終章プロローグ 騎士と戦場
大平原を埋め尽くすように迫る軍勢。
それは半世紀の沈黙を破り、ミルド共和国に対して宣戦布告した、バスティト王国の侵略であった。
「……おいおい、ありゃ十万は下らねえぜ。まいったね」
ミルド協会騎士団の竜騎長を務めるシュプローネは、敵側の圧倒的なまでの兵数に辟易しながらそれを空の上から見下ろしていた。
協会騎士団がそのほぼ全てを占める共和国側の兵員は二万程度、事前情報で王国側は七万強という話であったが現在は十万以上、予想を超えての大軍勢となっていた。
「本気で潰しにかかってんなこれ、それにしても自国の守りは考えてんだろうか?」
しかし、その圧倒的兵数の差を前にして、シュプローネは落ち着いた様子で王国軍の行軍を眺める。
シュプローネのように隊を率いる立場にいる者が見ればすぐに解る、隊列の乱れやぎこちなさがそこにはあった。
「奴隷兵か、胸糞の悪い制度だぜ。戦いってのはその道のもんがやるべきだろう」
王国に根強く残る選民思想の一つの形――奴隷制度。
女王という絶対者を頂点に、揺るぎようのない階級分けが王国では定められており。奴隷という最下層の者は虐げられ、戦いの場においても一番危険な最前線に配置される。
厄介なのはその境遇に誰も不満を抱いていないところ。
制度や境遇を変えられない立場にいる人間はそれに順応するしかない、慣れによって消えていく不満が本当の意味で奴隷という存在を作り上げる。
「……まったく、空はこんなにも自由だってのにさ」
隣国の事、知っていても知らぬふりをしてきた事。
今更シュプローネが何をしても変えられるものではなく、その業と対峙する事も避けられない事である。
「本当に、まいったね」
これから起きる戦いの行方に思案しつつ、シュプローネは偵察任務の報告をする為に、自軍の本陣へ飛び去って行った。
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ミルド協会騎士団の本陣では張りつめた空気が流れていた。
戦いの前の緊張感、不安、高揚。
協会騎士達の様々な感情を胸に抱き、目の前に立つ厳めしい表情をした騎士団長代理を務めるルベルト・ベッケンバウワーの言葉を待つ。
「……諸君」
整然とした空気の中、ルベルトはようやく口を開く。
「我ら協会騎士団は王国と帝国の抑止力となり、大陸に戦乱が訪れぬ為に力を蓄えてきた。国を建て、自由と平和を願ってきた先人達、その思いを受け継ぎながら我らは常に強くあるため、大陸最強を自負して己を高めてきた」
半世紀に渡る平和、少なくとも表向きは大陸の平穏無事は守られてきた。
「全てはこの国の為……いや大陸の平和の為、かつて世界を救った勇者の遺志を継ぎ、我らはその剣に人生を捧げてきた。そしてこれからもそうだろう、我らは騎士であるのだから」
高潔なる誓いと共に邁進した日々。
主君を持たない騎士が忠誠を誓うのは、生まれた国の全てに対して。
「此度の王国の侵略、そこには何も正義は存在していない。外交を拒否し続け、ひいては一方的な宣戦布告。傲慢で欲にまみれた者達の思慮のない決断により、築いた平和と愛する祖国が脅かされる、そのような事許せるわけがない」
皆、ルベルトの言葉に頷いていた。
平和の中に生まれ、ほとんどの者が戦場を経験したことが無く、不安げな表情をしている者もいたが、次第に消えていく。
「諸君らが背にしているもの、その重みは諸君らが一番よく知っているだろう。家族、恋人、友人……守らなければいけないものがあるからこそ、我らは強くなり、これからも強くあり続ける。その為にも、この一戦は決して敗北は許されない」
協会騎士団はほぼ全戦力を投じ、王国の大軍勢を迎え撃つ。
「我らが掴むのはただの勝利ではない、圧倒的な完全勝利だ! もう侵略などする気も起らぬよう、完膚なきまでに王国の者どもに敗北を刻み付けろ! 我らがこの戦いで守るのは今のこの国だけではない、協会騎士団の真の力を大陸史に残し、未来永劫に至るまで我らが平和を築くのだ!!」
戦いによって生まれるものは何もない。
しかし生まれてくるものの為に戦う価値はある。
『鉄血騎士』と呼ばれたルベルトが、熱い感情を初めてさらけ出し、この場にいる全員を奮い立たせた。
「祖国の敵に目にもの見せよ! 協会騎士団、出陣!!」
静粛にしていた騎士達が鬨の声を上げ、一糸乱れぬ隊列を作り上げていく。
意思は一つにまとまっていた。
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「……疲れているのか?」
出陣前の演説を終えたルベルトに、グラクリフトが声をかける。
「かもしれんな、随分と慣れぬことをした」
照れくさそうに笑い、ルベルトはグラクリフトの肩を叩く。
重々しい全身装具の巨体とは、手を伸ばしてようやっと届くくらいの差があった。
「だが心配は無用、指揮官として苦労すべきことは戦いの前でほぼ終わる。これからは前線で戦う者達がその苦労を代わりに負う番だ」
「……ああ、作戦指示通りに全力を尽くす」
口数少ないが、言葉ではなく存在でグラクリフトはルベルトに安心を与えた。
「頼もしいな、お前がいるからこそ前線には何の不安もない」
「……俺も、お前が後ろにいるならば決して負けぬと言い切れる」
一軍を率いる二人だが気負った様子はまるで無い。
それぞれの足りない部分を認め合い、補っているからこそ生まれる余裕と共感。
「任せたぞ、グラクリフト」
「……任されよ、ルベルト」
心強き友の存在を背に、それぞれの立つべき場所に二人は向かっていった。