四章第二話 フランソワの癇癪
静かな部屋に、紙に筆で書きなぐる音がカリカリと響く。
フルールトーク家の別荘にある書斎、今そこにはフランソワ・フルールトークとリュヌが居合わせている。
しかしどちらとも口を開こうはせず、フランソワはせっせと書類にサインをしており、リュヌはその様子をただ眺めているだけ。
その沈黙が破られたのは一時間が過ぎた後の事、書類の整理が一段落したフランソワが、我慢比べに負けた様にリュヌに顔を向けた。
「……何をやっていたんですの?」
「フランソワ・フルールトークの仕事ぶりを、拝見させて貰っていたのだけれど。もしかしてお邪魔だったかしら?」
「わたくしが言っているのはそういう事ではありませんわ!!」
立派な机を両手で叩き、フランソワは身を乗り出した。
「どうしておにーさまの事をお守りできなかったのかと、聞いているのです!!」
「……」
フランソワは溜めこんだ癇癪を一気に吐き出すように、リュヌに向かって鋭い視線を向けた。
「貴方、言いましたよね。わたくしに対して償いがしたいと……ですからわたくしは、わたくしが会えぬ間のおにーさまの事を貴方に頼んだはずです。それが、このような体たらくとは……」
実はリュヌは先の誘拐事件の後、一度フランソワのもとに訪れていた。妹達と自分自身の罪の償いがしたいと、フランソワに対して贖罪する為である。
その時にフランソワは、自分に対しての贖罪の気持ちは必要ない、代わりにカタナの為に働き尽くしなさいとリュヌに告げ、それはカタナ本人には内緒にしておく事も約束させた。
「そうね、貴方との約束を守るならば、我が君から一時でも離れるべきでは無かった。こうなったのは私の力不足であり、それは申し訳なく思っているわ。でも、言い訳に聞こえるかもしれないけど、どうあっても立ち入れない事っていうのはあるものなのよ」
「……ゼロワンとカトリさんの事ですの?」
フランソワは大体の事の顛末をリュヌから聞いている。
「ええ、あの場には私が立ち入る隙が無かったわ。それに、立ち入ったとして良い結果になったとも思わない」
少なくとも部外者が手出しをできる様な状況では無かった、それだけは確かであった。
「ただ、その後のシュトリーガル・ガーフォークの介入に対して出遅れたのは私の落ち度に他ならない。フランソワ・フルールトーク……貴方が望むならば今一度ここで、改めて断罪してくれてもいいわ」
軽い口調だが、その言葉には己の非を認める度量と、フランソワとの約束に対しての誠意が籠っていた。
「……わたくしはもう貴方に言いました。おにーさまの為に働き尽くしなさいと……ですから貴方がおにーさまの侍従である限り、そのような権利はありません」
リュヌに対して苛立ちを向けてしまったのは単なる八つ当たり、それはフランソワも解っていた。
そして自分が出来ない事を他人に求めた結果を責める事が、どれほど子供っぽい行いなのかもフランソワには解っている。
「……でも言わせてもらいます、もし私が貴方であったなら。絶対におにーさまを危険にあわせたりはしない。身代わりになってでも、傷つけさせたりはしませんわ!」
及ばぬ理想を叫ぶ事が、どれほど無意味なのかも解っている。
しかしフランソワ・フルールトークはまだ子供なのだ、如何に理解があっても、本当に大切に想っているものに対しては歯止めがきかなくなる。
それを理解しているリュヌは、黙ってフランソワの癇癪を受け止める。
(大丈夫よフランソワ・フルールトーク……貴方の想い人は強い、この逆境にあっても瞳には力が宿ってる)
心配するような事は何もない、口に出さずともフランソワならば解っているだろうから、リュヌも言わない。
しかし同時に、カタナが今のままここにずっと留まっているとも思えない。
それをフランソワは察しているのか、情緒が乱れるのはそれが理由なのか、リュヌは何となく納得しながら思いを馳せる。
(本当に、罪な人ね)
許されるなら穏やかに過ごさせてあげたい、協会騎士団でカタナと共に過ごした日々は短かったが、リュヌは彼が心から望んでいる事が何なのか、その素晴らしさと共に理解している。
