四章第十二話 再生の剣
駆身魔法で加速した突きの一撃がカタナの腹を貫いた。
それは筋断裂を起こしかねないような人の限界以上の駆動だが、体の異常がすぐに再生されるランスローにとっては意に介する事ではない。
そしてカタナにとっても、腹を貫かれたくらいでは勝負を決する傷ではない。
むしろそれはようやく訪れたチャンスであった。
「……捕まえたぞ」
カタナはランスローの無血を持つ手を掴み、へし折った。
それも瞬時に再生されるが、一瞬だけはランスローの手から握力が失われる。
カタナはランスローを蹴り飛ばし、その僅かな時間で無血と引き離させる事に成功した。
「甘いよカタナ」
だが無血をカタナが奪った事で形勢逆転とはいかない。
「――な!?」
カタナの手から、奪ったはずの無血が消失し、次の瞬間にはランスローの手に戻っていた。
「この剣は常に使い手と共にある。不死身の剣と、不死身の使い手、無血はどちらが欠ける事も許さないのさ」
また一つ、カタナは勝利する為の手立てを失った。
「……反則すぎだろ」
それはもう文句の一つも言ってしまいたくなるほど、もはやランスローと無血に打ち勝つ手立てが浮かばない。
カタナは消耗を避ける為に霊子断の力を発現させていない巨無を、杖のように地面に突き立てて嘆息する。
その顔には受けた傷の痛みと、疲労の色が浮かんでいた。
「反則か、カタナにそう言ってもらえるなんて光栄だよ……でも、少し失望したな。カタナと戦えば僕の求めているものが手に入ると思ったのに」
がっかりしたように呟くランスロー。
カタナは腹の傷の回復の為に、止血しながらじっと動かずにいる。
「そのお腹、痛むのかい?」
「当たり前だろ、おかげさんでな」
少し荒くなった呼吸で苛立ち混じりに答えるカタナを、ランスローは興味深そうに眺める。
「痛い……か、羨ましいよ」
「あ?」
「僕は一度もそれを感じた事が無いんだ、だからどういう感覚なのか全然分からない。人に聞いても、理解できるような返答をもらえた事もない」
無痛症――ランスローが先天的に発症したその疾患は、彼に痛みも熱さも冷たさも感じさせない。
先天的なものだからこそ、無血で再生されても治ることは無い。
それゆえに無血の使い手に最も相応しい。
瞬時に再生させるできる無血でも、使い手の痛みは消すことはできない。
ランスローの前に無血を使っていた者は死ぬような痛みに耐えきれず、肉体は残っても心と魂が死に至り、使い手としての任を下された。
「カタナは誰よりも痛みを知っているんだろう? 聞いているよ、五年間も拷問を受け続けるような日々を送っていたって」
「……」
カタナとしても嫌な過去、その傷口を平気でえぐることが出来るのは、ランスローが痛みを知らない所以か。
「もしかしたらそんなカタナならば僕にも、それを教えてくれるかもしれないと思っていたけど、どうやら無理なようだね」
ランスローは無血を掲げる、黒い魔光がその剣から漏れ出し、何かの予兆をカタナに感じさせた。
「――!?」
何か嫌な気配、だがランスローとの間合いは大きく開いている。
しかしカタナは自分のその直感を信じて身をよじった。
すると一瞬後に、体の横を黒い線が走る。
ケンリュウの十月十日の飛ぶ斬撃とは似て非なる、見えない場所から振り下ろされた斬撃。
「よくかわしたねカタナ。初撃を避けたのはキミが初めてだよ」
「……何をした?」
「はは、無血が再生できるのは僕の体だけじゃないってことさ。世界に刻まれた存在の再生、この剣自身が刻んだ剣としての存在」
存在の再生、使い手の存在意義が死なない事であるのなら、剣としての真の存在意義は敵を斬る事。
無血はその斬撃を空間に刻み残し、再生することが出来た。
「さてここで問題、僕はこの空間でカタナに向かって、いったい何回この剣を振ったかな?」
再び無血から光る魔光、同時にカタナが感じる気配は、今度は一つではなかった。
「――ちっ!!」
全方位からの同時攻撃、気配だけで避け切るのは不可能。
カタナは浴びせかけられる斬撃に、全身を刻まれた。
走る痛みに、流れだす血。
更に目蓋の上から斬られた左目が塞がり、視界が狭くなる。
そんな傷だらけのカタナに、ランスローは拍手を送った。
「驚いたよ。これで決めるはずだったのに致命傷だけはしっかり避けてるじゃないか、まさかとは思うけど読んでいたのかい?」
「……んなわけ、ないだろ」
先読みではなく反射的に動いただけで、カタナの生存本能が常人より優れていたというだけ。
それにあくまでも避けたのは致命傷だけで、動きに支障の出るような傷もいくつか受けている。
もう一度同じ攻撃を受けたら、その時がカタナの終わりだ。
(……挑まれていたのは消耗戦じゃなく、確実に仕留める為の殲滅戦か。くそ、ランスローと無血の力を見誤っていた)
厄介な再生能力に意識がいき、無血があくまで武器であるという事に注意がいかなかった。
ようやくみせたランスローの奥の手は、カタナの心身に大きなダメージを負わせた。
「辛いかいカタナ? もしも楽に死にたいというなら、その望みだけは叶えてあげられるよ?」
