三章第二十一話 始まりが終わる
精霊子との同期により、その感覚も超人の域に達したカトリ・デアトリスの一撃は、驚くほど正確にゼロワンの魔元心臓だけを破壊し、命にかかわるような重要な器官には傷をつけていなかった。
「は……はは」
ゼロワンの胸に突き刺さっていた刃が、引き抜かれる。
流れ出る血の量は少なくは無かったが、ゼロワンは倒れずに立ったまま傷口を抑えて止血をする。
重要な器官は避けられていると言っても、胸を貫かれた傷をそのままでは、如何にゼロワンといえど活発な活動をするのは無理がある。
「……まったく馬鹿げている。こんな事になるならば、安い同情など捨て去ってお前を殺しておくべきだった」
恨み言を零すのは、ゼロワンがそれだけ敗北を認めているから。
「その気持ちはよく解ります。私もずっと負け続けでしたから……貴方にも、カタナさんにも」
対照的にカトリは、また一つ何か吹っ切れたような表情であった。
持っていた感情はともかく、目標であった者に勝利したという結果。それにカトリは、充足した気分で新しい自分を誇る。
「治癒魔法、必要ですか?」
「……甘い事だな、俺がお前の人生を狂わせた事は変わりないと言うのに」
「言ったでしょう、許す事が勝利だと。私はもう、憎しみで剣を振る様な事はしません、そして出来れば貴方にもしてほしくありません」
「……お節介な奴だ、まるで誰かにそっくりだな」
呆れるようにそう言って、ゼロワンは視線をカタナの方に向けた。
事の成り行きを見守っていたカタナであったが、そのゼロワンの言葉には嘆息を返さざるを得ない。
「あんたもだろ」
「そうかもな……だが、この結果はまずかった」
ゼロワンはカタナとカトリを交互に見据えながら、不吉な言葉を二人に告げる。
「まさかこんな事になるとは予想していなかったが、この状況……カタナが倒れ、俺が魔力の拠り所を失い、カトリ・デアトリスが勝利したという結果をどう見るか」
ゼロワンの意識はもう別の場所に移っていた。
敗北したとはいえ、魔元心臓を失ったとはいえ、彼にはまだ足を止めるという選択は無い。
「……カトリ・デアトリス、お前は何故ここに来た?」
突発的に始まった戦闘にもかかわらず、カトリはこの場所に来た。それがどうにもゼロワンには解せない。
カトリはその質問に少し逡巡を見せた後、
「風信の魔法で呼ばれたからです。馬鹿な兄弟喧嘩を止めろと、知り合いからこの場所を聞きつけました」
「何だと?」
その言葉に、ゼロワンは戦慄する。
この場に居ない第三者の介入、それがどんな意味を持つのか考えそして至る。
「……まさか」
ギャアアアアアアアアアアアアアン
「伏せろ!!」
赤子の叫び声の様な風切り音が聞こえてくるよりも、かろうじて一瞬速くゼロワンはカトリを突き飛ばす。
飛ぶ斬撃。
ケンリュウ・フジワラの十月十日の力が起こす一閃が、けたたましい音を響かせて通る道にある一切を斬り裂く。
「……頼む」
両断されたゼロワンの身体が、今まで口をきいていたのが嘘であったように、切り口から血を吹き出して、ただその場に倒れた。
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尻尾も覗かせなかった狸が、とうとう牙を剥く。
凶星が集まり、それぞれの力が弱っているこの時こそ絶好の機会。
解っていれば逃す筈は無かった。
「……シュトリーガル・ガーフォーク」
カタナの目の前に現れたのは、剣聖として協会騎士の頂点として畏敬の念を向けられる者。
その男に対してカタナが抱くべき感情はどういうものであるべきか、まだはっきりしていない。
だが倒れたゼロワンの死体を見て、憤りを感じている事だけは確かだった。
「今のは、あんたがやらせたのか?」
「ええ、彼は協会騎士団の……いえ、私の敵ですから。カタナくんにとっては残念な結果かもしれませんが、ケンリュウくんの手を借りて排除する事にしました」
シュトリーガルの接する態度はまるで無機質、表情は能面のようにカタナは感じた。
それが以前に、騎士のあるべき姿や命の尊さを諭していた者と本当に同一人物なのか、まるでカタナの中にあったシュトリーガル・ガーフォークという者のイメージが音を立てて崩れていくようである。
「……あんたがこんな事をさせるなんて」
「意外ですか? だとしたら私は随分とうまくやれていたようですね。キミに対しては慎重な態度で接してきましたから」
シュトリーガルは表情を変える。まるで嘲笑するようなうすら笑い。
