出逢い
剣道の師でもあった父が突然病に倒れた。
母が看病をしながら裁縫仕事を請け負い家族3人慎ましい生活を送っていたが、父が逝ってから幾日も経たぬうち事故に巻き込まれ母までも帰らぬ人となった。
生前父から武道を通して厳しく躾られたことが挫けず生きる糧となる。
枯れるほど涙を流した後は悲しみに浸る暇はない。
親が亡くなり天涯孤独になった子は他にもいる。
生活が苦しく赤子の内に捨てられる場合だってある。
ただ生きるために前を向くだけだ。
顔見知りの店や大人に頼みこみ、下働きや使いっぱしりをして小銭を稼ぐ。
持ち前の明るさや愛嬌に助けられ周りも余裕が無いながら手を貸してくれた。
そんな日々が一月ほど経った頃だった。
「君が和之くんか。なるほど…強い目をしている。剣道をやっていたそうだな。体も丈夫そうだ」
道端で見知らぬ人から声をかけられた。
上質と解る着物姿の中年男性が出会いがしら値踏みしてくる言動に不愉快を隠さなかった。
「誰だか知らないけど、これから頼まれた仕事に行くんだ。こちとら見世物じゃねぇ。子供だろうが働かなきゃ食っていけないんだ」
言いたいことだけ伝えてさっさと歩き出す。
背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「はっはっはっ…!これはいい」
足を止めて訝しい相手をもう一度振り返る。
「私は町で商店を営んでいる者だ。君に跡取りになってほしい」
「…何言ってんだ?」
世の中そんな甘いことがある訳ない。
大方うまいように騙して売り飛ばす人買いみたいな奴か。
「誰でもいい訳ではない。君のお父さんとは知り合いだったし、君は剣道が強いと町で話を聞いていた。こんな早く夫婦共に亡くなってしまうとは思わなかったが…」
嫌なおっさんにも良心があるのか語尾は少し曇った表情に見えた。
「仕事が終わってからでいい。まず見に来てくれないか?家や店の者には言っておく」
店の名前と場所を告げられ案外あっさりと行ってしまった。
日が落ちかけた頃、長屋の壊れかけた戸を気をつけながら開ける。
「米爺、終わったよ」
「おぉ早かったなぁ。あまり渡せなくてすまないがまたよろしくな。これ婆さんから、持ってけ」
「ううん、助かるよ。いつもありがとう」
米蔵こと米爺は本当のじいちゃんのようだ。
1枚の小銭と竹の葉に包んだ握り飯らしきものを渡してくれる。
皺だらけの目を細めて頭を撫でてくれるから、この人の前では年相応に戻れた。
照れくさいけど素直に嬉しくて笑う。
古くからここに住み、俺たち家族をよく知ってる人だ。
婆ちゃんと一緒に畑を耕し市場に売りに行って生活をしてるけど決して余裕はないはず。
「仕事」と称して助けてくれてると気付いていたが爺ちゃんの気持ちを有り難く頂いていた。
「でも、このままじゃ駄目だ」
食うに困らぬ程度に稼ぐ大人になるには時間がかかる。
周囲で助けてくれてる人達は決して裕福な家庭ではないのに…無理させてしまうのは心苦しかった。
昼間会ったおっさんの言葉を思い出す。
性に会わない世界だと無視するつもりだったが他に方法は無い。
町に向かう道へと視線を向けた。
着いた時には日が沈みかけていた。
上品な店先の提灯は消えたまま風に揺れている。
古い着物を着た子どもなど追い返されそうな店構えであるが閉められている戸を叩いてみた。
まずは怪しまれ尋ねられると思いきや、すっと戸が開きお辞儀をされる。
「旦那様から伺っております。どうぞ…」
別世界へ来たようだと少々面食らいながら言われるまま着いて歩く。
薄暗い店の中にある土間を渡り外へ出ると大きな庭園と屋敷が現れた。
いくつかの部屋から眺められるよう作られていて、障子からもれる明かりと庭の石灯籠に照らされる様は見事である。
手入れされた大きな松が並び、微かに流水の音が響く池には鮮やかな鯉が優雅に泳いでいた。
俺より良い暮らしをしてそうだと眺めて歩けば小さな離れが目に入る。
屋敷から繋がる渡り廊下の先にあるのだが明らかに雰囲気が違っていた。
他は全体的に華やかな作りなの
視線は離れを見ながら先導する人に声をかけようとした時である。
ぼんやり灯されていた明かりが動いたと思ったら障子が開いたのだ。
美しい日本人形のような風情が妖しく照らし出され思わず足が止まった。
同じ歳ほどの背丈に見えるが目にしたことがないほどの美しさは掛軸に描かれた画のようである。
その瞬間、案内をしていた人が息を飲む音がして突然目をふさがれた。
「いけません…っ。あれはあやかしでございます。決して屋敷内では口にしてはなりません」
動揺と緊張が伝わる強い口調で言うなり見えないよう手を引かれ早足で屋敷の玄関へ連れて行かれた。
あやかしだと?
