目覚めたら知らない部屋でした。
闇の中、光が明滅する。
(お、れ……は……)
明滅する光が徐々に増えて行き、闇が真っ白に染まっていく。
(……おれ、は……)
意識がゆっくりと浮上していく。
ふわりと包み込む柔らかな布の感触。
仄かに漂う清潔なリネンの香り。
夢の中にいるような心地よさと、どこか違和感のある現実感が混ざり合う。
まぶたを持ち上げると、ぼんやりとした視界の中に映るのは——知らない天井。
瞬きをすると、徐々に輪郭がはっきりしていく。
静寂の中、微かに水の滴る音が耳に届いた。それは現実のものか、夢の残響か。
レオノールは息を詰まらせる。
胸の奥で鈍い痛みがくすぶるように響いた。
この場所はどこだ?
何が起きた?
鼓動がわずかに速まる。
霧がかった思考の奥を手探りし、記憶をたぐり寄せる。
(確か……俺は、あの店の、地下で……)
剣を抜いた感触、響く金属音、敵の怒号。
目の前にあったのは戦場だった。
戦わなければならなかった。
みんなを助けるために。
そして……脇腹を深々と貫いた、あの鋭い痛み。
全身がびくりと震える。
それと同時に、無意識に体を起こそうとした。
「……っ!」
瞬間、鈍い衝撃が全身を駆け抜ける。
痛みが鈍く響き、息が詰まる。
まるで体が重しに縛られているかのような感覚。
鉛のように沈む腕、動かない指先。
それでも、歯を食いしばりながらゆっくりと脇腹へ手を添えた。
掌越しに伝わる、わずかに熱を持つ皮膚。
傷口は、まだそこにあった。
慎重に指先を滑らせる。
布の上から撫でるように触れると、確かに縫合された感触がある。
完全に治ったわけではない。
だが、しっかりとふさがっていた。
(……治癒魔法か?)
安堵とも困惑ともつかない感情が胸をよぎる。
助かったのか?
しかし、ここはどこなのか。
誰が自分を治療したのか。
何が起こったのか。
じわじわと冷たい焦燥が広がっていく。
レオノールはゆっくりと息を吐いた。
今、すべきことは一つしかない。
状況を確認しなければ。
次の瞬間、違和感に気づいた。
(……ん?)
手の感触が、いつもと違う。
布の質感が違う。
(何だ、これ……?)
着替えさせられていた。
心臓が跳ねた。
元々着ていた服ではない。
手触りの良い、ゆったりとした寝間着。
(マズい……これは、ヤバい……)
何が起こった?
誰がこれを?
どこで?
焦燥感がじわじわと胸を締めつける。
レオノールは急いで周囲を見渡した。
知らない部屋。
高級そうな家具が整然と配置され、壁には繊細な装飾が施されている。
深みのある木の色合いが、どこか静謐な雰囲気を醸し出していた。
窓から差し込む光が、重厚なカーテンの隙間からわずかにこぼれ、室内に淡い影を落としている。
(ここ……どこだ?)
混乱する頭を抱えたその時、扉が静かに開いた。
「失礼いたします」
優雅な動作で入ってきたのは、整った身なりの女性だった。
シンプルながら質の良い布地の侍女服。
動作の一つひとつに、無駄のない洗練された所作が感じられる。
しかし、彼女がレオノールの目が覚めていることに気づいた。
「っ……!」
息を呑むように驚いた。
次の瞬間、慌てて姿勢を正し、少しうわずった声を上げた。
「若様をお呼びしてまいります!」
彼女は足音も軽く、ほぼ駆けるようにして部屋を出て行った。
扉が閉まる音が、妙に大きく響く。
(……若様?)
誰だ、それ。
そんな人物に心当たりはない。
(というか……着替えさせられた上に、若様って……どういう状況だよ!?)
じわじわと背筋に冷たい汗が滲む。
このままここにいていいのか?
それとも……逃げるべきか?