「でもこれが本当の私という訳です。剣聖という異名も、それだけの命の奪ってきた結果ですから。まあ一部の者には狸などとも呼ばれていますがね」
呼ぶ名を肯定するように冗談めかして言うシュトリーガルに、食って掛かったのはカトリ。
「勇者の意思を継ぐべき協会騎士団の長がそのような事を言うなんて、どうしたというのですか? それに今の攻撃、庇ってもらわなければ私も……」
ゼロワンが咄嗟に庇わなければ、カトリも命を落としていたのは間違いない。
シュトリーガルの言い分からすれば、敵を排除する為の行いらしいが、そうなるとカトリもそれに含まれてしまう事になる。
「ええ、出来れば二人一緒に排除したかったのですがね。それが一番面倒が少なくて済みますし。それに勇者の意思を継ぐと言うことならば、この行いこそが私にとって正義なのですよ」
あっさりと肯定したシュトリーガルの目的は何なのか、その疑問をカタナ達が口にする前に、もう一人この場に現れる者が居た。
まるで貴公子然とした風貌の、協会騎士団の聖騎士の一人であるランスロー。
彼が現れた事で場に一層の緊張感が高まる。
「わざわざ無駄な話で時間をかけなくてもいいでしょう? 退団者とその配下の者の始末は僕がつけます、団長の手を煩わせるまでもありません」
完全に敵視するように、カタナ達に向けて殺気を漲らせるランスロー。彼が剣を構えた事で、カトリも反射的にそれにならう。
「……私達が何をしたというのですか? そのような殺気を向けられる覚えはありません」
「覚えが無くても団長にとって君達は敵だ、だから僕はそれを排除する。ただそれだけさ……」
一触即発の空気、その中でカタナは戦う意思を示したカトリを制した。
「待て、戦わずにお前は逃げろ」
介入が混沌としてくる中、カタナは冷静に戦力を分析して出した結論を述べる。
相手は『剣聖』と謳われたシュトリーガルに、『無血騎士』のランスロー、そして姿は見えないがケンリュウの三名が相手。
足をやられて動けないカタナはただの足手まとい、如何に強くなったとはいえカトリ一人でそれを相手にするのは荷が重いと思われる。
「お兄さんがやられたというのに落ち着いているねカタナくんは」
シュトリーガルが感情を感じさせない声音で言う。
「……本当は今すぐあんたを殴りつけたいに決まってんだろクソジジイ」
神経を逆なでる様な言葉に、カタナは抑えている感情を僅かに露わにする。
それでも無理やりに感情を殺そうとするのは、この状況でこれ以上カトリの足手まといになりたくないからであった。
「でも俺は欲張りじゃない。出来ない事は望まないし、あんたがなんでこんな事をするのかも知らないままでもいい」
カタナが一番憤りを感じるべきは無力な自分自身、無知であった自分自身、こんな結果を想定できずに呼び込んでしまった自分自身に対してだ。
だからカタナは立ち上がる、斬られた足の腱をまだ残っている僅かな筋肉で補い、傷口から血が噴き出るのをものともせず、その痛みに耐えながら。
「その傷では無茶ですカタナさん!!」
「いいから逃げろカトリ、足止めくらいは意地でもしてやるから……」
巨無を構え、決死の仁王立ちでシュトリーガル達を威圧するカタナ。
しかし無情、そのカタナの足掻きは徒労に終わる。
「……く、そ」
腹を貫かれ、意識を奪う刃の先の能面に、カタナは血を吐き捨てる。
シュトリーガル・ガーフォーク……剣聖と謳われる者の技はカタナもカトリも反応を示す事ができなかった至高のもの。
あらゆる武術の頂にある奥義『無拍子』。
斬られた者がその瞬間まで知覚できない、まるで意識の外から撃ち込まれるような、予備動作も殺気も纏わぬ自然体を極めた技であり業。
立つための力を奪われ、カタナはなすすべなく倒れてしまった。
「カタナさん!!」
カタナを助けに入ろうとするカトリだが、その前にはランスローが立ちはだかる。
「お前の相手は僕がしようか女」
「邪魔です!!」
それを躯身魔法で圧倒するカトリ、霊力の残りは心もとないがランスローに対して一対一では後れを取らない……はずだった。
「……どんな奴でも、攻撃の瞬間には隙が出来る」
カトリが振るった剣の一閃には確かな手応えがあった。
だが目の前のランスローは無傷。
その目を疑う様な光景は、霊光の上ったランスローの反撃で赤い血の一色に染まる。
「『魔術剣・無血』はどんな傷でもたちどころに治す不死の剣。たとえ千回斬られても、無理な躯身魔法で体を壊してもこの通りさ」
「……カタナさん」
深手を負わされたカトリに、ランスローの言葉はほとんど聞こえていない。
