蜜月
季節外れの桜が散り、すぐそこまで春がやってきていた。
あれから義兄と父が何を話したのか解らない。
恐れと諦めの対象であった父を動かしてしまった事実は驚きであった。
「なんて不思議な人だろう…ね」
ふふっと笑いながら久しぶりに離れから庭へ出た。
初めて出会ったのはここだった。
薄暗く照らされた庭でも目を奪われる真っ直ぐ芯のある眼差し。
心底驚いたようにこちらを見て止まった姿は少しあどけなくて。
すぐ促され連れて行かれてしまったけれど…
「あ、こちらにいらっしゃいましたか。旦那様から店に来てほしいとのことです」
使用人が離れに向かう通路から息を切らせながら慌てて見ている。
探させてしまったらしい。
「すまないね。今行く」
微笑みながら答えれば更に慌てたように顔を赤く染めて視線を反らされてしまった。
では…と言葉少なに走り去っていく背中に馴染みのある切なさがよぎった。
溜め息をついて池に視線を落とす。
着物の裾を払いながらしゃがみこむと柔らかな黒髪がさらりと額で揺れた。
「妬けるな」
「!」
後ろから音も無く抱き締められて息を飲む。
聞き慣れた低めの声に嬉しさで心臓が速くなった。
「義兄さん!妬けるって、いつもみたいに避けられただけですから」
顔が見たくて振り返ろうとするが太い腕が身動き取れないほどに絡みついている。
何故?と動揺しながら困っていると片手でがっしり固定されつつ空いた手の指先が着物の胸元から忍びこんだ。
「まだそんな事言ってるのか?本当に鈍いな。お前が跡取りになれば周りと話すようになるのは必然だが…失敗したか」
「…っ…や、やめて下さい」
屋敷中から見えてしまう場所で何をするのか。
熱くなる頬を感じながら懸命に身を捩ろうとするがびくともしない。
温かい指先が己の胸を撫でるようにゆっくり動く。
時折柔らかな突起に触れるたびに震えては小さく吐息を溢した。
「ぁ…和之さん…かず…」
囁くように呼ぶ名は自分の声とは思えぬほど甘い。
力が抜けてしまった肢体をようやく抱き上げ無言で離れの縁側から部屋に入る。
仰向けに寝かされたまま見上げるも思いもよらぬ激情が浮かんだ瞳に気圧された。
「なぁ青司、もしかしたら義父はこんな気持ちだったのかもしれないな」
壊してしまいそうな激しさと、世間や己から守ってやりたい複雑な感情。
時折自分でも制御出来ないほど魅かれ食われそうになる。
心が化け物と化していく。
そうなって感じたことがある。
質素な離れは青司を見えない者として守り、誰にも見せないための囲いでもあるのかもしれないと…
「なに…?」
わからない、と不安になりながら頭を横に振る。
艶やかな髪が微かな音をたてて畳に乱れた。
震える長い睫毛と涙を浮かべた姿を優しく抱き締める。
己の目を見せないように。
ああそうだと開けられたままの障子に気付く。
「見せてやるのは勿体ないな…」
肩まで露になった胸元、乱暴に掴み押し上げてしまった華奢な脚。
透き通るように白く吸い付くようにしっとりした肌、紅をささずとも赤く熟れる唇は誘っているよう…
花に誘われる者がこれ以上増えてはたまらぬと障子を閉めようとした手に指が絡まる。
「青司?」
「いいから…」
誰にも渡さない。
そう想っているのは貴方だけじゃない。
震える睫毛に隠されていた妖しくも獰猛な微笑み。
艶めく唇がゆっくりと耳元へ近づき囁いた。
燃えるような想いを幾年抱えていたか教えてさしあげますよ…
忘れていた。
青司という男の激しさと焔を。
あの日「救えるかもしれない」と呟いたのは、青司のことだけじゃなく義父自身の制御しきれぬ闇だったのか。
俺もこの抗えない存在に魅き寄せられ狂ってゆくのだろうか。
全ては解らないまま…
「お前とならそれもいい」
艶然と微笑む瞳に絡めとられたまま深く唇を合わせた。
待てども来ぬ青司を呼びに来た者が赤くなりつつも密かに目を離せなくなってしまうほど。
暗闇の中で月明かりを浴びた2人は美しい幻のように見えた。
(終)