でも許されない。カタナの周りを取り囲むように、しがらみが、人の業が渦巻いている。
カタナに平穏はありえない、リュヌはその真理の残酷さをしみじみと感じた。
「そういえば聞きたい事があるのだけど、いいかしら?」
フランソワが言いたい事を言い尽すのを待って、リュヌは問いかけた。
「なんですの?」
「我が君が目覚めてからは一度も会っていないようだけど、どうしてかしら?」
カタナが重傷で意識不明であった時は、傍で付きっきりであったフランソワ。
だが、目覚めてからは世話を侍女に任せて、まるで避けるようにしている。
「……それは、おにーさまと約束したからですわ」
「約束?」
「ええ、わたくしがフルールトーク家を手中に収め、おにーさまと並び立つに相応しき者になるまでは会わないと……」
「そ、そう」
リュヌは、フランソワのその斜め上の発想と思想に驚く。
ただ誰かの隣に居たいというだけで、大商家を手に入れようとするその覚悟に。
「本来ならば、今もその為の時間が惜しいのです。他に何も用が無いのなら出て行って下さいまし」
元々特に呼び出したわけでも無く、リュヌが勝手にやってきて、二人きりのいい機会だったから文句を言っただけのフランソワ。
「あら、私は用があってきたのよ。忙しそうだったから待っていただけで」
「だったら早く言いなさい!」
フランソワが癇癪を起すのは、リュヌに対しての嫉妬も大いに関係する。
かつてカトリ・デアトリスにも示した、カタナの助けになれる武力という点と、更にもう一つ。
「……どうやったら、そんなに大きく」
「ん? どうかしたのかしら?」
自身の身体のある一点を凝視するフランソワを、リュヌは不思議そうに見返す。
「な、何でもありませんわ! それより用があるのなら、早くお言いになったらどうですの!」
「え、ええ」
挙動が不審なフランソワをとりあえずおいておき、リュヌは要件を告げる。
「まあ、用というよりは頼みかしら……いくつか調達して欲しい物があるのよ、紙と筆を借りるわね……」
そうしてリュヌは必要な物を紙に書いていく。
それを見せられたフランソワは、目を細めて疑問の声を上げた。
「これは、何に使うつもりですの?」
普通の商店にはまず並ばない品ばかり、そのほとんどは薬の原材料であるが、中には所持する事だけで法に触れるものも混ざっている。
「何に使うかは、今は秘密にしておくわ。でも、我が君とってきっと必要となるであろうものよ」
言い回しは気になるが、カタナにとって必要となればフランソワに断る理由は無い。
「……解りました、すぐに調達しますわ」
「ふふ、頼んだわよ」
「たったそれだけの用なら、早く言えばいいでしょうに……」
「ごめんなさい、フランソワ・フルールトークの頑張っている姿が妙に懐かしくて、ついつい眺めてしまったわ」
リュヌはフランソワに幼い妹の姿を重ねていた。
もう遠い昔の事、すぐ手を伸ばせば幸せを抱きしめられた時。
「……わたくしは貴方の妹ではありません」
流石の観察眼なのか、何も言わなくてもリュヌの思っていた事をずばり当てるフランソワ。
「そうね……やはりお邪魔だったかしら?」
「邪魔とまでは言ってないでしょう」
「え?」
「……ふん、このフランソワ・フルールトークの集中力を侮らないで下さる? 貴方に眺められる程度で、気を散らせるわたくしではありません」
リュヌの目には結構気を散らせているように見えたが、フランソワは堂々と言い張った。
「べ、別に、貴方を追い返す事でおにーさまにイジワルな女だと思われるのが嫌だとか、そういう事の言い訳に言っているのではありませんわよ」
だが本音をそうやって零すあたりは、フランソワもまだまだである。
(あらかわいい)
特に意地悪という言葉のチョイスが、リュヌにはツボであった。
「じゃあお言葉に甘えて、もう少しだけ居させてもらうわね」
「う……もう、お好きになさい」
フランソワは何とも微妙な表情で、机に置いてあった書類の束に向き直る。
それをリュヌは、幸せそうな穏やかな表情でしばらく眺めていた。




