戦闘準備は完璧です。
ドレスが届いたのは、まさに舞踏会当日の朝一番だった。
窓のカーテン越しに柔らかな朝の光が射し込み、静かな寝室を穏やかに照らしていたが、レオノールはすでに目を覚ましていた。
夜通し何度も寝返りを打ち、眠りにつくことができなかった。
不安と緊張が心を交互に締めつけ、枕元に積み重なった書籍や飲みかけのハーブティーのカップが、その落ち着かない夜を物語っていた。
そこに突然、廊下から慌ただしい足音が響き、寝室の扉が勢いよく開かれた。
「レオノール様、ドレスが到着しました!」
侍女のアリーが息を切らせて飛び込んできた。
彼女の頬は興奮と焦りで薄く紅潮している。
「ようやく来たか……」
レオノールは大きく安堵のため息をつき、ベッドの縁に掛けていたローブを羽織ると、そのままアリーの後を急ぎ足で衣装室へと向かった。
衣装室では、侍女たちが丁寧に包装を解き、大切そうにドレスを箱から取り出しているところだった。
そのドレスを見た瞬間、レオノールは驚きと感嘆で目を見開いた。
朝日を浴びて、淡い青色の布地が柔らかな光沢を帯びて輝いている。
控えめだが精緻な銀糸の刺繍が裾や袖口にほどこされており、その繊細さに思わず息を呑んだ。
余計な装飾がない分、レオノールの肌の白さや瞳の色を引き立てる見事な仕上がりだった。
「……さすがアトリエ・セリーヌだね。これなら安心できる」
シェラが優しく微笑みを浮かべて同意する。
「本当に美しいドレスですわ。アトリエ・セリーヌの仕事はさすがです」
レオノールが感嘆の表情を浮かべていると、衣装室の扉が静かに開いた。
ミーシャが優雅な足取りで中へと入り、手には美しく細工された小箱を抱えている。
「レオフィア、あなたが頼んでいたアクセサリーを持ってきましたよ」
そう言って、彼女は静かに箱を開いた。
箱の中には、ミーシャが日頃から大切にしているシンプルで気品ある真珠とダイヤモンドのネックレスとイヤリングのセットが収められている。
朝の光を受けて宝石が柔らかに煌めき、ドレスにぴったりの品の良さを感じさせた。
「ああ、ありがとうございます、母上。助かりました」
レオノールは安堵の表情を浮かべ、心からの感謝を込めて微笑んだ。
視線がふと、衣装室の棚の上に無造作に置かれた別のアクセサリーケースへと動く。
ヴァンツァーから送られた派手なルビーのネックレスとイヤリングだ。
あのドレスと一緒にに届いたそれらは、ドレスが何者かによって別物にすり替えられていたと判明した時、念のためと鑑定を依頼したのだった。
その結果、宝石はすべて巧妙なイミテーションであると判明し、侍女たちの間でも驚きと共に話題になったばかりだった。
レオノールは棚の上の鮮やかすぎる赤いアクセサリーをちらりと見て、小さくため息をついた。
「まったく、殿下からの贈り物まで偽物にすり替えるなんてね……」
思わず漏れた呟きに、ミーシャが母親らしい穏やかな微笑を浮かべつつも、どこか呆れたように眉を寄せて口を開いた。
「王家からの贈り物まで偽物にすり替えるなんて、大胆不敵にもほどがありますね……一体誰の仕業でしょうか」
「本当に、信じられませんよね……」
レオノールは肩を落として苦笑した。
と、その時、再び衣装室の扉が控えめにノックされ、アリーが小さな箱を手に入ってきた。
「レオフィア様、ドレスと一緒にこちらも届いております」
彼女が丁寧に開いた箱の中には、深緑色のベルベットのクッションに美しいエメラルドのネックレスとイヤリングが収められていた。
宝石は繊細なカットが施され、品格ある落ち着いた輝きを放っている。
ドレスの色とも完璧に調和し、まるで初めからこのドレスに合わせるために誂えられたかのようだった。
「これは……いったい誰から?」
戸惑うレオノールに、アリーは丁寧に折りたたまれた封筒を手渡した。
見覚えのある端正な筆跡が目に入り、レオノールはそっと頬を緩めながら文面を追った。
『ヴァンツァー殿下が深緑の礼服を着用されると聞いた。君もエメラルドを身につければ体裁が整うだろう。良い一日を――カッシュ』
短く簡潔な言葉だったが、彼らしい優しい気遣いを感じて胸の奥が温かくなった。
レオノールの様子を見守っていたミーシャは、微笑ましげに静かな笑みを浮かべた。
「まあ、さすがカッシュ様ね。あなたのことをよく考えてくださっているわ」
「……なんだかんだ、助けられてばかりですね」
素直に頷きながら、レオノールはミーシャに申し訳なさそうに視線を向けた。
「せっかく母上にお借りしたのに、申し訳ありませんが、今日はこれを身に着けてよろしいでしょうか?」
ミーシャは穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
「もちろんですよ、レオフィア。一番似合うものを身につけなさい。大丈夫、今日の主役はあなたですもの」
ミーシャの言葉に後押しされるように、レオノールの緊張は少しずつ解けていった。
レオノールは深く頷き、侍女たちとともに準備を始めた。
髪型を念入りにセットし、ドレスを身につけ、仕上げにエメラルドのアクセサリーを装着する。
鏡に映る自分の姿は、自分でも驚くほど洗練されており、堂々たる令嬢そのものだった。
「すごい……本当にこれが私?」
感動で声を詰まらせるレオノールに、侍女たちは嬉しそうに微笑んだ。
「はい。今日はレオノール様のデビュタントです。いつも以上に気合を入れて準備させていただきました」
シェラの言葉に勇気づけられ、レオノールは心を落ち着かせる。
午後の陽光の中、ついに王宮へと向かう時間になった。
庭園には鮮やかな花々が咲き誇り、爽やかな風が軽やかに吹き抜けている。
馬車がゆっくりと邸の前に止まり、御者が深々と礼をする。
「行ってまいります」
レオノールは静かな覚悟を胸に抱きながら、凛とした表情で馬車に乗り込んだ。
馬車が街を抜け、王宮へと続く道を進んでいく間、窓の外を眺めながらレオノールは深呼吸をした。
(いよいよだ。これは戦闘だ。オレは、今日、このドレスを纏って戦場に立つ)
心の中で決意を新たにする。美しいエメラルドが胸元で静かに輝き、彼の覚悟を後押ししているようだった。
読んでいただきありがとうございます。感想など頂けたら嬉しいです。




