紅茶と焼き菓子と、ちょっとした勘違い。
昼下がりの陽光が斜めに差し込み、石造りの街並みに柔らかな陰影を落としていた。
人気の少ない裏通りは、喧騒から切り離された静けさに包まれ、どこか秘密めいた気配を漂わせている。
その通りの一角に佇む、蔦の絡まる洒落たカフェの扉が、風の音すら打ち消すほど静かに開かれた。
木目調の落ち着いた内装が広がる店内の奥、半個室のブースでは木漏れ日のように優しく灯るランプがゆらめいていた。
そこには、すでにラフィーナが腰かけていた。
フリルのついたシンプルなワンピースに、淡い桃色のカーディガン。
頬を紅茶の湯気に染めながら、くるくるとスプーンを回している。
けれどその動きにはどこか落ち着きがなく、視線は何度も入り口へと向けられていた。
「まだかな……ふたりとも、今日は絶対面白い話が聞けるはずなのに」
テーブルの上には、香り高い紅茶と、焼きたてのフィナンシェ。
外はかりっと香ばしく、中はふわりと甘い香りが漂っている。
けれど、ラフィーナはそれを一口も口にしていなかった。
期待と好奇心が入り混じる胸の高鳴りに、ふうっと頬を膨らませては小さなため息をこぼす。
「……あ、来た!」
控えめなドアベルの音と共に、軽やかな足音が近づく。
カーテン越しに見えた影に、ラフィーナの顔がぱっと明るくなった。
姿を現したのは、カッシュ・グラード。
落ち着いた青のカジュアルジャケットに身を包んだ彼は、変わらず気品を纏っていた。
「こんにちは、ラフィーナ。予定の時刻より早いな」
「待ちきれなくて。 で、どうだったの? デビュタント!レオとは踊ったんですか?!」
身を乗り出して畳み掛けるように問いかけるラフィーナに、カッシュは目を細めて静かに笑った。
「……ああ。一曲だけ」
「えぇ~~っ!? ズルいですカッシュ様! わたしだって、レオと踊りたかったのに!」
大きくぶんぶんと両手を振るラフィーナに、カッシュは肩を竦め、けれど少し唇の端を上げた。
「それは残念だったな。もっとも……あの青いドレス姿は、なかなか見応えがあった。普段とはまるで別人のようだった」
「うぅ……いいなぁ、見たかったなぁ、着飾ったレオ」
ラフィーナが身を沈めながら呟くと、その表情にふと影が差す。
「ねぇ、ヴァンツァー殿下の様子は?レオ、ちゃんと怒らせられたのかな」
「怒らせるという目的は達したと思う。明らかに不機嫌だった。ただ、ひとつ誤算があった。俺の婚約の話をされてな」
「えっ、カッシュの婚約?するの?」
目を丸くするラフィーナに、カッシュは少しだけ肩をすくめた。
「……そういった類ではない。家の意向という形で話を振られただけだ。だが、はっきり断るつもりだと伝えた。……レオノールにも、聞かれていたがな」
「それなら安心ね」
ラフィーナがふっと安堵の息をつき、紅茶のカップにそっと口をつけた。
「レオノールのことがちゃんと片付くまでは……そんなの考えられないわよね」
「ああ。今は、それ以外に考える余裕はない」
カップを置く指先が静かに揺れ、二人は視線を交わす。
言葉は少なくとも、伝わるものはあった。
そのとき、ドアベルがふたたび鳴った。
「……お待たせ」
カーテンをそっとくぐって現れたのは、レオノールだった。
深い紺色のシンプルなジャケットに、襟元をゆるく開けた白いシャツ。
動きやすいダークグレーのパンツと、柔らかなレザーの靴。
全体的に控えめながらも上質な仕立ての服は、格式を重んじながらも目立たぬように配慮された装いだった。
髪は軽く整えてあるが、いまひとつ落ち着かない様子で、手元を袖口で隠すように握っている。
足取りもどこか曖昧で、迷いながら歩み寄ってくる姿には、いつもの毅然とした雰囲気は見られなかった。
「どうしたの? 顔、こわばってるよ?」
ラフィーナが首を傾げる。
レオノールは何かを迷うように唇を結び、視線をわずかに泳がせた。言葉を飲み込むように喉が上下し、呼吸が浅くなる。
言うべきか、それとも黙っておくべきか。そんな葛藤が、顔にありありと浮かんでいた。
けれど意を決したように小さく息を吐き、伏せていた瞳をふたりに向ける。
そして、覚悟を決めたように頭を下げた。
「……おめでとう。ふたりが、付き合ってるなんて知らなくて」
「…………」
「…………は?」
「付き合ってるの気づかなくて、ふたりに気を遣わせていたよな。ごめん」
沈黙を破ったのは、二人の思わぬ動揺だった。
「え? えええっ!?ち、ちがう、ちがう、ちがうから!!」
「……誤解だ。それ以上でも以下でもない」
ラフィーナはテーブルに身を乗り出し、カッシュも珍しく表情に色を乗せていた。
静かながらも、明らかに困惑している様子だった。
「レオ、ちがうの!私たち、そんなんじゃないの!」
「俺には……すでに意識している相手がいる。だから、その誤解は不本意だ」
「わたしだって、好きな人がいるから!勿論、カッシュ様じゃないから!」
「……え?」
レオノールが呆然と顔を上げる。
肩がわずかに震えていた。
「でも、カッシュが婚約断ったのってラフィーナと付き合ってたからじゃ」
「「違うっ!!」」
二人の声が重なった。
「そっか……ごめん。オレ、早とちりだったみたいだ」
レオノールの表情が安堵の色も滲ませていた。
「もう!なんでそんな勘違いになったんだか」
ラフィーナがレオノールの腕を掴んで、力強く引き止める。
ようやく空気がほぐれ、カッシュが咳払いをひとつ。
静かに席に戻った。
「さて、レオノールの番だな。俺からの報告は済んでいる。そちらも聞かせてもらおうか」
からかうようにカッシュを小突くラフィーナに、レオノールはようやく表情をゆるめ、小さく笑った。
「うん。ちゃんと、殿下を怒らせた。……けど、ちょっと焦ったけどね」
「ふふ。じゃあ、ゆっくり聞かせてもらおうか。レオフィア嬢の、大冒険を!」
ティーカップが軽やかに重なり、笑い声がふわりとカーテン越しに漏れていく。
三人のテーブルには、ようやく穏やかな空気が戻っていた。
けれど胸の奥に灯った感情は、それぞれの言葉にならないまま、そっと紅茶の湯気に紛れていった。




