今夜はぐっすり眠れそうです。
個室の窓の外には、すっかり夕暮れが降りていた。
街路樹の葉がオレンジ色に縁取られ、時折、通りを歩く人の影がガラス越しにゆっくりと流れていく。
先ほどまでの張り詰めた空気も、ルビーの沈黙とともに、ふわりと緩んでいった。
重苦しい緊張から解き放たれて、三人の表情も少し柔らかくなる。
そんな空気を読み取ったように、ラフィーナがぱっと明るい声を上げた。
「ねえ、レオ、お腹空いてない? なんだか今日、すごく色々あったしさ……甘いものでも食べて元気出さなきゃ!」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、ラフィーナはわざとらしくお腹を押さえてみせる。
レオノールは思わず吹き出した。
気がつけば、心臓の辺りにつかえていた何かも、すっかりどこかへ消えている。
「そうだな……。こういう日こそ、甘いものが欲しくなるよ」
自然と、声も明るくなる。
カッシュは一度ため息をついてから、珍しく柔らかな目で二人を見やった。
「仕方ないな。今日はお前たちに付き合ってやるよ。……それに、ここは俺も昔から通ってる店だ。ケーキも文句なしだしな」
カッシュのその飾らない笑顔に、ラフィーナが「やったー!」と小さく手を叩く。
やがて、店のスタッフが軽やかな足音でやってきて、三人の前に色とりどりのケーキが並べられる。
テーブルに漂う甘い香りに、レオノールの表情もほんのり緩んだ。
「やっぱり、みんなで食べるとおいしいな」
フォークを手にしたレオノールが、どこか素直な笑顔をこぼす。
ラフィーナも、「うん! こうして一緒にいると、変なことなんて全部忘れそう」と目を細めた。
カッシュも、ケーキをひとくち頬張りながら、珍しく少年のような横顔を見せる。
「甘いものは滅多に食べないが、こういう時だけは別腹、ってやつか」
少し照れたように視線を逸らす。
三人の間に、しばし穏やかな時間が流れる。事件の残滓も、重苦しさも、どこか遠い出来事のように感じられた。
ふと、レオノールは二人の横顔を見ながら、心の奥がほんのり温かくなるのを感じる。
(…友達って、本当にありがたいな)
そんな気持ちが胸にじんわり広がる。
ふと、レオノールは自然と微笑み、二人に向かって「ありがとう」と小さく呟いた。
そんな空気を感じ取ったのか、カッシュが空になったカップを軽く指で弾く。
「さて……。この石のことだが、一度、信頼できる魔術師に見せた方がいいだろう」
今度は真面目な声で、机の上のルビーをじっと見つめる。
ラフィーナがすぐに反応する。
「だったら、私、うちの治癒院の先生に聞いてみる! 先生なら、絶対何かわかると思う」
自信に満ちた瞳が、テーブルの向こうからレオノールを見つめる。
レオノールは一瞬だけ驚き、すぐに自然な笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ラフィーナ。もし何か分かったら、教えてくれると助かる」
「もちろん! 任せて!」
ラフィーナは大きく頷く。
カッシュも静かに微笑んで頷き、三人の間にふわりとあたたかい空気が流れる。
――こうして誰かと一緒に悩んで、頼りにし合って、次の一歩を探せる。
それだけで、レオノールの心はずいぶん軽くなった気がした。
机の上のルビーは、夕焼けに溶けるように静かに光っている。
ついさっきまでの緊張が嘘のように、個室の空気にはやわらかな余韻が残っていた。
◆ ◆ ◆
夜も更けて、屋敷の灯りがひとつ、またひとつと消えていく頃。
レオノールは静かに部屋の扉を閉め、ふうっと一息ついた。
お風呂も済ませて、寝間着に着替え、髪も乾かし終えたあとの、ほっとした時間。
薄暗い自室の中は、カーテン越しに夜風がそっと揺らす静けさで満ちている。
ベッドの脇に置かれた小さな机の引き出しを開ける。
中には、昼間の出来事の名残である黒い箱――ルビーのブローチが収められていた。
レオノールは、そっとその箱を撫でるように見つめた。
あれほど自分を縛っていた赤い光は、もうどこにもない。
ただ、穏やかな静けさだけが、部屋の隅々に広がっている。
「……もう、大丈夫だ」
そう呟いて、小さく微笑む。
今日一日の不安や緊張が、胸の奥からゆっくりと溶けていく気がした。
ベッドに入り、柔らかなシーツに身を委ねる。
屋敷の遠くで誰かが戸を閉める音がかすかに響き、再び静寂が戻る。
レオノールは深く息を吸い、ゆっくりと目を閉じた。
今夜はもう、あの重苦しい夢に悩まされることはないだろう――そんな確かな予感があった。
安らぎに包まれながら、レオノールは静かに眠りについた。




