華麗に潜入捜査開始です。
レオノールはジットの姉の服を手に取り、軽く広げてみた。
どこにでもいる町娘が着ていそうな、素朴なワンピースだ。
飾り気はないが、その分、街に紛れ込むにはうってつけだ。
指先で生地の感触を確かめながら、ふと口元を緩める。
「よし、ちょっと着てみるか」
そう呟くや否や、迷うことなく手早く着替え始めた。
「えっ?!」
「ちょ、兄ちゃん?!」
突然服を脱ぎだしたレオノールに、ジットとミルドは慌てふためき、顔を真っ赤にして背を向ける。
肩越しにチラチラと様子を窺うが、レオノールは全く気にする様子もない。
「いや、何驚いてるんだよ。男が着替えるくらいで」
袖を通しながら、平然とした口調で言う。
「いやいやいや! 兄ちゃん、それは……!」
「何?」
ワンピースの裾を軽く整え、腕を回して動きやすさを確かめる。
元々華奢な体つきのせいか、思ったよりもしっくりきた。
軽く伸びをして鏡代わりのガラス戸に目を向けると、そこには見慣れない"少女"の姿が映っていた。
柔らかい布地が身体を包み込み、普段の無造作な服装とはまるで違う。
レオノールは一度髪をほどき、手ぐしで軽く整えながら、いつもより高めの位置で結び直した。
ほどよくラフなまとめ髪は、街で見かける娘たちとそう変わらない。
「どうだ?」
レオノールが振り返ると、ジットとミルドは完全に固まっていた。
口を開けたまま言葉を失っている。
「……兄ちゃん、本当は姉ちゃんだったのか?!?」
二人はほぼ同時に叫び、レオノールをまじまじと見つめる。
レオノールは一瞬だけ何も言わずに、口元を押さえる。
そして、わざとらしく頷きながら、ふっ……と微かに笑った。
「……さて、どう思う?」
いたずらっぽく問いかけると、ジットとミルドは慌てて顔を見合わせる。
「えっ、えっ、本当に……?」
「いやいや、待てよ……!」
その反応を楽しむように、レオノールは肩をすくめて笑う。
「残念、兄ちゃんだよ」
それを聞いた瞬間、ジットが「紛らわしい!」と叫び、ミルドは「マジで焦った……」と額を押さえた。
レオノールはもう一度ガラス戸に映る自分を眺めた。
髪を結び直し、ふわりとした裾を軽く揺らしてみる。
どこにでもいそうな町娘の姿に見えた。
(おお、思ったよりそれっぽいな)
口元に笑みを浮かべ、満足げに頷く。
「完璧だな」
最後にジットたちに向き直り、念を押すように言った。
「遅いから寝てろよ。子供が夜更かしすると大きくなれないぞ」
「……お前が言うなよ」
ジットが口を尖らせるが、レオノールは軽く肩をすくめ、家を出た。
レオノールが去った後、家の中は一瞬の沈黙に包まれる。
薄暗い部屋に残るのは、彼が脱ぎ捨てた服と、まだ余韻を引きずるジットとミルドの姿。
そして、ジットがミルドを見た。
「なぁ……つけてみねぇ?」
「だよな!」
二人は顔を見合わせると、こっそりと立ち上がると二人はこそこそと動き出した。
ミルドは大げさに忍び足をし、ジットは「しっ」と口に指を当てる。
だが、気づかれまいと意識するあまり、壁に肘をぶつけかけて慌てて止まる。
「声出すなって! 見つかったらどうすんだよ!」
「わかってるって……って、兄ちゃん歩くの速くね?」
「くそっ、ついてくの大変……っ!」
ジットが息を切らしながらミルドに囁く。
「そんなこと言ってる間に見失うぞ!」
レオノールは特に警戒している様子もなく、さっさと夜の街を歩いていく。
その背中を見失わないようにしながら、二人は建物の影に隠れつつ後を追った。
◆ ◆ ◆
夜の街は、深い静寂に包まれ始めていた。
だが、飲み屋街へ足を踏み入れた途端、空気は一変する。
