四章第十三話 剣聖の狂気
進んできたカタナが行き着いたのは、野ざらしとなった空間。
まるで、何かに抉り取られたように何も無い。
反対側に見える壁や通路の状態から見ても、そこには何らかの建築がされていたように伺え、今のブルガード砦が朽ちかけている状態だとしても、少なくとも自然に崩れ去ったようには見えない。
そんな空間の中心でシュトリーガル・ガーフォークは佇んでいた。
現れたカタナに対して目を細め、少しだけ笑うように柔和な表情をしている。
「ようこそカタナくん。今日は私の招きに応えてくれてありがとうございます」
ぬけぬけとそう言ってのける姿は、狸ジジイと呼ばれることも納得いくものである。
「最低の歓迎だった。もう少しマシなもてなしはできなかったのか?」
カタナは失った右腕とボロボロの全身をさして嫌味を言う。
しかしそれもシュトリーガルは一笑に伏す。
「ケンリュウくんとランスローくんを相手にしてその程度で済んだのなら、むしろ御の字でしょう? そんな事よりも、カタナくんは私にもっと何か言う事や聞きたい事があるのではないですか?」
そんな事、カタナにとって命懸けの戦いをシュトリーガルはそう評する。
まるでカタナが勝つのが当たり前だと思っていたかのように、二人をけしかけた事も安否も何とも思っていないかのように。
それが何となくカタナの癪に障った。
「……あんたが俺やゼロワンが作られた、帝国の研究所とつながっていたというのは本当か?」
「ええ、むしろあの研究所を立ち上げた首謀者の一人です」
こともなさげに答えるシュトリーガル。
「俺が帝国特務や協会騎士団に渡り歩く事になったのも、あんたが仕組んだことか?」
「ええ、帝国では友人をつかって、協会騎士団ではサイノメくんをつかって、カタナくんの人間関係から出世に至るまで、事細かにコントロールさせて頂きました」
「カトリ・デアトリスの事もか?」
「いいえ、彼女が作られたのはデアトリス家の当主の暴走です。私の計画には彼女は邪魔者でしかありませんでした」
「だから殺したのか?」
「……ふふ、そんなに怖い目で睨まないで下さい。貴方が作られるまでに失った数百の験体と彼女の命、それと天秤にかけて成すべきことが私にはあるのです」
多くの命を犠牲にして、シュトリーガルがここに立つ理由。
カタナがこの場に招かれた理由。
「……あんたは何がしたいんだ?」
臨戦状態にあるカタナは、その問いの返答如何によってシュトリーガルを見定めることとした。
倒すべき敵か。
それとも無視すべき敵か。
「私は凶星になりたいのです……つまりはカタナくん、私はキミになりたい」
「…………は?」
眉を顰めるカタナ。
理解の及ばないシュトリーガルの答えに、戸惑いよりも苛立ちが勝る。
「ジジイの妄言を聞きたいわけじゃない」
「妄言ではありませんよ。私はずっと……何十年もそれだけを考え、その為だけに生きてきました」
シュトリーガルはここに、自身がずっと思い描いてきた胸の内を晒す。
「世界の運命から外れた埒外である凶星、それを作りその力を得て、私はこの世界を永劫守り続ける……かつてこの世を救った勇者のように」
カタナはその時に、シュトリーガルから恐ろしいまでの狂気を感じ取った。
帝国特技研の研究者達すらかすんでしまうほど、シュトリーガルは狂っているように見えた。
「カトリ・デアトリスは人に近すぎた、ゼロワンは魔人に近すぎた。どちらにも属さないキミこそがこの時代の真なる凶星……」
その眼には大志を抱く少年のような希望と、後の無い者が抱く絶望があった。
「……私はキミを殺して、キミのその体をいただく。キミが作られた時から既に、その準備は終わっていました」
記憶、人格、魂、なんと呼ぶべきかはその分野によって様々であるが、シュトリーガルが言っているのはつまり、それを移すという事。
「なるほどな……俺の頭の中に刻まれた用途不明の様々な記録は、要はその実験の一つだったわけだ」
最終目的はカタナの体にシュトリーガルの精神を宿らせる事。
そして魔元生命体を作り出し、それにカタナという存在を刻み付けたのは、人の手で作られた器と精神が、凶星として機能するかどうかの最期の実験であった。
「私はもう長くない……外法によって肉体を若く保たせてはいるものの、その反動は急激に訪れる。剣聖と呼ばれるまでに武の道を極めても、結局人という殻を破れなかった私は凶星に至ることが叶わなかった」
「……だからゼロワンを、カトリを、数百の験体を、あんたが言う凶星とやらの為の犠牲にしたのか?」
「ええ、そしてカタナくん……キミもです」
そう言ったシュトリーガルには、一縷の迷いも見えない。
「あんたは何も思わないのか?」
「多くの罪を犯したと思ってはいますよ。しかしながら、罪過を悔い改めるよりも私には優先すべき事があった、それだけの事です」