そう考え、ベッドから足を下ろした瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「レオノール!」
駆け込んできたのは、カッシュとラフィーナ。
次の瞬間、ラフィーナが涙を滲ませながら飛び込んできた。
華奢な肩が細かく震えている。
「よかった……! 本当に……よかった……!」
その声は、どれほど心配をかけたのかを物語っていた。
彼女の腕がきつくしがみついてくる。
レオノールは戸惑いながらも、彼女の背を優しく叩いた。
一方、カッシュは深く息をつき、低く呟いた。
「……無事で、よかった。」
その言葉に、レオノールは少し気まずい気持ちになる。
「心配、かけたみたいだな……。」
だが、その言葉を聞いた途端——
カッシュの表情が険しくなった。
「当たり前だ!」
叩きつけるような言葉に、レオノールは思わず身を引く。
「なぜ、あんなところにいた? それに、なぜレオフィアに変装してまで潜入した?」
「え?」
レオノールの思考が止まる。
「女性でなければ潜入できないのは分かる。だが、だからといって双子だからとレオフィアに変装するなんて……!」
レオノールはようやく気づいた。
(そうか……この二人、俺がレオフィアに変装していたと思ってるのか……!)
事情を知らない二人は、レオノールが意図的にレオフィアになりすましていたと誤解している。
(マズいな……話がややこしくなってきたぞ……)
全てを説明するか、それとも誤解のままやり過ごすか。
(……悩む。めちゃくちゃ悩む……どうしよう)
二人の視線が、心配そうにレオノールを見つめていた。
その視線を受け止めるだけで、心がざわつく。
カッシュは普段冷静なはずなのに、今は抑えきれない苛立ちが滲んでいる。
ラフィーナは目元を赤く染め、今にも泣きそうな顔でこちらを見つめていた。
この二人は、俺を本気で心配してくれている。
それは分かる。分かっている。
(だけど……全部話したら、何て思われる? 俺が本当は……)
喉の奥に言葉が引っかかる。
話すべきだ。そう分かっているのに、言葉にするのが怖い。
今まで隠してきたことを明かせば、二人の反応がどうなるか分からない。
困惑するかもしれない。怒るかもしれない。
(……でも、誤魔化せるのか? この状況で……?)
視線を向ければ、ラフィーナの瞳には純粋な不安が宿っていた。
カッシュの眉間には、深い皺が刻まれていた。
二人とも、俺の言葉を待っている。
俺が何を言うのか、聞く準備をしている。
(もう……騙すのは嫌だ)
沈黙を破るように、ゆっくりと息を吸った。
胸の奥に絡みつく迷いを振り払い、今、すべきことを決める。
そして、まっすぐ二人を見据える。
「……全部、話すよ」
そう言った途端、胸の奥にわずかな重みが広がった。
それは、安堵と緊張が入り混じった奇妙な感覚だった。
ラフィーナは涙の滲んだ瞳で、じっとレオノールを見つめる。
期待と不安が入り交じった表情。
カッシュも腕を組み、視線を逸らさずにいる。
ただの詰問ではない。
彼らは真実を聞く覚悟を決めているのだと、痛いほど伝わってくる。
レオノールは唾を飲み込み、わずかに震える手を膝の上に置いた。
どこから話せばいい?
何から伝えるべきか?
心臓が小さく跳ねる。
指先が、汗ばむほどの緊張を帯びていた。
窓の外では、夜の帳が静かに降りている。
星の光が薄闇を縫い、遠くでかすかな風の音が聞こえた。
部屋の中は暖かいはずなのに、背筋にひやりとした感覚が走る。
ラフィーナが、そっと口を開いた。
「レオノール……本当に、大丈夫なの?」
その声は震えていた。
ただ心配しているのではない。
レオノールが語る真実が、彼自身をさらに傷つけるのではないかと恐れているのだ。
ふっと、苦笑が漏れそうになる。
どれだけ心配をかけてしまったのか、今さら痛感する。
カッシュが、わずかに眉をひそめながら口を開いた。
「お前が何をしていたのか……全部聞く。だが、覚悟しろよ」
レオノールは静かに頷いた。
もはや、誤魔化す理由はどこにもない。
手を握りしめ、口を開こうとした。
だが、思いのほか言葉が出てこない。
まるで喉の奥に絡まっているかのように、重い沈黙が訪れた。
(……落ち着け)
もう迷うな。
隠すことに意味はない。
ふうっと、長く息を吐く。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「俺は……」
その一言を皮切りに、夜の静寂の中で、真実が紡がれ始めた。




