誰も知らない昨日
時空のバグと、歪んだ「昨日の自分」が襲いかかる不穏な世界へようこそ。
本作は、失われた時間と成り代わりの恐怖を描いたサスペンス・ホラーです。「もしもやり直した時間が、別の姿で襲ってきたら――」という奇妙で不気味な体験を、ぜひ最後までお楽しみください。
30歳になる彼女ではあったが、レジ袋が重く感じられた。━━運動不足かしら?筋力が弱まっているのかも……。
そんなことを考えながら自宅に向かって歩いていた。右手にはスーパーのレジ袋、左手にはスマートフォンを握りながら。
突如として前方の曲がり角から飛び出してきた自転車を避けるため、彼女は思わず体を捻った。
その拍子に、手にしていた重いレジ袋の持ち手がぶつりと千切れ、夕飯の食材が路上に転がり出る。同時に左手のスマートフォンもアスファルトへ滑り落ち、甲高いく音を立てて画面を下にして跳ねた。
「ちょっと、気をつけてよ!」
走り去る自転車の背中に声を張り上げかけたが、すぐに諦めて溜息を吐く。まずは散らばった荷物とスマートフォンの回収だ。
しゃがみ込んで画面を覗き込むと、幸いにもガラスにヒビは入っていなかった。しかし、画面には見覚えのない怪しげな通知が一つ、点滅している。
『【緊急】対象者の筋力低下を確認。肉体同期シークエンスを開始します』
「……は?」
首をかしげた瞬間、身体の奥からカツンと奇妙な振動が響き、視界がぐにゃりと歪み始めた。
めまいが収まったとき、私は自分の部屋のベッドの上にいた。
……いつの間に帰ってきたのだろう。手にしていたはずのレジ袋もスマホもなく、室内はしんと静まり返っている。狐につままれた心地でリビングへ向かうと、カレンダーが目に飛び込んできた。
今日の日付は、昨日のはずだった。
「嘘……昨日やり直してるの?」
そう呟いた瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。画面を開くと、真っ黒な背景に白い文字が浮かび上がっている。
『同期完了。あなたの「昨日」は破棄されました』
意味が分からず硬直していると、廊下の突き当たり——玄関のドアが、内側からガチャリと音を立てて開いた。
薄暗がりの中から歩み出てきたのは、レジ袋とスマホを手にした私だった。
「あ、見つかっちゃった」
もう一人の私が、ニヤリと口角を吊り上げる。その首から下は、まるで糸の切れた人形のように奇妙な角度で折れ曲がり、骨が軋む嫌な音を響かせていた。
「大丈夫だよ。あなたの昨日なんて、誰も覚えてないから」
記憶にない「昨日」の私が、私の皮膚のすき間に長くて黒い指をねじ込んでくる。自分の悲鳴すら、喉の奥で握りつぶされた。
【了】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
「昨日の自分」が敵として襲いかかってくる恐怖、いかがでしたでしょうか。時間の歪みがもたらす不気味さを楽しんでいただけたなら幸いです。
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