あるいは目の前の相手に集中していれば、まだ勝機はあったかもしれないが、先に傷付き倒れたカタナを見て、カトリは冷静さを欠いてしまった。
カタナが恐れたのもそれ、カトリの力が明瞭たる意志によって発揮される事を理解していたが故、余計な事に気を取られないように逃げろと言ったのだ。
「そんな事……出来る訳ないでしょう」
シュトリーガルは倒れたカタナに止めを刺そうとしている。
この状況で一人逃げる事をカトリはしたくなかった。
もう一度剣を取ったのは、今度は誰かの為に剣を振る生き方を選ぶため。生まれ変わってもそんな自分を誇る為だ。
(……ゼロワンは、最後に『頼む』と言っていた。あれはきっとカタナさんを頼むという意味に他ならない。デアトリス家によって苦しみを味わった二人に、カトリ・デアトリスとして出来る事があるならば)
ここで退いてはいけない。
負ける事を恐れない、その勇気だけはいつだって彼女にはある。
そして突然視界に霧がかかったのは、カトリのその決意のすぐ後の事だった。
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「やはり凶星……運命には随分ともてはやされていますね」
シュトリーガル・ガーフォークが独りごちる。
カタナに止めを今こそ刺そうとしていた時に、霧と共に現れそれを阻んだ赤髪の美女は以前に見た記憶がある。
「確かリュヌさんですか、改めてこうして見ると五十年前から変わらない貴方が本当に羨ましいですよ」
カタナの従者として協会騎士団に居たリュヌだが、実はシュトリーガルとは五十年前の大戦時に面識があった。
「あら、憶えていたのね、知らないふりをしていたなんて性格が悪い事。私もあの時は王国近衛騎士団の末席で、たった一度しか面識が無かったから忘れられていると思っていたわ」
シュトリーガルもまだ若く、騎士として大成してはいなかった時。
リュヌはまだ人として騎士の道を歩んでいた時。
「でも、今の貴方には本当にがっかりよ。何を思ってこんな事をするのか、あの時からは考えられないわね」
「齢を取ったという事ですよ、貴方と違って……それで何の用ですか? まさかカタナくんの為に、私と戦うとでも?」
リュヌの生み出す魔力の霧が、濃さを増して視界を奪っていく。
「……いいえ、私は我が君の御意のままに」
「――!?」
リュヌは倒れているカタナを抱きかかえ、潔く逃げの一手を選ぶ。
他者の血を取り込む事で魔力を生み出すリュヌだが、それを今は自ら禁じている。もう一度人としての生を歩む為に、吸血鬼の力は邪魔でしかないから。
だが今はそれに頼る事に迷いは無かった。
ギャアアアアアアアアアアアン
リュヌの気配を察してか、ケンリュウの一閃が何処からともなく飛んでくる。
「『霧魂』」
斬り裂かれたリュヌの身体は、一旦霧消した後に蘇る。
魔力と魂を同調させ、自身の身体を霊子レベルまで分解し再構成する吸血鬼の技術。
「……妖の術か、面妖な」
ケンリュウはリュヌの力にぼやくものの、辺りを包む霧が薄くなった事に気が付き、もう一度居合の構えを取る。
「前門には竜、後門には狸……ふう、たまわらないわね」
なんとしてもカタナを逃がそうと邁進するリュヌだが、易々と逃がしてもらえる程甘い相手では無かった。
カタナを抱えたままでは戦う姿勢もままならない、逃げるにしても背後からケンリュウの攻撃を受ければ、リュヌは足を止めざるを得ず、カタナにも危険が及ぶ。
「雷槌!!」
「……ぬう」
だが霧の中からケンリュウに向かって雷撃が飛び、布陣に乱れが生じる。
「行ってくださいリュヌさん!!」
「……感謝するわ、カトリ・デアトリス。絶対に貴方も逃げ延びて頂戴」
カトリが叫び、リュヌは頷きその隙を逃さずに走り去る。
姿勢を崩したケンリュウは構えを取り直そうとするが、一気に間合いを詰めてくるカトリに対して牽制が必要になり、結果としてリュヌを見逃す形になった。
「貴方達の相手は、このカトリ・デアトリスが致しましょう!!」
カタナやリュヌの願いを汲まず、カトリは殿を務める事を選ぶ。
だくだくと血を流し、息も荒い。
そんな彼女から上る霊光は、今までで一番輝いている。
まるで命を削るかのように。
「『精霊躯身魔法・一神一体』」
身体を包む白銀の鎧と、その手の黒刃が揺らめく。
迷いを無くしたカトリの最期の力をその目に焼き付け、シュトリーガル・ガーフォークは深く呟いた。
「……やはり、この時代の凶星は彼だったか」
シュトリーガルにとっての始まりが、この時にようやく終わりを見せた。