助けに来たのに助けられました。
夜の酒場の裏手、湿った石畳の上に身を潜めながら、ジットは不安そうに仲間たちを見回した。
路地の隅には打ち捨てられた木箱や酒瓶が転がり、夜の冷気が肌を刺す。
「姉ちゃん……本当にここにいるのか?」
そっと酒場の窓へ目を向ける。
薄いカーテン越しに明かりが揺れ、何人かの人影が映し出されている。
外からでは詳細はわからないが、間違いなく人の気配があった。
「さっき、ここに連れ込まれるのを見たんだ」
ジットは拳を強く握りしめる。
と、その時。
「……お前ら、こんなところで何をしている?」
低く、静かな声が背後から響いた。
ジットの背筋が凍りつく。仲間たちも息をのんだ。
反射的に振り返ると、暗がりの中から長身の影がゆっくりと現れる。
その瞳が鋭く光り、こちらを射抜く。
「ちょ、ちょっと! 放せ!」
「俺たちは何も悪いことしてない!」
必死に逃げようとするが、すぐに腕を掴まれた。
力の差は歴然で、振り払うこともできない。
すると、別の方向から足音が近づき、複数の影が現れた。
夜風にたなびく青を基調とした制服――警備隊だった。
「そこまでだ」
鋭い声が響く。
前へと進み出たのは、隊長らしき男。
淡い月明かりに照らされた横顔は冷静で、だが油断のない視線がジットたちを射抜いた。
「こんな時間に、こんな場所で何をしているんだ?」
ジットは唇を噛みながら答える。
「姉ちゃんが……姉ちゃんが、あの店にいるんだ!」
その言葉に、男――カッシュ・グラードはわずかに眉をひそめた。
「あんなところに?」
視線を酒場へと向ける。外観は普通の酒場だが、カッシュの表情には疑念が浮かぶ。
実は、この店は以前から警備隊の捜査対象となっていた。
裏で何かしらの違法取引が行われているとの情報があったが、確たる証拠はなく、今まで動くに至っていなかった。
カッシュは小さく息を吐き、ジットたちに目を戻す。
「……俺が様子を見てきてやる。お前らはここで待っていろ」
そう言い残し、部下にジットたちの見張りを命じると、酒場の入り口へと向かった。
扉を押し開けると、むわっとした酒と煙草の匂いが鼻を突いた。
空気は淀み、薄暗いランプの明かりがぼんやりと店内を照らしている。
「いらっしゃい……こんな時間に珍しいねえ」
カウンターにいた店員が、笑みを浮かべながらも、その目には警戒の色が滲んでいた。
「店主を呼んでくれ」
カッシュは静かに言った。
「店主? どうしてまた?」
「少し話がある。いいから呼んでくれ」
店員が渋い顔をしながら奥へと歩き出す。
その背中を見送った瞬間――。
ドォォン!!
突然、店の奥から爆発音が響き渡った。
「なっ……!?」
激しい衝撃とともに、店全体が震える。
天井からホコリが舞い、客たちが悲鳴を上げて逃げ出した。
「待って! そこはっ!」
店員が慌てて制止しようとするが、カッシュはすでに駆け出していた。
薄暗い廊下を突き進むと、奥の部屋の扉が吹き飛び、そこから煙と炎が立ち上っている。
焦げ臭い匂いが鼻をつき、視界が霞む中で、地面に倒れる人影が目に入った。
血の匂いが混じっている。
「レフィア……!?」
カッシュは思わず息を呑んだ。
◆ ◆ ◆
「……親方が呼んでる」
重々しく軋む鉄扉の向こうから、無骨な男たちが無造作に足を踏み入れた。その視線は冷たく、微かな期待すら許さない圧力が漂う。
彼らのひとりがレオノールの腕を荒々しく掴む。
(……いいタイミングだ)
レオノールは静かに目を閉じた。血の気が引くような緊張が張り詰めるが、内なる鼓動は冷静さを保っている。
「行くぞ」
男たちは有無を言わせずレオノールを引き立てようとする。
足音が地下の湿った床を叩く。
数歩進んだところで、レオノールは息を潜めたまま一気に動いた。
「今だっ!」
一瞬の隙を突き、レオノールは身体を捻った。勢いよく腕を引き剥がし、相手の懐に滑り込むと、腰の剣を素早く奪い取る。
