第3話
大石進種昌は道を急いでいた。
三ヶ月ぶりに我が家に戻るのだ。雑木林を抜ければ、瓦葺の懐かしい家屋が見えてくるはずだ。
ふと女の悲鳴が聞こえる。自宅の方角からだ。
種昌は雑木林を小走りに駆け抜ける。
視界に現れた我が家の門の前に刀を抜いた四人の侍がたむろしている。
「大石進種昌殿とお見受けした」
侍の一人、水原又十郎典膳が言った。
「いかにも」
種昌が答える。
「柳川藩主、立花鑑寛公の命により、お命仕り候」
「ば、馬鹿な。上様がかような命を下すはずはない」
種昌がそう言い終わらぬうちに水原は刀を大上段に構え、切り込んでくる。
種昌はすんでによけ、六尺一寸の長刀を抜く。並みの人間の身長より長い刀だが、八尺ある巨人の種昌にとり、扱いやすい長さだった。
残りの三人の侍が種昌を取り囲む。
こいつらは何者だ。それよりも先ほどの女の悲鳴が気にかかる。
二人の侍がほぼ同時に切りかかってくる。
種昌は長刀を左右に薙ぎ、二人の首をはねる。血しぶきが地面を汚す。
「おのれ」
水原の太刀を一合切り結ぶと返す刀でもう一人の侍の喉を突く。首が半分胴体からちぎれるようにぶら下がり、血を吹き出しながら数歩歩いた後、地面に倒れる。
突き技は大石神影流の真骨頂だ。
水原はかなわぬと見て逃げ出す。
「逃がすか」
種昌はそう叫んで長刀を投げると、水原の背中に長刀が刺さり、切っ先が腹から飛び出す。
串刺しにされて立往生したのか、水原の全身は微動たにせず、まばたきすらしない。
ただ腹から出た長刀の切っ先から血が滴る。
種昌が長刀を引き抜くと水原は地面に腹ばいに倒れる。
種昌は自宅の玄関の引き戸を開ける。
「千代丸!」
種昌は思わず叫ぶ。
玄関の上がり框の上に血まみれの幼児の死体が転がっている。
刀で斬られたに違いない。
千代丸は数えで五歳。種昌の嫡男だ。
草履を脱ぎ捨て、玄関を上がる。
「お凛、お凛はどこだ」
居間の襖を開けると恐るべき地獄絵が種昌を苛んだ。
畳に上に種昌の妻、お凛が仰向けに倒れている。
妊娠して膨らんだ腹の上から刀が刺さっている。
お凛も腹の中の赤子も絶命しているのは明らかだ。
死体の周辺の畳は血で赤く染まっている。
「どうしてじゃ、どうしてこうなったんじゃ」
種昌はお凛の側に崩れるように体を丸めると、声を上げて号泣した。
元服以降、泣いたことは滅多になかったが、今は子供の時分よりも涙がとめどなくあふれてくる。
悲しいというより、心が動転してなにがなんだかわからない。そんな心持ちだった。
先ほど雑木林で聞いた悲鳴はお凛の人生最期の叫びだったのか。
涙がおさまってくると、種昌はふと押し入れの中から女のすすり泣く声に気づく。
種昌は押し入れの襖を開ける。
すると、一人の女が泣きながら転がるように出てきた。女中のお鈴だった。
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女中は現代では家政婦の意味だが、江戸時代には大名や旗本の側室、または妾を指した。人口の大半を占める農民や町人にくらべ、大名や旗本の女中の社会的地位は高かった。
大名や旗本に仕える家政婦は下女と呼ばれ、女中と区別された。また大名や旗本は複数の女中を抱え、彼らの地位が高いほど、あるいは知行高が多いほど召し抱える女中の数は増えた。典型的なのは千人を超える徳川将軍の大奥女中たちである。
一方、下級武士である御家人や藩士は正妻の他に、妾と家政婦を兼任した女性を一名だけ家に住まわせていた。
彼女たちもまた女中と呼ばれた。
女中と下女の兼任者なのだが、より人聞きのいい女中の呼称をあてがわれたのだ。
現代における女中が家政婦の意味になったのは、こうした経緯があると作者は推察している。
(つづく)




