君はエルフが冷凍食品を食べないと死ぬと知っていたか
エルフといえば、不死とはいかないものの不老長寿で場合によっては千年以上生き、その間見目麗しい姿を変えないと相場が決まっている。だが。
——この世界のエルフは、冷凍食品を食べなければ死ぬ。
エルフが死ぬときは、世界に関心を失い、飽きたり絶望したりした時だけ。
そして、この世界のエルフは、冷凍食品の味や香りが定期的に摂取できない、たったそれだけのことで絶望して死ぬのだ。
それを知った時、レエジは目を丸くして何度も訊ね直した。
『本当に君達は、冷凍食品が食べられないと、人生にそんなにあっさり絶望して死ぬのか』
『ああ、死ぬとも。この世界の食事は全て、冷凍食品の味や香りに比べたら、自分の指を噛んでいるに等しいじゃないか』
エルフ達の答えに、レエジはしばし思案したのち、確かにこの世界の食事は、苦みすらない分ゲロにも劣る、ゲロマズゲロ以下ゲロ料理だと思い至り、納得した。
――レエジは、この『異世界』へ転生した少年だった。歳は、今年で十六になる。
『生まれて二年経ちますが、この子は予言めいたことばかり言う。呪われているのだ』
そんな言葉とともに、人間の孤児院からエルフの魔術師に預けられたのがレエジだった。レエジは『この世界』の親の顔すら知らぬが、一方で生前の記憶、否、前世の正確な記憶を保持し、死んだ直後——しょうもない交通事故だった――で全身が車のバンパーに圧し潰され、骨が砕かれ内臓が弾ける最悪な感覚を持った延長線上で生まれた。
その後は、この霜の森でエルフ達に囲まれて、常に哲学的問答を繰り返しながら生きていた。
「明日の昼までは動かないことだ。今日はこのベッドで寝なさい」
霜の森のエルフの集落に着くと、最も治療魔術が得意なエルフがレエジを治療した。暖かい家の中、レエジは窓の外ばかりを見ていた。雪はまた、どんどん激しく降っていた。
「そんなに、雪が好きですか。雪崩に巻き込まれるほど」
そんなレエジのベッドの横から、アーテは離れようとしなかった。
「雪は好きだ。きれいだ」
すると、アーテは頬を膨らました。
「わたしは嫌いです。冷たいし、小さいし、触れると消えてしまう」
彼女はそう言って、そっとレエジの手を握った。彼女の手は氷のように冷たく、レエジはつい体を震わせた。しかし、しっかりと握り返す。自分の熱が彼女に伝わるように。エルフの体温は得てして低い。
「おれは雪じゃない。それに、雪が好きで外に出ていくわけじゃない。流石に雪崩に巻き込まれたときは後悔した」
「じゃあ、もう、吹雪の日……雪の日は行かない?」
「ああ。約束する」
「『声』が聞こえても?」
「ああ、そうだ」
レエジは頷いた。そう、レエジには生まれつき、ある特殊な能力がある。
——この世界のどこかにある、冷凍食品たちの声が聞こえるのだ。
冷凍食品とは、そのままレエジの前世の世界にあった、現代日本のもの、そのままだ。
レエジは自身の記憶を前世から引き継いでいるが、冷凍食品はどうやら、不可思議な力でもってこの世界に転送されてきてしまったらしい。冷凍食品達は現代日本と異なり、スーパーマーケットやコンビニではなく、ダンジョンと呼ばれる奇怪な迷宮や、この雪山のような寒冷地帯で『発掘』される。
大概、冷凍食品の発見は至難の業だが、レエジは例外だった。彼は、冷凍食品の声が聞こえるため、それを辿ればあっという間にそれらを見つけることができた。
この世界の冷凍食品の扱いは珍味だ。この異世界では、料理といえば材料は用意したらそのあとは、すぐに魔術であっという間に栄養価が高く消化吸収に良い食料『アスケソ』に変えるだけ。『アスケソ』に味はなく、レエジは紙でもしゃぶっていた方がまだ幸せだと思っている。
そのおかげか、この世界の人間は世代を経て味覚が退化して感度が低い。しかし、長命なエルフ達にはまだ味覚というものがまだ鋭敏に備わっているらしく、冷凍食品の刺激的な味や香りにめっぽう弱いのだ。
「冷凍食品たちは、今もずっと、寒い雪山の氷の奥底で解放、否、解凍の日を待っている。でも、君を泣かせるわけにはいかない。今日のことは反省している」
優しく微笑むレエジの手を握っていたアーテは、そっと彼の手を自分の唇まで引き寄せて浅くキスをし、気まずそうにしている治療魔術の得意なエルフの彼の横を、そそくさと通り抜けて家へ帰った。
次の日、レエジの足は全快し、跳びはねても痛み一つしなかった。レエジは元気よく礼を言って外へ飛び出した。昨日の吹雪が嘘のような快晴。吐く息は白いが、それでも心地よいことには変わりない。レエジは大きく伸びをして、冷えた空気を肺一杯に吸い込んだ。
「長老が呼んでいる。すぐに来てくれ」
そんな彼を、エルフの男が呼び止めた。その目は険しく、レエジはすぐに集落で一番大きな家に走った。長老モザと、その娘アーテの家だ。
「召還にあずかりました」
レエジは、まるで転がり込むように長老の家に入る。すると、アーテの母ウラエがレエジを迎えた。ウラエに連れられ、レエジは長老の家を歩く。昔、アーテとよく遊んだ客間、廊下、そして、忍び込んではよく怒られた、長老モザの寝室に至る。
扉の向こう、天蓋付きのベッドの上。そこにいるモザの姿を見て、レエジは慄いた。
そこには、ついこの間まで、人間でいう所の、精々が三十代前半ぐらいの見た目だったモザが、百歳を超えた老爺のような姿になっていたからだ。頬はこけ、たるんだ肌は幾重にも重なった皺となり、目の周囲は黒く落ち窪んでいる――!
「早く冷凍食品を! あるはずです、昨日の『チキンライス』(ニチレイ)は? 『鶏ごぼうごはん』(マルハニチロ)か……『オーマイプレミアム 濃厚カルボナーラ』(オーマイ)ならどうだ、最近あれを、長老は召し上がっていないのでは? 急いで解凍魔術を!」
混乱を落ち着けるようにレエジは口走った。だが、同じくこの部屋にいるモザの親類たちは首を横に振った。
「どうして! 昨日、おれが取ってきた『ごっつ旨いお好み焼き』(テーブルマーク)はどうしたんだ!」レエジは怒鳴った。すると、一人のエルフがレエジの前に一歩踏み出す。
「長老の言葉を、聞いてあげてください」
彼の促すまま、レエジはベッドの横で膝を折り、モザの口元に耳を寄せた。
「レエジよ、聞いてくれるか」長老の微かな呼気がレエジの耳に触れる。もはやタンポポの綿毛すら揺らがないであろう微かな振動に、レエジの心臓の鼓動が激しくなる。昔、寝室に忍び込んでこっぴどく彼を叱った若々しく力強いエルフの命が、今まさに凍てつこうとしている。




