お断りできないプレゼントはしまっておくに限ります。
天気の良い午後だった。
雲ひとつない空はどこまでも青く、遠くで鳥のさえずりが響く。
庭園の噴水は心地よい水音を立てており、柔らかな風が、カップに注がれた紅茶の香りをふわりと運んでいく。
だが、その穏やかな景色の中にあっても、レオノールの胸の内には、微塵の安らぎもなかった。
(……なぜ、まだ続いているのだろう)
ヴァンツァーとの定例のお茶会。
形式的なものでしかないと割り切っていた。
けれど、あのデビュタントの一件で、あちらも少しは気づいたはずだ。
自分がこの婚約に乗り気でないことを――少なくとも、『心を寄せている』などとは到底思えないことを。
(怒っていたはずなのに、どうしてまた呼び出すのだろう……すっぽかしてくれればいいのに)
言葉にすれば溜息になる。
けれど、それすらも形にはせず、ただいつものように静かにティーカップを手にした。
「……これを、お前に」
ふと、テーブル越しに差し出された小さな黒のベルベットの箱。
ヴァンツァーの声には、誇らしげな響きと、どこか押しつけがましい強制力が混じっていた。
レオノールは箱を受け取り、蓋を開ける。
そこに鎮座していたのは、紅玉――ルビーのブローチだった。
宝石は、驚くほどに深い赤。
光にかざせば、まるで血液が内部で脈打っているような錯覚を覚える。
確かに、美しい。
けれど、同時にひどく不気味だった。
背筋をなぞるような感覚が、肌を走る。
視線を逸らしたいのに、逸らせない。
まるで『見ていろ』と命令されているかのような、そんな強さを持った赤だった。
「……とても、綺麗です」
無意識に口から出た言葉に、ヴァンツァーの口元が満足げに歪む。
「フッ、だろう?これは帝国の東端、フェルナ=カス山脈で採れる『真紅の心臓』と呼ばれる石のひとつ。手に入れるために、少々手を回したが……お前には、相応しいと思ってな」
「……ありがとうございます。大切にいたします、ヴァンツァー殿下」
丁寧な口調、完璧な礼儀。
けれどその声に、温度はなかった。
心がこもらないのは、わざとではない。
ただ、どうしてもそうなってしまうのだ。
ヴァンツァーの眉がわずかに動く。
彼の目に、冷えた怒りの色がにじむ。
「……本当に、嬉しいと思っているのか?」
その問いに、レオノールはゆっくりと顔を上げた。
銀の髪が風にそよぎ、瞳が彼を真正面から見据える。
「相応しいだなんて……ふふ、過分なお言葉ですね、殿下」
微笑みながら、ルビーのブローチを指先で軽くなぞる。
「でも、私、そういう真っ赤な情熱って、ちょっと苦手で――見ているだけで胸焼けしそうなんです」
あくまで柔らかい口調。
でも、その一言には線が引かれていた。
「お気持ちは、ちゃんと受け取りますわ。これを付けるに相応しいときまで大事に取っておきますわ」
ヴァンツァーの目が、わずかに揺れる。
言葉としては申し分ない。
誰が聞いても礼儀正しく、非の打ちどころはない。
けれどそこに、心からの好意や喜びは感じられなかった。
カシャン、と音を立ててティーカップが置かれた。
わざとらしくも聞こえるそれは、彼の苛立ちを隠そうとしない仕草だった。
握りしめられた拳が、膝の上でかすかに震える。
「……お前は、いつもそうだな」
唇の端がわずかに吊り上がる。
それは怒りとも違う、けれど何かを押し殺しているような笑み。
「言葉は整いすぎていて、礼儀も完璧だ」
カップの中の紅茶を指でなぞりながら、彼は続けた。
「だが、面白みに欠ける」
レオノールは答えない。
ただ、目を伏せて、そっと指先で紅茶のカップに触れる。
そこへ。
「――失礼いたします」
静かな声が、空気を切り裂くように響いた。
庭の入口に立っていたのは、カッシュだった。
白の軍服に身を包み、まっすぐに歩いてくるその姿に、レオノールは内心で息をつく。
「王宮より、急ぎの指示が届いております。ヴァンツァー殿下には、至急ご同行いただきたく……と」
穏やかだが、断固とした声。
その背筋は微塵の乱れもなく、ヴァンツァーでさえもその場で言葉を詰まらせる。
「……ふん。つまらん。今日の話は、また今度にしよう」
不満げな声を残して、ヴァンツァーは立ち上がる。
そして、レオノールの手に、ブローチの箱を乱暴に押しつけた。
その瞬間、指先から熱が伝わる。
体温よりも、わずかに高い。
まるで、石そのものが熱を持っているかのように。
レオノールは眉をひそめたが、何も言わなかった。
踵を返し、庭をあとにするヴァンツァーの背は――怒っているというよりも、どこか拗ねた子どものようだった。
彼が門をくぐり抜けた後、静寂が訪れる。
カッシュがふと、肩越しに振り返った。
視線が合う。
レオノールは、ほんの少しだけ口元を緩め、軽く頷いた。
ありがとう、と言葉にしなくても、それは確かに伝わった。
カッシュは一言も返さず、そのまま静かに歩き去る。
風が吹き、庭の薔薇が揺れる。
レオノールの手の中で、ルビーのブローチが、ゆっくりと紅の輝きを放った。
その赤は、太陽の光を浴びてもなお――まるで、血に濡れたような深さを帯びていた。




