の力を代償にあらゆる術式をその中に取り込み、発現させる。
元の霊子断は阻無、そしてカタナを今守っている障壁はグラクリフトの不退によるもの。
「リロード・十日」
そして更に、かつて下した手強き剣もその刀身に宿す。
「奥伝・断空だったか?」
カタナが無造作に巨無を振ると、飛ぶ斬撃がラスブートに襲いかかる。
「わ、私を守れ星天至!!」
カタナと同じように障壁を張って斬撃を防ぐラスブート。
何かコツがいるのか、カタナの放った飛ぶ斬撃はケンリュウのように速くは無かった。
「防いだか、じゃあこれはどうか……リロード・『星天至』」
「な!?」
星天至の空間支配の力までもを巨無は発現させ、カタナにそうしていたようにラスブートの体の自由を奪う。
「どうしてだ、力を使えるというのはまだ解る。だがどうして十万もの魂魄と、星玉座の動力を取り込んだ星天至の支配力を上回れる!?」
「……お前が言ったんだろ、魔元心臓は理論上無限の魔力を生み出せる」
「――そんなもの! 臨界を超えれば貴様の身が持つわけなかろう!! ……いや、まさか!?」
「そうだ、無血の再生……」
ランスローの無血による再生の力。
星天至によって消されたはずのカタナの意識を再生させたのもそれ、そして今も魔元心臓の臨界によって朽ちていく体を、そのそばから再生させている。
「十万人の力を上回るのなら、俺が十万回死ねば魔元心臓が釣りまで出してくれるさ。それで足りなければ、何回だって死んでやる」
痛覚の無いランスローのようにはいかないが、カタナも痛みや苦しみには慣れている。
長く続いた拷問の日々に比べれば、この一瞬だけ耐えればいいだけ。
「おのれ、凶星ええええええええええ!!」
「……リロード・阻無」
巨無の刀身に発現する霊子断の力。
振るった凶刃はラスブートの体を両断し、これによってこの世界の古くから続く、魔人と人の因縁は終わりを告げた。