三章第二十二話 書簡が揺るがす平和
協会騎士団の副騎士団長ルベルト・ベッケンバウワーは、まるで共和国全土に響き渡る様な怒号を発した。
「宣戦布告だと!?」
バティスト王国の使者からミルド共和国議会にもたらされた書簡には、開戦を宣言する旨が克明に記されていた。
既に議会ではその対応についての討議が行われ、五十年来の大事に大きく議論は揺れているらしい。
そこでまずは共和国最大の戦力である協会騎士団の長の意見も聞きたいと、臨時議会への参加がルベルトに対して求められたのだ。
「解った、すぐに参ろう」
どうして騎士団長ではなく、副騎士団長であるルベルトが徴集に応じなければいけないのか。
その理由は、騎士団長であるシュトリーガル・ガーフォーク付きの秘書官が持ってきた封書に記されていた。
『ミルド協会騎士団の騎士団長の持つ権限を、全て副騎士団長のルベルト・ベッケンバウワーに委譲する』
それは目を疑う様な内容であったが、同時にシュトリーガルの行方は不明となっており、ルベルトは突然のその知らせに困惑した。
しかし王国からもたらされた宣戦布告という一大事に、むしろルベルトは一周して落ち着きを取り戻し始める。
(予兆はあったが、まさかこのタイミングでくるとはな……いや、このタイミングだからこそか……)
全権を委譲された以上、ルベルトは今騎士団長の代理。
副騎士団長に就いた時点で、それを務める覚悟は持ち合わせていた。
(まずはグラクリフト殿を呼び戻さなくてはならないか……いや、国境付近には王国が兵を集結させ始めているとの報告もある。こちらも迅速に方々の騎士を集めるべきか)
何にせよ、戦いになる以上は狼狽えてはいられない。
ルベルトは騎士であり、更には騎士の上に立つ者。
国を守り、民を守り、そして騎士を守る為に、彼は学び高め鍛練した全てを遺憾無く発揮しなければならない。
(帝国の動きも見なければならないし、竜騎隊にはまた苦労をかける事になりそうだ……まったくこんな時にどうして奴は……)
居ない者の事を考えてもしょうがないという事は解っているが、ルベルトにとって何よりも気に食わない顔が頭に浮かぶ。
つい先日までは聖騎士の称号を持っていた男。決して今は必要な人材では無いが、無駄な心労をかけさせられた分、八つ当たりしたくもなる。
(……カタナめ、脱走などと、もし次に会う事があれば見ておれよ)
いつもルベルトがそうであるからか、険しい表情で大股で歩く彼とすれ違う者が、その機嫌の悪さが特別だと気付く事は少なかった。
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大陸の北を占有するバティスト王国の宮廷。
その女王の部屋では、主と宰相が同じ卓で杯を交わしていた。
「ほほほほ、今頃は共和国の塵芥どもは慌てておろうな」
女王ユヨベール・ケニス・バティストは、表向きにも五十年の平和を維持した大陸に戦雲を呼んだ事を、まるで誇らしい事のように語る。
「妾の宣戦は、これより後の大陸史に残り続ける事であろう。何せこのバティスト王国が大陸を統一する大きな一歩なのじゃからな! ほほほ、心配せずとも宰相の名もそこに刻まれる事を約束するぞ、妾の敬虔な右腕としてな!」
そのユヨベールの想像する未来とは、どれだけ彼女にとって都合が良いものかと、宰相ラスブートはそのあまりのおめでたさに苦笑いをする。
「……それは有難き幸せ」
調子だけ合わせるラスブートの態度も気に掛ける事無く、ユヨベールは楽しげに杯の中のワインを揺らしている。
「ほほほ、今日は無礼講も許すぞ。他の臣下の者もいないのだから恭しい態度は止めて、そちも大いに楽しむといい」
そう言って珍しく酌をしようとするユヨベールに、ラスブートは頭を下げて杯を差し出す。
慣れない手つきで雑に注がれるワインは泡立ち、香りを飛ばした。
ラスブートはそれを一口含み、すぐに杯を卓に戻す。
「しかし、帝国の方は良かったので?」
長く無言にならない程度に気を遣い、ラスブートは話題を振る。
ユヨベールが望む話題をラスブートは持ち合わせていない為、こういう時にいつもは不満をかうのだが、今日は相当な上機嫌らしく御咎めは無い。
「放っておけ、どうせ帝国は漁夫の利を狙う事しか頭にない。二国が潰し合った後に動けばいいと静観するに決まっている」
珍しく的を射た事を言うのは、誰しもがそう思いつく事だからだろう。
「それにもし、共和国と帝国が徒党を組んで向かってきたとしても関係は無い。まとめて潰せば良いだけじゃからな」
とるに足らない事のように言ってのけるユヨベール、それが出来なかったからこそ、この五十年の停滞があったのだが、今はそれを実行できるだけの材料が揃っていた。
「ほほほ、先祖が残した遺産はまっこと素晴らしい。何よりも、正当な血を受け継いだ妾だけにしか扱えぬというのが特にな」
「ええ、アレが動き出した暁には陛下に逆らえる者は大陸……いえ、この星を見渡してもいなくなりましょう」
「じゃろう? もうすぐじゃ、そちが長年解析に努めた旧王国の遺産で、かの予言を成就させる。その瞬間が待ちきれないわ」
適当に持ち上げれば勝手にユヨベールは気分を良くするので、後は放っておいてもいい。ラスブートはこの卓での役目を果たした事を確信し、適当に酌をする側に回ることにした。
(……ふん、酔っていられるのは今の内だけだ女狐。あの力も予言も、結局は通過点に過ぎないのだからな)
ほくそ笑むラスブートだが、計画通りだと手放しで喜べない事由もある。
(凶星の存在如何によって、戦場の様相も変わるだろう。私がここに居て、馬鹿な女狐を繋いでおかなければ計画も狂いかねん。だからこそあいつらの末路を見届ける事は出来なかったが……)
黒の巫女の『災予知』の天敵である凶星、その可能性を持つ者に対して打つべき手の正解を打てたどうか、その不安要素だけはラスブートの中で尽きぬ事は無い。
(だがこれでいい、悩み考え抜いて動き出す。私は、ずっとそんな私を信じてきたのだから……)
ずっと付いて来た仲間達を死地に送りつけた事も、全ては彼の計画と信じる予言の成就の為。
(ギルダーツ、グリシルク……まだ知らせは届いていないが、私の期待通りに死んでくれているのだろう?)
ラスブートは残っていたワインを一口で飲み干す。
手向けとして杯をかかげ、しばし黙祷に時間を捧げた。
既にユヨベールは酔いつぶれていたので、室外に控えていた侍女に後始末を任せてラスブートは去る。
(最後の黒の民、いやMA―JIN3944……)
この世界と人間の醜さを良く知る彼は、深い呪いを自分自身に改めて刻みつけた。