熱気と喧騒が入り混じる空間では、酒をあおる男たちの笑い声、どこか場違いな音楽、そして嬌声が飛び交っていた。
街角では、身を寄せ合う女たちが男たちの袖を引き、誘うように囁いている。
(なるほどな……ここが待ち合わせ場所か)
レオノールは目の前の小さな酒場を見上げた。
他の賑やかな店とは違い、どこか陰気な雰囲気が漂っている。
看板はくすみ、扉の蝶番は錆びつき、明かりも薄暗い。
客を選ぶような、排他的な空気がある。
入口の扉を開けた瞬間、数人の客の視線がこちらに向く。
だが、それは一瞬のことで、すぐにまたそれぞれの酒へと戻っていく。
それがかえって不自然に思えた。
空気には酒と煙草の匂いに混じり、どこか鉄錆びのような異臭が漂っている。
まるでここが、ただの飲み屋ではないと匂わせるようだ。
(……この店、ただの飲み屋じゃないな)
カウンターの向こうで、ワイングラスを拭いていた女性店員が、ゆるく巻いた髪を肩越しに払いながら視線を向けた。
ルージュの引かれた唇が、薄く微笑む。
「……仕事ねぇ」
低く掠れた声は、どこか甘やかでありながら、警戒心を隠さない。
「あんた、どこからの紹介?」
彼女の声には、ただの酒場の店員ではない、何かを見抜く鋭さがあった。
「……紹介ってわけじゃないけど、話を聞いて……ここに、来たら仕事貰えるって……」
そう答えると、彼女は少し顎を上げ、店の奥を示すように視線を流す。
「ふぅん……親方ァ、新入りが来たみたいよぉ」
彼女はゆるく笑みを浮かべながら、グラスを指でくるりと回す。
その仕草には、どこか楽しんでいるような、試すような雰囲気があった。
すると、奥の暗がりから、脂ぎった男が現れた。
ずんぐりとした体格で、目を細めながらゆっくりとレオノールを舐めるように眺める。
商品を選ぶかのような、いやらしい視線。
口の端がわずかに持ち上がり、喉の奥でくぐもった笑い声を漏らした。
(……うわ、最悪)
それでも表情を変えず、レオノールはただ黙って視線を受け流す。
そう思いながらも、レオノールは平然と視線を受け止めた。
しばしの沈黙のあと、男はニヤッと嗤った。
「名前は?」
その問いに、レオノールは軽く息を吸い、すぐに作り笑いを浮かべる。
「フィア」
「……フィア、ねぇ」
男は笑みを浮かべながら腕を組み、顎をしゃくる。
「ついてこい。詳しい話は奥だ」
そう言い残し、男は店の奥へと歩き出した。
先に進むごとに、空気がどこか冷たくなっていく。
(……逃げ道はあるか?)
何気ない素振りで周囲を観察しながら、レオノールは男の背を追った。
通路に漂う酒と煙草の匂いの奥に、どこか湿った土のような匂いを感じた。
(……地下室か? あるいは、もっと『隠し部屋』みたいな場所があるのか?)
店の奥へ向かうにつれ、街の喧騒が遠ざかるのではなく、まるで切り離されていくような感覚を覚えた。
床板は踏むたびに軋み、鼻を突くような湿った土の匂いが濃くなっていく。
壁にかかったランプは煤け、明かりがまばらに揺れている
閉鎖的な空間に飲み込まれるような感覚。
足を進めるたびに、奥へと引き込まれていくような感覚に襲われる。
レオノールは、内心の警戒を悟らせないように、静かに足を進める。
ふと背後を振り返ると、酒場のカウンターにいた男たちが、小声で何かを話していた。
こちらを見ているようで、見ていない。
それが余計に不気味だった。
レオノールは深呼吸を一つ。
(さて、どんな話が出てくるか……)
軽くスカートの裾を整え、静かにその後を追った。
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