四章第一話 カタナの憂鬱
大陸の情勢は動き出していた。
ミルド共和国に対して宣戦布告をしたバティスト王国は、国境付近に兵を集結させ緊張を与え、共和国側も協会騎士団をはじめとする戦力を早急に結集する方針で、事態に対応をみせていた。
ガンドリス帝国に関しては、あくまで二国間の争いであると傍観を決めたようで。軍を動かす事も無く、あくまで事の成り行きを見守っている。
そんな中、各国の民はいつ勃発するか解らない争いに怯え、国境近くに住む者は既に家を捨て、安全な地を求めるように移動を始めていた。
そうして多くの者が奔走し緊張を走らせる中、動かない者もいる。
いや、動けない者もいた。
「腹の傷はもう完治したようじゃん。医者もびっくりしてたよ、尋常じゃない治癒力だってさ」
「……そうか」
カタナは包帯を換えに来た女の言葉に、おざなりに頷く。
言われたように、カタナがシュトリーガルによって貫かれた腹の傷は完全に塞がり、落ち込んでいた体力も充分戻り出している。
しかし、それ以外に受けた傷が今のカタナを苦しめていた。
「足の方はなんて言っていた?」
「ああ、それやっぱり知りたいよな……」
煙草を咥えだした女――フルールトーク家の侍女であるロザリー・ローゼンバーグは言い難そうに、カタナから目を逸らす。
協会騎士団に居場所を失い、更に瀕死の状態であったカタナが、リュヌによって連れて来られたのがフルールトーク家であった。
他に頼るあての無いカタナを、フランソワ・フルールトークは当然の様に受け入れ、その身を匿うように現在はフルールトーク家の別荘で療養をさせていた。
「……カタナっちの足は、おそらくもう動かない」
ロザリーは散々言いあぐねた後、暗い表情でそう告げた。
冗談を言っているのではない事は一目瞭然、そしてカタナもそうなるだろうと思っていた節もあり、自身の両足に起こった変化を受け入れた。
(霊子断……霊子レベルで破壊されれば、再生は不可能か)
ゼロワンの阻無によって斬られた足の腱は、現在の医学や魔法での治療を受けつけない。
それどころかいずれ壊死して、全身に影響が出る可能性もあるという。
「カタナっちの身体が強いからか、まだ壊死は始まって無いようだけど、医者は切断手術を進めるって……」
「ああ、解った考えておく」
酷く辛そうに言うロザリーに対して、カタナの反応は淡白なもの。
「なんて顔をしてる、俺の脚の事であんたが気にする必要は無いだろう?」
「いや、必要とか不必要とか関係なく気にすんだろ普通! 世話になってるカタナっちが、いきなり瀕死の状態で運び込まれたと思ったら、今度はそんな重たい話まで聞かされて……それにコレ、町に貼り出されてたよ」
そう言ってロザリーは一枚の紙きれをカタナの目の前に差し出す。
それは協会騎士団の発行する手配書である。
内容は、ある人物の失踪に関与すると思われる重要参考人として、カタナを指名手配するというもの。
「……ある人物か」
それは騎士団長のシュトリーガル・ガーフォークの事。
カタナ達との戦いの後、シュトリーガルは突如失踪し、その消息は未だ誰も掴めていないようだ。
手配書で名前を伏せられているのは、おそらくこの時下での騎士団長不在を、表沙汰にしたくない配慮だろう。
消息不明といえば、カトリ・デアトリスがどうなったのかもカタナは知らない。
こういう時に役に立つサイノメとの連絡方法もなく、風神の事を任せたあの時を境に一度も姿を見せていない。
表情の陰ったカタナが溜息を吐くと、ロザリーはベッドに腰掛けた。
「話はあの赤毛のボインねーちゃんから聞いたけど、大丈夫かい? その、色々と……」
カタナを元気付ようとしても、その言葉が浮かんでこないのか、ロザリーは窓の外に目をやりながら気まずそうにする。
「大丈夫だ」
「……いや聞き方が悪かった、カタナっちなら絶対そう言うよな……あーまったく気を遣うなあ本当に!」
髪をかき上げ、ロザリーはベッドの端をバンバン叩く。
「カタナっちが、もっと凹んでくれればいいのに! そしたらきっともっと解りやすいに違いない!」
「……あんたは何を言ってるんだ?」
「何もしてないのに殺されかけた上、指名手配までされてるんだろ? そんな波乱万丈な相手にどう接していいか解んないって事。フルールトーク家の従事マニュアルには載ってなかったし」
そんなものが載っていないマニュアルは正しい。
だがロザリーは不服な様子でいじけたように足をぶらぶらさせていた。
「あーあ何かごめんな、ロザリーさんてば本当に役に立たない侍女で。こういう時に何か良い話とかできればいいんだろうけどさ……」
「俺はここに置いて貰っているだけで充分だ。もう騎士でも無く、俺には何も残っていない、迷惑をかけて謝るのはこちらの方だ」
「いや、それは違うだろ」
ロザリーはキッパリと言い放つ。
「カタナっちはフランソワお嬢様の騎士だ、あの時の誓い忘れた訳じゃないよな?」
「忘れてはいないが、あれは協会騎士団の儀式だ。今の俺には……」
もうその資格が無いと言いかけたカタナの口を、ロザリーは手で塞がせた。
「協会騎士団は関係ないよ。あの時の誓いがあるから、こうしてロザリーさんもフランソワお嬢様もカタナっちを信じているんだ」
「……」
黙り込むカタナにの目の前で、ロザリーは手を鳴らした。
「別に何か見返りを期待してるわけじゃない。カタナっちがお嬢様を守ろうとした時も、何か見返りを期待した訳じゃないだろ? だからこれはお互い様」
そう言ってロザリーは、満足そうに頷く。その上何かに気付いたように目を見開いた。
「あ、これひょっとして、ロザリーさんいま良い事言ったんじゃない?」
「……かもな」
「やりい、さすがは元侍従長だ。ロザリーさんってば役に立つ侍女!」
自画自賛を始めるロザリー。
まだ気を遣っている感じは否めないが、徐々に彼女らしい明け透けな所が出て来ていた。
その一方でカタナは思う。
(……誓い、か)
かつて自分が定めた誓約に、どれだけ誠実でいられるだろうかと。
たとえもし両足が動く事になったとしても、今のカタナはかつてのように思う事は出来ない。
心の奥に淀む影、今までに感じた事の無いくらいの重く深い感情。
(この感情のままに動けば、もう誰も俺を受け入れない。それでも……)
もしその時が来れば迷わない。
それが何もかも失ったカタナに残った、ただ一つの自分を表すものだから。
「……ところでリュヌを見なかったか?」
「ん? ああ、あのねーちゃんの事か。いや、そういや今日は見てないけど?」
「そうか、ならいいが……」
「ん?」
ふとリュヌが目の届く所にいないという事に、カタナは若干の不安を覚えた。
リュヌとフランソワは、まさしく以前にあった事件の被害者と加害者であり、だからこそリュヌはカタナをフルールトーク家まで連れて来たのだが、二人の軋轢がどうなっているのかまではカタナは知らない。
ロザリーはリュヌの事を知らなかった為に、不審に思ってはいないようだが。
(……いや、何か企むなら俺の意識が無い内に終わっている筈か)
仮にも命を助けてくれた者を疑うのはどうかと、カタナは思い直し。今は動かなくなった両足をどうするか、そちらに考えを裂く事にしたのだった。