変だな、と思った時点でだいたいアウト。
陽は高く昇っているというのに、どこか霞がかかったように頭が重い。
広い寝室の窓辺には、穏やかな陽光がカーテン越しに差し込んでいた。
白地に薄桃色の花が刺繍されたカーテンは、風のない朝に静かに垂れているだけで、まるで時間まで止まってしまったようだった。
鏡台の前に腰をかけたまま、レオノールは無言で自分の顔を見つめる。
目の下にできた薄い影が気になって、思わず指でそっと触れた。
あまり寝られていないわけではない。
むしろ、最近はやたらと眠い。
眠っても眠っても、身体の芯に疲れが残っているようで、朝になってもすっきりしない。
侍女のアリーが丁寧に髪を梳きながら、心配そうに声をかけてきた。
「レオノール様、やはり少しお顔色が……」
「……そんなにひどい?」
鏡に映る自分の表情は、確かにどこかぼんやりとしていた。
目の奥に霧がかかったようで、考えがまとまらない。
「寝不足ではございませんか?ここ数日、夜中にうなされているようなお声を何度か……」
「……そうだったのか」
自覚はなかった。
夢は見ている気がするのに、内容をまったく覚えていない。
起きた瞬間だけ何かに怯えていたような感覚だけが残っていて、それも時間が経てば溶けて消えてしまう。
「昨日も妃教育のお時間を少し短くされましたし……」
「そうだったね。当主教育も、最近まったく頭に入ってこないんだよな。勉強しても、すぐに霧がかかるみたいに消えてしまうっていうか」
何かおかしい。
この数日間、ずっと体の中でなにかが重く淀んでいる。
最初は疲れかと思っていた。
けれど、それにしては長すぎる。
「いつからだったっけ……こんな感じになったの」
ぽつりと漏らすように呟いたレオノールの言葉に、アリーともう一人の侍女、シェラが顔を見合わせる。
二人ともレオノールの身支度の手を止め、記憶をたぐるように視線を宙に泳がせた。
そのとき。
「……あっ!」
アリーが少し大きな声を上げた。
「ヴァンツァー殿下とお茶会をされた日の次の日からですわ!」
レオノールは一瞬、目を見開いた。
でもすぐに視線を落として、少しだけ眉間に皺を寄せる。
(……ムカついたから?)
思い出すのは、赤いブローチを受け取った、あのときのこと。
あのときも、特別なことがあったわけじゃない。
相変わらず一方的で、少し苛立たしくて、けれどいつものこと。
……いや。
いつものこと、だっただろうか。
ふと胸の奥に、何かがひっかかる。
でもその感覚すら、すぐにぼやけていく。
「シェラ」
レオノールは呼びかける。
「例のブローチ、まだ部屋にあるよね。持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
シェラはすぐに立ち上がり、衣装棚の奥から小さな黒い箱を取り出してきた。
差し出されたそれを受け取ると、レオノールは一度小さく息を吸い、そっと蓋を開けた。
そこに収められていたのは、深紅のルビーのブローチ。
光の加減で、まるで宝石の奥で血が脈打っているかのように揺らめいていた。
ただの石のはずなのに、不思議と視線が離せなかった。
気がつけば、じっと見つめていた。
その赤が視界いっぱいに広がった瞬間、頭の奥で光が明滅するような感覚が走った。
「……っ」
目の前がぐらりと揺れる。
意識が一瞬、薄くなる。
すぐに箱を閉じ、ブローチから視線をそらした。
「レオノール様!?」
アリーが駆け寄ってきて、肩に手を置く。
シェラも心配そうに見つめている。
「……大丈夫。ちょっと、眩しくてクラクラしただけ」
笑顔を作ってそう言いながら、箱を差し出す。
「これ、しまっておいて。……やっぱり、今は見たくないな」
二人の侍女が不安げに顔を見合わせながらも、丁寧に頷く。
「少し、疲れたのかもしれないな」
レオノールはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「今日は……このまま、横になるよ。着替えなくていいから、少しだけ休ませて」
アリーとシェラが控えめに部屋を下がっていくのを見届けてから、レオノールは重たい身体を引きずるようにしてベッドへと向かった。
カーテンは閉じていないのに、部屋の中が少しだけ暗く感じられた。
窓の外の空は青く澄んでいるはずなのに、視界はどこか霞んで見える。
横になり、ブランケットを肩まで引き上げる。
ぬくもりに包まれているはずなのに、心はどこか冷たい。
(……変だな、と思ってたんだけどな)
その感覚を振り払うように、レオノールは静かに瞼を閉じた。
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