四章第六話 侍女の迎え
カタナが目を覚ますと、手に布を構えたロザリー・ローゼンバーグが驚いたように身を震わせた。
「おわ、ビックリした。なんかすごい汗だったから拭いてやろうかと思ったんだけど、大丈夫なのかい?」
「ああ」
カタナはロザリーから布を受け取り、冷たくなった汗を拭う。
そして徐に、ベッドから降りて立ち上がった。
「え?」
呆然とするロザリーを尻目に、カタナは軽く跳ねたり重心を置いたりして足の状態を確かめていく。
(悪くない、多少の違和感はあるがこれなら十分だ)
リリイ・エーデルワイスによって行われた人体錬成は見事に成功。
カタナとしてはその儀式の半分くらい記憶が飛んでいるが、少しだけ以前よりも体が軽くなった気すらしている。
「ど、どどど、どうして……」
ロザリーは状況の把握ができていないのか、目を見開きながらカタナの足を指さす。
「……治った」
逡巡して、説明が面倒だと判断したカタナは事もあろうに一言で済ませようとする。
「いや、なんで治ってんだよ! それに、さっきまでの騒ぎはいったいなんだったんだ? 白衣のボクも赤毛のねーちゃんも、カタナっちが落ち着いた途端にぐっすりだし。ちゃんと説明してくれよ」
当然納得できない様子のロザリーだが、カタナはそれを押しのけて対峙しなければいけない相手を鋭く一瞥する。
「それで、何の用だ? 出迎えか?」
「は?」
首を傾げたロザリーはカタナの視線の先を見据え、同時に固まった。
そこには壁に一体化するように立つ、美しい姿勢の女性の姿。
自然で優雅で、それでいて主張しない。その立ち姿はかつてフルールトーク家の侍従長であったロザリーを感嘆させるほどに完璧であった。
「はい、おっしゃる通り。わが主の命にてカタナ様のお迎えに上がりました」
侍女服に身を包み、知性的な眼鏡が特徴であるランスローの従者メイティアは、恭しくカタナに対して頭を垂れる。
しかし彼女がその敬意を向けるのはランスローに対してのみ、カタナは主の客人であるというだけで失礼の無いように振る舞っているにすぎない。
それでも嫌味さは全く感じられないところの完璧な所作は、不法侵入を咎めるべき立場のロザリーがそれを忘れて呑まれるほどだ。
「そこにはあのジジイもいるんだな?」
「はい、主と共にカタナ様のご到着をお待ちしております」
「そうか、では行こう」
メイティアの誘いをカタナはすんなりと受け入れた。
「ちょ、おい待てよ!! 何サクサク話を決めてんだい!」
そのまま出て行こうとするカタナをロザリーは我に返って呼び止める。
「……落ち着け、仮にも元侍従長だろ。お里が知れるぞ」
カタナはメイティアと見比べながら嘆息する。
「うっさい、ロザリーさんだって本気だしゃそんくらいできるわ!! じゃなくて、何勝手に出て行こうとしてんだよ、お嬢様やあんたの連れはどうする気だい!」
「適当に説明しといてくれ。すぐ戻る」
「いや、ちょ……」
まるで最初から決めていたかのように、いや実際に決めていたカタナはロザリーの制止を聞かずに立ち去る。
すぐ戻る、その言葉に欠片の誠意もこもっていない事を自覚しながらも。
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「ご存じだったのですか?」
先を歩くメイティアは背中越しにカタナに問いかける。
何を、と聞かなくてもカタナには何の事を言っているのかすぐに解った。
「あんたがここをずっと監視してた事なら当然気づいていた。そうじゃなければ人体錬成なんて無茶、急いで行う理由がない」
作られてからずっと、どこにいても何らかの監視の目にさらされてきたカタナには、それを敏感に感じ取ることができた。
サイノメみたいにいきなり消えたり現れたりするような規格外じゃなければ、眠りながらでも人の気配を察知することなど染みついたものである。
「流石ですね。それでこそわが主が認められているお方です」
「……ランスローか、俺はどうにもあいつが苦手だ」
苦手と、そうそう口に出さない事を口に出してしまうくらいカタナはそう思っている。
「きっとカタナ様と真逆だからそう思われるのでしょう。私としては足りないものを補いあえるとても良い友人関係だと思っております」
どうにも不安定で、それでいてどこか隙を感じさせないランスロー。
安定しながらも隙だらけといえるカタナにとっては、確かに真逆の相手かもしれない。
「友人か……それこそ無理な話だ」
「どうしてでしょう?」
「あいつと同じテーブルでコーヒーを飲む姿を想像できない」
そのカタナの返答にメイティアは立ち止まり、振り返ってまじまじと見つめる。
「どうした? 何か変な事を言ったか?」
「いえ、コーヒーお好きでしたか?」
「いや、大して好きじゃない」
「?」
一層不可解だと疑問符を頭に浮かべるメイティアに、カタナは言っても伝わらないと無言で追い越して先を歩く。
「目的地はどこだ?」
「あ、ここより東にあるブルガード砦になります」
カタナは知らない場所であったが、五十年前の大戦で戦場になったところだと記録が教えてくれた。
フルールトークの別荘からほど近いが、徒歩で行くには一日以上はかかる距離。
「ご心配は無用です。馬車を用意してございます」
「……そりゃどうも」
飛竜には乗れても馬には乗れないカタナに対する配慮、その用意周到さはやはり最初から決められていたことなのだろう。
「ところで、俺があんたの迎えを断ったらどうしていた?」
「もちろんあの場にいた侍女が人質となっておりました」
優しげで知的な微笑みを浮かべるメイティアの言葉は、カタナの選択が最良であったことを物語っていた。
「更に言えば、もしカタナ様が立ち上がることもできない木偶であったなら殺すようにシュトリーガル様から仰せつかってもおりました」
「だろうな、いやむしろ今も隙あらばって感じだろ」
「……恐ろしい御方です。僅かの殺気も洩らしていなかったはずですのに」
「それ、恐ろしいのはどう考えてもお前の方だ」
カマをかけたら藪蛇だったカタナは、微妙な表情で歩調を緩めてメイティアの横に並ぶ。
流石に殺意を持っている相手に背中を見せ続けられるほど、カタナも図太くはなかった。
そしてフルールトークの別荘を出て、メイティアが外に用意していた馬車に向かう途中。
「どうして……お前がここに」
目の前に立ちはだかる少女と、その者が持つ一種の迫力にたじろぐカタナ。
月夜に照らされたブロンドの髪を揺らし、大きな瞳にしっかりと意思を通し、小さな体を少し震わせてフランソワ・フルールトークは言った。
「少しだけお時間を下さい、おにーさま」
それを無慈悲に振り切ることはカタナにはできなかった。