平然としている。
狂気はありありと見えるのに、シュトリーガルという男はその狂気すら自分のものにしている。
「……」
「私が間違っていると、キミもそう思いますかカタナくん?」
「……信念も、理念も、何も持っていない俺が何を言ったところであんたは何も思わないだろ」
行き止まりまで行き着いたシュトリーガルには、どのみち言葉は届かない。
「まあそうです、でもその様子だと納得してもらえたわけではないようですね」
「……ああ、俺はここで終わる気は無い。あんたの話を聞いて余計にそれが強くなった」
踊らされていた道化はもうここにはいない。
終わっていいと思うくらいなら、ここに来るまでにとっくに終わっている。
「それでこそ凶星……抗ってください最期まで」
「あんたのその狂気、俺なりのやり方で終わらせてやる」
重なり続けた因縁の、必然である戦い。
それは静かに始まった。
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剣聖と呼ばれるに相応しい者が見せる、あらゆる武芸の奥義・『無拍子』。
斬られるまでそれと気付かないほど希薄な剣気と、無駄を極限まで廃した動作。
そのシュトリーガルの技を見切り、初手の一撃をかわせたのは、以前に一度身をもって体感していたことがカタナにとって大きい。
「……ほう」
シュトリーガルは感心するように声を上げた。
反撃をせず間合いを空ける事に専念するカタナ、巨無を半身の姿勢で構え急所への防御も忘れない。
片手というハンデと剣の技量差、その分の悪さをカタナはよく解っている。
「相変わらず無駄だらけの動きですが、以前よりは余計な力が入っていない分マシになりましたか」
動きに無駄があるとカタナに言ってのけるのは、おそらく大陸中でシュトリーガルただ一人であろう。
「……七十越えのジジイ相手に本気を出すほど、俺は落ちぶれちゃいない」
カタナが返すことが出来たのはそんな強がりだけである。
シュトリーガルは少し笑っていたが、次の瞬間には姿が揺らぎ、カタナの認識の上を行く。
すらりと虚無をすり抜けて、カタナの懐に飛び込んだシュトリーガルは、すくうように剣を切り上げる。
いつ動き出したのか、そしていつ到達したのかカタナの眼でも見極められなかった。
予備動作も見えず、気配も感じられないその剣はまるで意識の外から飛んでくるようである。
だがその無拍子という技にも、対抗するすべはある。
「それでこそ凶星……」
初手と同じく、カタナはシュトリーガルの剣をかわしきる。
その発想は剣を極めた剣聖をもってしても、思いも描かなかったもの。
『斬られるまでそれと気づかないのなら、いっそ斬られてみればいい』
そういった常識を完全に無視した考えから、カタナが至った無拍子への対策。
それは『体に刃が触れてから動き出して避ける』という綱渡りな荒行であった。
「後の先を取ろうとする相手と戦った事はありますが、カタナくんの場合は後の後というべきでしょうか? まったく驚かされます」
「これぐらいできなければ、ケンリュウに何度真っ二つにされても足りない」
音より速い斬撃の前に何度もさらされた、それに比べればシュトリーガルの剣はまだ遅いと言える。
「それに、あんたはランスローと違って不死身じゃない」
終わらせるには一撃でいい。
言葉ですれば簡単に聞こえるようなその結果。
「そうですね、私は凡人です。持っている武器もこのように協会騎士に渡される普通の魔法剣です」
しかし、シュトリーガル・ガーフォークは剣聖である。
凡人でありながら、ただ一人剣の道の頂に上り詰めた者。
「ですが武道とは、弱い者が強い者に打ち勝つ為に存在するもの……」
カタナに油断は無かった。
だがもってはいけない印象をシュトリーガルに対して抱いていた。
「……私は、存外卑怯者なのですよ」
カタナの心臓を貫いたのは見えざる秘剣。
「二刀……流……か」
時として剣聖という異名の響きすら利用して騙し討つ。
頂に上る為に、勝ち続ける為に、シュトリーガルには手段を選ばない狡猾さも必要であった。
「普通の魔法剣しか持っていないと言いましたが、残念ながら嘘です」
リリイ・エーデルワイスに作らせた、視認が不可能であるというだけの完全なる透明な魔法剣。
そのようなものを忍ばせていたという事に気付かせず、そして同じ動作の無拍子で斬られるその瞬間まで悟らせない。
刃が触れてから回避するというカタナの荒行も、二刀を前提としたものではなく、逆にその隙を突かれることになった。
「がは……」
口や胸の中心から流れ出す大量の血。
倒れたカタナの周囲の地面が赤く染まっていく。
残心するシュトリーガルはそれをじっと眺めていた。