四章第四話 鍛冶師の見解
フルールトーク家の別荘であてがわれたカタナの部屋に、今は珍妙な客が訪れていた。
「論理的に考えて不思議だよ」
黒い高帽子に白衣という、いつも通り奇抜な格好のリリイ・エーデルワイスは、ベッドに上で上半身だけ起こしたカタナに向かって言う。
「今まで宝物庫に保管されていたから検証できなかったけど、この巨無ってカタナの……いや、魔元心臓の魔力によってしか霊子断の力を発現出来ないんだよね?」
リリイは巨無の柄を握って興味深そうに眺めている。
前は抜身で保管されていた巨無だが、持ち運びの為に鞘が用意されていた。
「……ああ、そうだ。他の人間が触っても、リュヌが触っても何も起こらなかった」
「なるほど……となると、純粋な魔人ならどうなるのかも興味深いね。リュヌさんは『黒死病』によって変異した個体だっていう話だから、魔人と呼ぶには違う様な気もするし」
リリイは独り言のように呟きながら、考察を進める。
「それに他の魔術武装と比べても、随分と非効率的な気がする。霊子断は脅威だけど、大量の魔力が必要となると、戦術級の魔術を発現した方が戦いにおいては有利に傾きそうなものだ。その辺、もし阻無があれば詳しく解ったかもしれないけど……」
「他の魔術武装――ランスローやケンリュウの物とはうまく比較できないか?」
「うーん、『無血』と『十月十日』か……あれらの仕組みもボクはよく知らないからなあ、ちゃんと見た事も無いし出来るのは推察くらい。解っているのは他の魔術武装は、外部からの魔力の供給は必要じゃないみたい、って事だけかな。そうじゃないと人間が扱えるわけないしね」
カタナもある事が気になっていた。
巨無に適応する為に魔元心臓があり、それを使う為にカタナが作られたのなら、同じ霊子断の力を持つ阻無や、他の魔術武装と一線を画す何かがあるのではないかと。
「もしかしたら錬金魔法で分解したら何か解るかもしれないけど?」
「……やめろ」
目を輝かせだした鍛冶師から、カタナは巨無を取り上げる。
がっかりするリリイに、そういえばとカタナは思いだしたように呟いた。
「おい変態、何でお前がここに居る?」
「え? ええー、今更?」
数時間も同じ部屋に居て、ようやく問われたその事に、リリイはげんなりする。
「呼ばれたから遠路遙々来たっていうのに、相変わらずカタナはつれないね」
「呼ばれた? 誰にだ?」
カタナが尋ねると、それに応えたのは部屋の隅に控えていたリュヌであった。
「私が呼んだのよ」
「……おい」
なんでこんな面倒な奴を、というカタナの視線をリュヌは正面から受け流し、リリイの肩に手を置いた。
「リリイ・エーデルワイスの錬金魔法の実力は、今の我が君にはもっとも必要なものではなくて?」
そのリュヌの言葉に、リリイはきょとんとした顔でカタナに窺う。
「え? え? 何の話? ボクはここに来れば、巨無を好きなだけ触っていいって聞いたから来ただけなんだけど」
「……」
カタナには解ってしまった、リュヌの言っている事、その思惑が。
常人の発想なら行き着かない、カタナが今もっとも望む事の解決策。
「なるほど……人体錬成か」
「さすが我が君ね、よく解ってるわ」
カタナの中に記録として、その知識はある。
動かなくなった両足をどうにかして治す為に、その考えもあった。
問題はそれが可能な実力を持っている者と、それをやっても良いと言う者が居るかどうかという話である。
「ちょっ、待った!! 人体錬成!?」
やはりというべきか、過剰な反応を見せるリリイ。
錬金魔法の知識がある者なら誰でも知っているし、その危険性も解っているのが当然なのだ。
「論理的に考えて無理!! ボクの錬金魔法の専門は無機物だし、そんな事をしたら拒絶反応で大変な事になるって知らないの!?」
「知っているわ、でも他に良い案は私には浮かばない」
「いや論理的に考えておかしい!! それがいい案だって言うのがそもそもおかしい!! ねえ、カタナもそう思うでしょ?」
リリイはリュヌでは話にならないと、カタナの方に顔を向ける。
いつもはカタナ自身も分解してみたいなどと言ったりする、かなり危うい変態思考のリリイだが、こういう時には意外な良識を発揮する。
あるいは、こと今回に限っては発揮せざるを得ないという方が正しいのかもしれない。
「いや、可能性があるならやってもらいたい」
「な、なんだって!?」
そんなリリイの良識を無に帰すが如く、カタナはあっさりとリュヌの考えに乗った。
「俺にはまだこの足で立ち、やらなくてはいけない事がある。その為にこれは避けられない事だ」
「それならまだボクが義足を作った方がマシだ!! 材料さえあれば、付加魔法と錬金魔法の髄を結集した最高の義足を作れる……だから、そんな危ない橋を渡らなくても良いだろ!!」
リリイはどうあっても反対らしく、強く否定する。
「いや、義足では駄目だ。出来る限り万全の状態の身体がほしい。ちゃんと戦う事ができるようにな」
「戦うって……何と戦うの? 王国と? それとも協会騎士団と?」
「……」
問われて、カタナは口ごもる。
禁忌に踏み込んでまで、何を望むのか……その自問自答は、逡巡の後にカタナに一つの答えを出させた。
「……シュトリーガル・ガーフォーク」
行方不明の協会騎士団の騎士団長。