そんなはずはない。
確かに今…
ふいにこちらを見た時に少し驚いた顔をした。
あの美しくも幼い愛らしさが交った表情。
他のことなど消え失せるほど強く心を奪われていた。
夢を見てるような気分のまま客間に案内された。
見事な欄間と床の間に華やかな生け花が飾られた広い和室。
座ってお待ち下さいと勧められた座布団は座り心地が良く、布団にしたら温かいだろうなとどうでもいいことを考えていた。
暫くして衣擦れと足音が聞こえてきて襖が開く。
「やあ、来たということは考えてくれたのか」
昼間のおっさんが口元を笑ませて座卓を挟んだ目前へ座る。
使用人の統制が取れた様子といい、頼む時も下手に出ず交渉したり客間を開ける時には声もかけぬ。
作法だけではなく礼儀を教えてくれた父とは全く違う。
商いの店を構えるにはこのような男でないといけないのかと苦笑した。
「あまりに違う世界だったか?」
そんな俺の顔を見て笑ったまま尋ねてきた。
「この世とはかけ離れていて最初は驚いた。でも俺には物足りない」
「物足りない?この屋敷以上に豪華なのが好みか!」
答えが面白かったらしく興味深そうに眺めて腕組みをした。
「華やかさも過ぎれば色を失う。それよりも金では手に入らぬものがここには無くて住むには息が詰まりそうだ」
常々父に言われてきた。
想像もつかないだけに羨むこともあったが目にしてなるほどと解ったのだ。
笑みを消したおっさんが目の奥を探るように視線を合わせる。
子どもだと軽く考えてたらしいが本気で相手をする気になったらしい。
ただひとつ…気になったことは。
「離れの子ども、何故あやかし等と言わせるんだ?」
突然空気がぴしりと張りつめる。
手元に真剣があったら今にも切られそうな眼差しに変わった。
やるじゃんか…おっさん
唾を飲み込みながら負けてなるものかと暗く鋭い眼差しへ真っ直ぐ見つめ返す。
「あれは私の子だ。見たことがないほど美しかったろう?」
暗い笑みを浮かべたまま呟く姿に眉をひそめた。
なんだろう…何かひっかかる。
「生まれつき片足が悪くて跡取りにはなれぬ。目にした時に使用人がさぞかし慌てたろう。それくらい徹底せねば噂話を種にして足元をすくわれる。大きな店で商いをするとはそういうことだ」
一瞬だったが自嘲するような笑みに見えたのは気のせいかもしれない。
だが言葉には見えない隠れた何かを眼差しに潜めているようにも感じた。
確かに不自由な者に対して世間には偏見や差別が起こりやすい。
不吉なこと、として理由などなく必要以上に避ける風潮が色濃く残っているのだ。
「おっさんでも世間体には負けるんだな」
その傲慢さと財力、手腕でいかようにも変えてしまいそうなのに。
好かないとはいえ只者ではない相手を認めていたからこそ残念そうに呟いた。
「…そうだな。何一つ思い通りになどならん」
俺の言葉に目を見開き、ふいに力が抜けたようであった。
先程までの気迫が消え去り疲れたような微笑を浮かべて呟く。
これだけの富がありながら「何一つ」と呟いた相手の孤独な匂い。
初めて興味が湧いた。
「いますぐとは言わない。跡取り候補として養子になって欲しい。頼む」
静かな言葉と眼差しに込められた真摯な思いが伝わってきたのも初めてだった。
先程までは性に合わぬと感じながら生きるために利用しようと考えていた。
けれどこの男の本心を知りたいという感情が芽生え始めていた。
それと…
「俺は俺の好きなように動き話したい者と話す。その代わり皆に認められるよう学業も武道も努力する。それで良かったらお願いします」
座布団から一歩下がり畳に手をつくと頭を下げて応えた。
「なるほど…金では買えぬものがここにもあったらしい」
含み笑いが聞こえて頭を上げると、いつもの顔に戻り意地悪そうに笑いながらこちらを見ている。
どこまで本気か計算か。
食えぬ義父との付き合い方を考えながら、にやりと笑みで返してやった。
「お前なら救えるかもしれないな」
「え?」
独り言のように言いながら立ち上がった義父が大きな声で使用人を呼ぶ。
「和之の部屋へ案内させる。明日から忙しくなるからよく休め」
有無を言わさぬ物言いで告げると襖を開けて行ってしまった。
途端に広く感じる客間が静寂に包まれる。
俺の部屋か…
気をはっていたからか急に重くなる体に溜め息をついて、がくりと後ろへ寝転ぶ。
落ちつく造りだといいなぁとぼんやり目を閉じた。