第11話
真昼なのに曇天で薄暗かったが、それより重苦しい空気と緊迫感が薩摩藩・鹿児島城全体を包んでいた。
西の丸、二十畳の間では、後見役、島津久光が藩士たちを侍らせ、軍事論議に余念がない。
藩主は息子の茂久に譲り、自分は退位したが、まだ実質的な藩の実権は久光が握っていた。
ことの始まりは一年前、文久二年(1862年)の生麦事件だった。
久光の大名行列が江戸から上方に向かう途中、生麦村で四人の英国人が馬に乗って横切ろうとした。
藩士たちは身振り手振りを使い、日本語で道を開けるよう指示したが、彼らは一向に理解する素振りがない。
そこで久光は彼らを斬り捨ててでも道を開けるよう藩士たちに命じた。結果、一人が死亡。残り三人は負傷した。これが一連の生麦事件である。
ところがその後、英国公使代理ジョン・ニールから幕府に”物言い”がついた。治外法権につき、賠償金を払えとのこと。幕府はニールに言われた通りにした。
しかもこれで終わったわけではなった。
一年後の文久三年(1863年)、英国の七隻の軍艦が鹿児島湾に集結した。
生麦事件の犯人と追加の賠償金を指し出せという。
久光は当初、適当に数人の藩士の首を差し出して手打ちにすることも考えた。だが英国人を斬るよう命じたのは久光自身だ。
英国は自分の首を差し出すよう命じているに違いない。だとしたら彼らの要求に応じるわけにはいかぬ。
久光の脳裏には様々な考えが思い浮かぶ。
ここは戦もやむなしか。
だが相手は世界最強の軍事力を誇る大英帝国。
アヘン戦争ではアジアの大国、清と戦争して簡単に勝利したという。
果たしてわが薩摩藩が大英帝国と戦って勝ち目があるというのか。
「殿。こちらの剣客を連れてまいりました」
藩士の奈良橋喜左衛門が言う。
「この二人組の剣客。天下無双の強さを誇ります。
英国と一戦交えることがあれば、わが軍の大きな戦力になるかと」
奈良橋の隣に八尺も巨人とひげ面の男がかしこまって正座している。
「某は、元柳川藩士の浪人、大石進種昌と申します」
巨人が口を開く。
「同じく鳥海弥左衛門にございます」
隣のひげ面の侍が言う。
「われら二人は刺客や用心棒を営みながら諸国を巡る旅をしております」
「この二人の他に連れの女が一人いますが、昨日から二の丸の空き部屋に住まわせております」
奈良橋が言う。
久光は巨人の種昌に興味を覚える。体躯の大きさはもとより、眼光の鋭さといい、凄腕の剣客の雰囲気を漂わせていた。
「おそれながら」
種昌がおもむろに口を開く。
「われら二人に鎧兜をこしらえてもらえませぬか。某、身の丈が八尺ございます。並みの鎧では体が入りませぬ。
できれば徳川将軍がお召しになっている金色の鎧兜を所望したします。また隣の弥左衛門には銀の鎧兜をお願いいたします。
死をかけた戦いなら金銀揃い踏みで殿にご奉公いたしたく存じます」
奈良橋が「無礼なことを申すな」とたしなめるように種昌をごづく。
「気に入ったぞ。大石とやら」
久光が言う。
「所望通り、金銀二つの鎧兜を用意いたそうぞ」
この男、なにかしてくれるかも知れぬ。
久光は胸の中でそうつぶやいた。
(つづく)




