三章第二十話 私が私として
カタナとゼロワンの間に突如割って入ったカトリ・デアトリス。
その来訪が何を意味するのか考えるよりもまず、ゼロワンは自然と呟いた。
「……お前、まさか」
相対するゼロワンは何かに気付いたように、まじまじとカトリを見ている。
カトリはそれに対して微笑を浮かべた。
「ええ、そうです」
カトリのその目にはかつてあった憎しみも、不満も怒りも見て取れない。
あるのは全てを乗り越え、過去と今を受け止め、未来へ進もうとする強い意志。
「私は決めました、自分自身の全てを受け入れる事を。私が私として生きていく為に……」
過去に縛られていた彼女では、きっとその答えに行き着く事は無かった。
今を望んでいた彼女にも、きっとその答えが見える事は無かっただろう。
生きていく先を見据え、自分自身の為に正しいと思う事をする。それでもなお、今までのカトリ・デアトリスを捨てる事はしない。
「貴方に恨みを向ける様な事はもうしません。ですが私は忘れません、貴方がデアトリス家の者を始めとする、多くの人々を殺めた事を」
「……だからなんだ?」
「貴方には同情しています、貴方の行いが自身の正義を貫いた結果だという事も理解しています。ですが、私も貴方は間違っていると思います」
カトリはゼロワンの行いを否定する。
「『本当の勝利は相手を許す事にある』、私の記憶に刻まれた勇者ミルドレットの言葉です」
かつて、遺恨を残したまま同盟を結んでいた王国と帝国が、本当の意味で手を結ぶ事を決めた言葉。
勇者が戦いと希望の神として崇められる理由の一つとなった、調和の言葉である。
「争いは争いを、憎しみは憎しみを、悲しみは悲しみを生むだけです。貴方にもそれは解っているでしょう?」
「だからなんだ? 俺にそんな綺麗事を鵜呑みにさせて、ニンゲンを許せとでも言う気か? いきなり現れてふざけた事ばかりぬかすな」
「……貴方になら出来る筈です。だって貴方には、命を賭けてまで止めようとしてくれる人が居るじゃありませんか」
そう言ってカトリは横目で、カタナを指す。
カタナは無言で頷いてゼロワンを見ているが、肝心のゼロワンはあえてカタナを視界に入れないようにしているのか、もうカトリしか見ていない。
「詭弁は結構だ、俺はそんなぬるい覚悟でいる訳じゃない。カトリ・デアトリス、俺もお前には同情の余地があったから生かしていたが、もし邪魔する気なら……」
ゼロワンにとってカトリは同じ魔元生命体というだけで、カタナと同列に出来る程には重きを置ける存在では無い。
それはつまり、立ちはだかるなら排除も辞さないという事。
「……解っています。でも一つだけ、私が言ったのは詭弁ではありません」
カトリはそれを示すために、阻無を構えたゼロワンに相対する。
本当の意味で勝利する為に、全てを乗り越えて許す為に、カトリ・デアトリスは彼女のするべき戦いを開始する。
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(体が軽い……こんな気持ちで剣を持つのは初めて)
カトリ・デアトリスは澄んだ空気の中に居る様な落ち着きを感じながら、白銀の鞘から剣を抜く。
構えるは漆黒の如き黒き刃。鍛冶師リリイ・エーデルワイスがその技法を極限まで生かし、霊鉱石マガツライトより作りあげた魔法剣。
その名も『ブラックリリイ』。
付加魔法による強度の強化は元より、かつて培った魔法振動剣の原理を応用して、五つの魔法印により鞘から抜いた時点で刀身に伝わる振動のサイクルを不動のものとし、その切れぬもの無い切れ味を保持し続ける事に成功させた、現在の大陸史においては比肩するものない剣である。
銘として刻まれた創造主の名が示すのは、リリイ・エーデルワイスが現時点で最高の仕事が出来たと、自ら認める事ができたから。
(良い剣です、短い期間でよくこれだけの物を……)
カトリの為だけの剣という言葉は紛いもなく。その重みも間合いも、まるで生まれた時から握っていたかのようにしっくりくるほど。
しかしカトリの落ち着きの理由はそれだけでは無い。
今まで封じられていた、ホムンクルスとしての力が限界まで引き出せている。
(……何から何まで感謝します、リリイ・エーデルワイス)
人体魔法印によって制限が架せられていたカトリの身体から、それを取り払ったのもリリイ・エーデルワイスの仕事であった。
鍛冶師として大成する為に、かつて室長から魔法の師事を受けていたことがあるリリイだからこそ出来た事。
更にリリイはもう一つ、カトリに対して可能性を残した。
魔法剣ブラックリリイを収めていた白銀の鞘も、それ自体が魔法武装。
ゼロワンによって折られた魔法剣エーデルワイスの刀身を回収し、その原料である『霊鉱石ミスリライト』からリリイが新たに作り出したもの。
