第2話
筑後国柳川藩柳川城は別名、舞鶴城と称され、鶴が舞うような美しい形状の城郭とされる。
本丸天守閣、最上階の間では、黒い甲冑と刀剣が飾られた床の間を背景に、二人の侍が対座している。
二人とも厳格な面持ちで先ほどから陰謀談議に余念がない。
二人のうち一人は城主にして柳川藩・藩主の立花鑑寛。
弱冠、二十代半ばながら、知行高十万九千石の藩主の自覚がそこはかとなく相応の貫禄を醸し出している。羽織袴姿が凛々しい。
もう一人は、やせぎすの中年男で名は水原又十郎典膳。
手甲脚絆の渡世人風の風袋ながら、江戸から来た隠密だと言う。
「大石進種昌を……どうしても撃たねばならぬのか」
立花は腹の底から声を絞り出すように言う。
「大石はわが家臣の中でもひときわ武術に優れた者。亡くすのは惜しい男じゃ」
「おそれながら」
水原が言う。
「殿ご自身と柳川藩の将来を考えればこそ、殿にはかようにご提案申し上げているのござる」
大石進種昌は柳川藩士だが、土佐藩の藩校、致道館に剣術師範に招かれてから、倒幕派の土佐藩士たちと懇意になった。それを伝えに水原は今日、柳川城までやって来た。
豊臣時代からこの地の領主だった立花家は関ヶ原の合戦の際、西軍に与したため改易除封となり、領地をすべて没収された。
それが元和六年(1620年)、西軍加担の罪が赦免となり、外様大名の立花家は再びこの地を手に入れた。
「勝ち馬に乗れ」――立花は幼少のみぎりより、この言葉を父から家訓のように言い聞かされていた。
もし関ケ原の合戦で徳川側についていたら、改易除封などという憂き目に合わずに済んだ。あの頃、立花家の知行高は十三万二千石だった。
どちらが正義かは関係ない。どちらが勝ち馬かを見極め、勝者の方に媚びを売って従う。これが乱世に生き残るための処世訓だ。
近年、佐幕と倒幕の二つの派閥に藩が分かれるようになってきた。
長州藩、土佐藩、薩摩藩、そして近隣の肥前藩までもが倒幕派になっているらしい。
土佐藩には「尊王攘夷」なる危険思想を吹聴する侍が跋扈していると聞く。
あくまで倒幕派は逆賊であり、到底、武力で徳川幕府を倒せるとは思えない。
もとより幕府は好きではない。だが好き嫌いでなく、幕府が勝ち馬ならばここはおとなしく佐幕派を装うのが無難だろう。
わが藩士に一人でも「尊王攘夷」思想に洗脳された者がいては、幕府から睨まれること必定。
だとしたら、惜しい男だが大石は斬らねばならぬ。
立花は天守閣から柳川を眺めながら、思いをめぐらした。
(つづく)