カタナの後見人であった者、カタナとゼロワンを作らせ歪んだ運命を背負わせた張本人、そしておそらくカトリもその手にかかっている。
「この動乱の中、奴は姿を消した……その理由はきっと俺にある」
シュトリーガルが何を考えているのか、それはまだカタナにも解らない点が多い。サイノメやゼロワンから聞いた話には、不可解な点も多かった。
だが、間違いないのはカタナにとってシュトリーガルは敵であり、その逆もまた然り。
「奴はきっと俺の前に現れる……もしくは俺が奴の前に現れるか、どちらにしても生半可な覚悟と身体で挑める相手じゃない」
「……だから人体錬成だって? 馬鹿だよカタナ、騎士団長とどんな因縁があるのか知らないけど、拒絶反応の凄まじさを知れないから言えるんだ」
リリイは神妙な顔で告げる。
まるで見た事がある様な口ぶり、その真意は不意に訥々と語られた。
「実は僕は試した事があるんだ……いや、おそらく錬金魔法に関わる者ならば必修なのかな? 人間に対してでは無いけど、ボクの時は野良犬が実験台だった」
人体錬成の拒絶反応とは魂の拒絶。まるで神から与えられた肉体に手を加える事に対する罰であるように、その想像を絶するもの。
「前足の一本に手を加えただけだったんだけど、その犬はすぐに発狂して四肢を全て食いちぎった。霊子は神経系や血管を伝播するからなのかな……人に対して行われた実験の記録にある中でも、素手で自身の臓器をえぐり出したり、身体には影響が出なくても突然死に至ったケースもあるらしい……」
リリイは実験の現場を思い出したのか、少々顔を青くしていた。
「……解るかいカタナ、両足だけで済む話じゃない。そのせいで全てを失う可能性が高いんだ」
「解っている、これが結構な賭けだって事はな」
「だったら!!」
声を荒げるリリイを、カタナは首を振って制止する。
「……カトリにはもっと欲張って生きろと言われたが、俺にそんな生き方は性に合わないらしい。何度も捨てかけたこの命、今更惜しいと思わない」
「……」
絶句するリリイ、そしてリュヌは黙って成行きを見守っている。
「それに、俺は痛みや苦しみにはそこそこ慣れている。拒絶反応がどんなものかは流石に経験が無いが、耐えて見せるさ」
根拠なくそう言い張ったカタナに、リリイは溜息を禁じ得ない。
「……失敗してもしらないよ?」
「ああ、そうなったら巨無は分解してくれてもいい。無職、仮宿、無一文だからそれぐらいしかやれるものが無い」
真面目な顔でそう返すカタナに、リリイは更に溜息を深くする。
「……解ったよ、善処する。カトリさんの身体に手を付けた事のあるボクなら、少しは可能性もあるかもしれないし」
最終的にリリイは条件を呑み、心の準備と法式の理論立てがあるからと一旦部屋の外に出て行った。
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リュヌとカタナ、部屋には二人きり。
ここ数日は大した会話もない二人だが、珍しくカタナの方から声が掛かった。
「……あんたには感謝してる」
「え?」
不意に礼を言われ、首を傾げるリュヌ。
「ボロボロの俺をフルールトーク家まで連れて来てくれた事、そしてリリイ・エーデルワイスの事も……無関係なのに世話になりっぱなしだ」
「あらあら、無関係は酷いわね。これでも我が君の従者なのよ?」
リュヌはそう言うが、カタナは従者などと言われても、給料を出しているわけではないのでピンとこない。
「主従がどうとかは知らないが、俺はあんたの事はあまり信用していなかった。今も、正直なところは何とも言えない」
「まあ、そうでしょう。いきなり押しかけて従者だと言われても、不審に思うのが当然だわ」
「だが、世話になっているのは事実だ。だから礼を言っておきたかった」
そのカタナの物言いに引っ掛かるところを感じたのか、リュヌは問い質す。
「……それじゃまるで、心残りを無くしておこうという風に聞こえるわ」
「まあな、そのつもりで言った。人体錬成の成功例なんて聞いたことが無いからな、俺が魔元生命体だって事を考えても、うまくいく保証は無い」
とは言っても、今まで選んだ道のどんな選択も、カタナに保証が付いて来た試しは無い。
だからこそ、身辺整理をつける癖がついているのかもしれない。
「ふふ、意外にそういう所は気にするのね。でも、大丈夫よ何も心配はいらないわ」
「ん?」
何かを取り出してカタナに見せるリュヌ。
それは小瓶に入った、見るからに毒々しい紫色の液体だった。
「……なんだそれは」
「ちょっとした薬よ、毒に限りなく近いけど。主成分には非合法な物も含まれているけど安心して」
安心を吹き飛ばすような言葉が多分に含まれていたので、何とも微妙な目でカタナは見ていた。
「飲め、と?」
「ええ、リリイ・エーデルワイスが人体錬成を始める直前が望ましいわ。効力は鎮痛、鎮静作用と鎮魂」
「鎮魂?」
カタナをして聞き慣れない言葉。
「元はエトワール……私の上の妹が作った物なの。非人道的な実験の副産物かしら」
リュヌは少し気まずそうに答える。
カタナはいつかの記憶を思い出し、察してそれを受け取った。
「これで魂の拒絶反応は抑えられるのか?」
「いいえ、それでも完全には無理。だから他にもう一つ対処方法を考えてあるわ……大丈夫よ、何があっても我が君には無事でいてもらうから」
自ら勧めただけはあり、リュヌには成功させるための秘策があるようだった。