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淡恋

幼い頃に重なった運命。


ゆらり流れるように絡む視線も。

すれ違いを抱えながら、つかず離れず。


そうして長い時が経っていた。



夕焼けで染まった簡素な和室、格子窓の前に置かれた座卓へ向かい正座する青年がいた。

薄手の着物から伸びた手が時折ゆったりとした動きをする度に衣擦れの音だけが聞こえる。


横顔から首筋、指先にいたるまで、骨格は男性でありながら繊細。

橙色の光を浴びてもなお透き通るような肌。


女性とは違った美しさと微かな背徳感を漂わす。

見てはいけない、されど見ていたくなる衝動を与えていると知ってか知らずか。


ふいに顔を上げ、部屋と廊下を隔てる襖へ視線を向けた。


「青司。入っていいだろうか」


静寂を破ってかけられた声はどこか遠慮がちだった。

息を溢すように笑み答えた。


「どうぞ、義兄さん」


静かに開いた襖の先を呆気にとられたように目を見開いて眺める。

武道を身につけた者らしい体格の義兄、和之が無造作に切った枝を沢山脇に抱えて立っていたのだ。


「さっき山に行ったら冬だというのに蕾をつけた桜を見つけたんだ。咲いたら絵に出来るんじゃないかと思って」


言われた言葉に今まで描いていた墨絵へ視線を落とし、そっと筆を下ろした。


立ちあがり右足を少し引きずるように歩く。

箪笥の上に置いてあった大きめの風呂敷を畳に広げて座った。


「単なる道楽ですから桜の美しさを写せるかわかりませんが…ありがとうございます。ここへ」


柔らかい笑みで見上げて促す。

和之が一瞬はっとした顔をしたが、すぐに視線をそらし風呂敷へと桜の枝を置いた。


「これは不思議ですね。季節外れの蕾か」


枝に蕾が並んでいる。

落としてしまわぬよう優しく触れる合間も指先から横顔に視線を感じていた。


「継ぐ気はないのか?」


唐突そうでいて、随分長いこと晴れぬ霧をお互い抱えていた。


蕾から離した指を視線と共に己の足へ滑らす。


「僕に選択肢はありません。生まれた時から決まってましたし、そのために貴方も此処へ連れてこられた」


生まれつき不自由な右足。

親ですら疎み世間からの差別を恐れて隠す時代。


心に隠した黒い波がじわりと溢れて滲みだす。

義兄は大人たちの都合に使われたとわかっていても…


着物の裾が乱れるのも構わず姿勢を崩し、露になった足はあまりに白く。

見た目で不自由さは感じとれないが滑り落ちていく指の流れに惹きつけられる。


穏やかに微笑みながらも物騒な光を宿した瞳を伏せれば、目元に長い睫毛の影が落ちた。


その風情に暫し見とれたまま口を開く。


「家を、出るつもりだ。親を亡くした俺を引きとってもらった恩は違う形で返そうと思ってる。お前も…」


「和之さん」


最後まで言わせないかのように、押し倒して跨がり首に手をかけていた。


「逃げるつもりですか」


冷たく細い指は震えていた。

いつもの冷静さは消え、責める言葉とは裏腹に揺れる眼差し。


「違う。消える訳じゃあない。お前も俺も踏み出すんだ」


幼い頃に出会った。


男の癖に可憐な容姿でありながら、その内に激しい焔と鋭い刃を隠していることも感じていた。


脆さと、切ない望みも。


「誰もが化け物を見たかのように目を背ける。貴方しか僕に話しかける人はいない。だから、逃げるなんて許さない…」


首を必死に掴み、頼りない表情をする様は儚く美しい。

涙を落とす姿さえ綺麗なのだろうなと目を細めた。


「どんな顔と姿で、何を言ってるか自覚してるか?」


色を含んだ視線に気づいてなかった訳ではあるまい。

遊ぶかのように気づかぬふりで、あしらっていたのではないのか。


「お前の言う皆とやらは自分にやましさを感じて目を背けただけだ。秘めた花への…」


「からかうのは止めて下さい」


今度は眦を染めて眉を上げる。

普段は牡丹のようだが、怒った姿は彼岸花のようだと笑った。


「いずれ世代は移り行く。義父母も年老いた今、世間体より将来を考える余裕しかない。後で話をしてくるよ」


「義兄さん…」


絶望したかのように真っ青になり離れようとした手首を捕まえた。


「お前は頭が切れる男だ。家業は問題なく継げるだろう。思っていたより鈍くて驚いたが…」


「もう、いいです」


いまだ腹の上で振りほどけぬ手首を諦めたのか彼方の方向へ顔を背け、そっけない声が返る。


「手元に落ちてきた花を手離すつもりはない」


低く囁くような声に振り向けば触れる温もりと鼓動を誘う香り。


目眩がした。




何が起きたのか…


気づくと義兄の姿は無かった。

霞む頭で唇にあてた指先は熱くなっていた。


ずっと。


わかっていながら、わからぬふり。

伝わる視線を感じていながら自信も実感も湧かず信じきれなかった。


夕暮れから夜に変わって窓の硝子から満月が見える。


「僕と同じ…待ちきれなかったか」


消えぬ熱を身体中に感じたまま薄紅色が覗く蕾を見つめる。


月明かりの中、桜の枝を抱き寄せ口づけた。





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