それこそが今のカトリの切り札と言えた。
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長剣と短剣の間合いの差も、ゼロワンはいとも容易くものともしない。
隙あらばカトリの急所を狙い、既に幾つか浅く切り付けている。
だが以前とは違い、圧倒的な差も両者の間には存在せず、息吐く間もなしの攻防となっていた。
その命のやり取りをしている中でゼロワンは、妙な落ち着きを見せるカトリに対して不気味さを感じていた。
「……何を狙っている?」
一度間合いを外れ、妙な予感に探りを入れるゼロワン。
「ふう……」
ようやく息を吐き出せたカトリは、息を整えながら額から流れる汗を拭う。
それだけ余裕が無い筈なのに、やはり妙に落ち着いている様子。
「いえ、正直な所少し無謀だったと反省しました」
「何?」
「……いきなり実戦で、この身体に慣れようとした事です」
カトリから霊光が上る、発現するのは躯身魔法。
「……なるほどな」
ゼロワンは納得したように見返す。
躯身魔法は外側から自分の身体に負荷をかける事から、自分の身体がどれだけ動けるかしっかりと把握しなければならない。
その見極めがおざなりだと諸刃の剣、手足があらぬ方向に折れたり、関節がその負担で外れてしまったりする。
カトリから感じられた落ち着きは、まだ残していたその魔法で一段強くなれる事を、頼りにしていたからなのだとゼロワンは当たりを付けた。
「だったら、俺の優位は揺るがない」
ゼロワンから魔光が上る、発現するのは躯身魔術。
完成された素体、そしてくぐってきた修羅場、ゼロワンとカトリでは地力の底にもまだ開きがある。
その極めつけが魔元心臓の存在。
ゼロワンが継続的に無限に近い魔力が得られるのとは対照的に、カトリの霊力量は変化したわけでは無い。
躯身魔法を発現可能な時間は以前と変わらず数分、あるいは以前よりもポテンシャルが引き出せる分もっと短くなる恐れがある。
「……何だ?」
だが、カトリは満足そうに微笑した。
更に次の瞬間に見せた妙な構え、それは片手に持った鞘を体の中心に押し当てるといったもの。
「お見せします……これが、今の私の全身全霊です」
瞬間、カトリの身体が白銀の光に包まれた。
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それは全くの偶然であった。
リリイが回収された霊鉱石ミスリライトから気まぐれに作った、カトリ用の『魔法鎧・アルストロメリア』。
普段は鞘の形状をしているが、錬金魔法の『錬装』の応用で有事には鎧として機能する魔法武装。
防御力を高めるというよりは、カトリの躯身魔法の保護や援助、持続力を高める為の法式が刻まれた物。
だがそれが、リリイの想像を上回る形でカトリの最高の武器になった。
(……伝わる)
身を包む鎧から伝わるのは、カトリの力になろうとする人智を超えた意志。
それが精霊子と呼ばれる、自然界に存在する霊子を超えた超常の力。
剣の道に奥義があるように、魔法の道にもまた奥義があり、それこそが精霊子と同期して発現する魔法。
カトリがゼロワンを討つために、五年間一心不乱に剣を振り続けてきたからこそ得られた力。
別名『精霊銀』と呼ばれるミスリライトの中にある精霊子と、カトリが同期する事で発現する『精霊魔法』。
「『精霊躯身魔法・一神一体』」
加速するカトリの世界は、他の追従を許さない。
たとえそれが魔元生命体として完成された、ゼロワンであったとしても。
「――!?」
一度に四か所、ゼロワンの身体が浅く切り裂かれる。
そのどれもが急所、まるでいつでも殺せる事を示すような、カトリからのサインである。
「……ほんの一瞬です、私が貴方を凌駕出来るのは」
だがそれで充分。
今のカトリの動きに、ゼロワンは反応が出来ても反射が追いついていない。
生死の境はそのコンマ数秒で決まってしまうのだ。
「止めるなら今です、ゼロワン」
最後通告のように、カトリは告げる。
だがそれは、当然のようにゼロワンには聞き届けられない。
「黙れ!!」
ゼロワンから圧倒的な量の魔力の奔流が生まれ、幻影がその場に数体現れる。
同じ姿の質量を持った幻影、ゼロワンが風神の魔法を真似て発現した魔術。
躯身魔術によって高速化したゼロワンと同時に動き出せば、その見分けがつくはずもない。
「……ならば、全部斬ります」
カトリの振るう黒刃が幻影とゼロワンの全てを切り裂く。
一瞬だけの独壇場、まさに神速の動きはそれで全てを終わらせる。
「がっ――!?」
最後に胸の中心近くを貫いた刃に、ゼロワンは悟る。
「これで終わりです、貴方の戦いは……」
カトリによって魔元心臓が破壊され、生まれて初めて完全な敗北を喫したという事を。