せめてもの慈悲、というよりは憐みだろうか。
ランスローが告げる最後通告は、カタナの残った命の乏しい事を様に表す。
「……楽に、か」
もしも死ぬなら、楽に死にたい。
苦しまず、痛みを感じず眠るように。
だが、それはあくまでも死ぬ時の話だ。
カタナはまだ死にたくない、悔いも未練もこの世には多く残している。
「なあランスロー……」
「何だい?」
「……お前に勝つ方法が見つかった」
「は?」
全身傷だらけで、巨無に寄り添うようにしてようやく立っていられるような姿のカタナ。
対してランスローは無傷。
勝敗はどう見ても明白である。
「気でも触れたのかい?」
「いいや、逆に冴えているくらいだ」
力強い言葉と同様に、カタナから闘志は消えていない。
「二十八だ」
会話の脈絡なくカタナが言い放ったその数字。
ランスローも一瞬カタナが何を言いだしたのか理解できない様子だったが、すぐに気付く。
「……斬撃の回数かい?」
「ああ、そうだ」
カタナはランスローとの戦闘で、斬撃を向けられた回数を憶えていた。
戦闘に関しての全てが脳に刻まれる、それは記憶というより記録というべき、魔元生命体としてカタナに与えられたものである。
「お前が俺に向けて剣を振ったのは二十八回、だが実際に再生された斬撃は十二回だった。それも全く同時ではなく、ほんの一瞬づつ遅れて再生されていた。つまりそれが無血の限界なんだろ?」
どんな力にも限界や際限はある。
そこをつく事ができればカタナにもまだ勝機はあるのだ。
「敬服するよカタナ、戦いの中でそこまで分析して、ボロボロの死にかけでありながら、まだあきらめないその姿にね。でもいくら限界があるとしても、その間不死身の僕にキミが勝利するのはもう無理だよ」
「いいや、お前は不死身じゃない。まして、無敵でもなんでもない」
カタナは否定する、ランスローが言った虚勢と自身の敗北を。
それを証明する為に、巨無に霊子断の力を今一度発現させた。
傷だらけの体に魔元心臓の負荷を受け、相当な負担を強いられるカタナだが、その姿は悠然としている。
「……僕は負けないよ。負けるわけにはいかないんだ」
ランスローはカタナが動き出す気配を見せると、無血の再生の力をはつげんさせる。
カタナに向かって再び生まれる斬撃。
だがそれが物理的効力のあるものなら、巨無の霊子断で破壊することが出来る。
幾重も現れる斬撃を、カタナは致命傷になるものだけを破壊して、ランスローに向かって走り寄る。
「――ぐうおおっ!!」
大腿を深く切られ、もつれる足。
カタナは倒れる前に、地面に手をつき、その力で大きく跳ねた。
「そこは通行止めだよカタナ!!」
伸ばした巨無の刃はランスローに向かっていた、だが次の瞬間カタナの右腕は地面に落ちる。
ランスローは再生させた斬撃を、カタナから戦う力を奪うことに集中させ、巨無を掴んでいた右腕を切り落とした。
「どうだ、これ……で……!?」
「――俺の勝ちだランスロー」
カタナの左手はランスローの首を掴んでいた。
最初からそれが狙いで、先に巨無を伸ばしたのはランスローの注意をそちらに向けさせるため。
「……ぐ……はな……か……」
呼吸器の気道と血管の血流を抑えられ、苦しげに抵抗するランスロー。
カタナの周囲に斬撃が再生されるが、掴んだランスローを巻き込みながら倒れこみ、それを回避する。
「キレがないぞランスロー、苦しくて集中できないか?」
カタナはランスローの首を掴んだ左手を絶対に放すまいと、行き過ぎない程度に力を込める。
それが再生の剣である無血に対する、カタナの唯一の攻略法。
「痛みがなくとも、傷がなくとも人は死ぬ。お前が言った楽に死なせてやるという言葉、それがヒントになった」
無血の再生の力の限界、カタナがついたのはそれがあくまで再生であるという点。
如何に使い手を再生させる事が可能だとしても、人を超人として生まれ変わらせるような事は出来ない。
ランスローの無痛症という先天的なものはそのままであったように、人として生まれたことを変えることはできないのだ。
「呼吸ができなければ、お前は生きていられない」
不死身でも無敵でもなんでもない。
「……ぅ…………」
そうカタナに告げられたランスローの形相は、恐怖で歪んでいた。
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「はあ……くそ。流石にくっ付く訳ないか」
カタナは切り落とされた右腕を投げ捨て、巨無だけを左手で拾い上げる。
ランスローに勝利することはできたが、受けた傷も軽くはなく、特に右腕を失ったのは大きな痛手であった。
その傷を止血をしながら、隣に倒れているランスローをカタナは恨めし気に眺める。
「……結局、無傷か。どっちが勝ったのか解らないな」
カタナに首を絞められ失神したランスローは、まだ目を覚ます気配はないが、呼吸は安定しているので死に至ることは無いだろう。
ケンリュウもランスローも目覚められると面倒なのは明らかなので、カタナは少しふらつきながら立ち上がる。
「……行くか」
そして先に待つ、シュトリーガル・ガーフォークの元へ向かった。