「なっ――!?」
驚愕に目を見開く男。その喉元に冷たい刃を突きつけた。
「捕まってるフリをするのも、なかなか大変だったよ」
レオノールは冷笑を浮かべながら、剣の切っ先を揺らす。
他の男たちが一斉に動き出す。
しかし、彼女の目は鋭く、冷静に状況を把握する。
(まずは場をなんとかしないと。ラフィーナたちを助けるのはその後だ)
その思考が巡る刹那、重々しい足音が響いた。
「へぇ……思ったより、やるじゃねぇか」
奥の扉が開き、脂ぎった笑みを浮かべた親方が悠々と姿を現す。
その目は獲物を品定めするような嫌悪感を伴う視線だった。
「だがな、お嬢ちゃん――」
親方が顎をしゃくると、別の男が動いた。
レオノールが反応するよりも早く、ラフィーナが捕えられた。
「ッ……!」
ナイフが白い首筋に突きつけられる。
ラフィーナの目が怯えに揺れ、喉が細かく震えていた。
「どうする? そいつを助けたければ、大人しく剣を置くんだな」
親方の声は愉悦に満ちている。
レオノールの手が止まる。
(……どうする?)
この状況で剣を置けば、確実に不利になる。
しかし、ラフィーナが殺される可能性を考えると迂闊に動けない。
「えいっ!」
その時だった。
ラフィーナが、男の足を思いっきり踏みつけた。
「がっ……!?」
鈍い音が響き、男が痛みによろめく。
その隙を逃さず、ラフィーナは力いっぱい身を捻る。
しかし、その勢いで男の手が弾かれ、彼女の身体が床に投げ出された。
「クソガキがッ!」
怒りに燃えた男が、剣を振りかざす。
「ラフィーナ!」
レオノールは迷わず飛び込んだ。
その瞬間、鈍い感触が脇腹を貫く。
「……ッ!」
熱が広がる。まとわりつく痛みが全身を襲い、呼吸が乱れる。
(……しくじった)
剣を握る男の歯を食いしばった表情が目に入る。
しかし、後悔している暇はない。
「……クッ」
レオノールは歯を食いしばると、風魔法を発動させた。
「ウィンド・ブラスト!」
轟音とともに衝撃波が巻き起こり、男は壁に叩きつけられるように吹き飛ばされた。
さらに、出口を確保するため、全力で火炎魔法を放つ。
ドォォン!!
壁が爆ぜ、炎が爆風と共に立ち上る。
激しい熱風が地下を駆け抜け、瓦礫が崩れ落ちる。
煙が充満し、視界が霞む。
「みんな、逃げろ!」
囚われていた人々が、一斉に駆け出す。
その中で、ラフィーナだけは動かなかった。
目の前で崩れ落ちるレオノールに駆け寄り、震える腕でしがみつく。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
彼女の涙が、レオノールの頬に落ちた。
レオノールは微笑し、震える指でラフィーナの頭をそっと撫でる。
「……勝手に庇ったのは、私だから……泣かないで」
視界がぐにゃりと歪む。
(……ヤバいな、これ)
意識が揺らぐ中で、踏み込んできた影が目に入る。
「レオフィア!」
カッシュ・グラードが駆け込んできた。
剣を片手にしたまま、すぐさま状況を把握し、険しい顔でレオノールを抱き起こす。
「クソ……出血が多い。治癒魔法師はいないのか!?」
彼の声が焦燥に滲む。
周囲の警備隊員が駆け込んでくるが、すぐに治療できる者はいない。
レオノールは口を開こうとしたが、言葉が出ない。
意識が沈み込んでいく。
その時、淡い光が辺りを包んだ。
驚いたようにカッシュがラフィーナを見る。
ラフィーナの身体が静かに輝き始めていた。
指先がじんわりと熱を帯びる。
体の奥底から何かが湧き上がる感覚。
「……これ、何?」
レオノールは呆然としながら、光に包まれる感覚を覚えた。
視界が揺らぐ。
(……ああ、眠くなってきたな)
光の温もりに包まれながら、意識がゆっくりと、闇の中へと沈んでいった。
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