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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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打上古墳群(寝屋川市)

墓地を過ぎて右折し、東へ向かった。もう少しで20号線(東高野街道)というところで、北に国守神社があるようで、寄り道をしに左折。

高台にと上って行った。高台は寝屋川市だった。一番の高台あたりを右折。地名は明和だった。

工事中のところを通って神社に入って行った。

南から坂を上ってくるのが表参道で、わたしたちは脇(西側)から入っていったみたい。後で表参道の階段を下って行くと、そこでも工事が行われていて、都市計画道路が造られているところらしかった。

このあたりは元は国守町(もっと前には交野郡水本村、その前には燈油村)といい、かなりのディープスポットだったみたい。悪名高かったらしき団地は建て直し、道路をつくり、つくりかえていこうとしているところなのかな。

神社は荒れ果てた感じだった。すぐ隣に厳島神社らしき祠が祀られていて、こちらは参拝者もいて、きれいに保たれ、参道の階段には雰囲気もあった。2つの社がすぐそばに鎮座しながら、別々に参道階段をもっていた。

国守神社の詳細は不明。国守って名でありながらどうしたことだろう。

燈油とゆ村は中世には石清水八幡宮の荘園の一部だったそう。それ以外のことは分からなかった。その後、水本、国守と改名。どうして国守としたのかもよく分からなかった。

けれどこの、縄文時代の土偶も見つかっているような土地柄の高台は、なにか素敵なところだったのじゃあないかなあ。海の音も聞こえるような、緑がいっぱいで見晴らしのいいところ。

南の参道の階段を下り、道路の工事を避けて進むと、また方向が全く分からなくなった。

新しい道路に沿って左折して進んでいくと、高台に元は池だったのだろう公園(宮池公園)があった。

公園はきれいだし、奥には新しいマンションが建っていて、見晴らしもよくて、とてもいいところだった。

公園の別の方向に沿っては、かなりぼろぼろ、バロック的なおうちが並んでいた。池の周りをボロ屋がとり囲んでいたのだろうな。取り壊されると、きれいなおうちが建てられていくのだろうな。

きれい一色に変貌する前の、歴史の証人的なぼろ屋たちって、すてきだ。


道路に出て右折して行くと、20号線(東高野街道)だった。

細い道だけれど車道で、しかもバスも通る。20号線を北上していった。歩道は狭すぎて、わたしはおかあさんのだっこで。

少し行くと左手に明和小学校があって、右手には打上古墳群の石たちがまとめられてあった。

このあたりには6世紀の打上古墳群があったのだけれど、ほぼすべてが消滅。耕地などになるのに壊されたと思われるそうだ。このあたりでは古墳群なんて珍しくもなくて、開墾するのに石は邪魔なだけで、壊してはわきによけていったのだろうなあ。

石室などに使われていた石の一部がここに集められているのだって。石でつくられた祠に2体の地蔵が祀られていて、これは弘法大師像らしかった。

このあたりには他にも大師祠が多く祀られていて、ナンバリングされているのだって。霊場巡礼の第〇番みたいに、大師祠を巡礼していたと思われるそうだ。けれどそれも、察するに、ってことなのかな。いろんなことがもう分からなくなっているみたい。


打上って、前の河内街道歩きでもちょっとやって来たことがあった。

この東の打上元町の高台には打上神社があるのだって。元は高良神社といい、由来は不詳。高麗こうらい高良こうらになったという説もあるみたい。

裏山には石宝殿いしのほうでん古墳(国の史跡)があるそうだ。7世紀のもので、北河内では唯一の古墳時代終末期の大型古墳らしい。飛鳥の「鬼の俎・鬼の雪隠」とかと同じ形式の、とても珍しいもの(石棺式石室)なのだって。当時の支配層の墓と思われるそう。

打上古墳群とか清滝古墳群とかの群集墳が渡来人たちの墓地で、石宝殿古墳などがこの土地の支配者の墓?

前に歩いた磐船街道では、箸墓古墳との関係が考えられるという禁野車塚古墳(4世紀前半)もあったし、北河内にも大和朝廷にとても近い有力者がいたのかな。

しかし、なんだろう、このあたりのゴミの出し方がちょっと気になった。ゴミを出すにもきちんと出すこともできると思うのだけれど、雑然と放置している感じで、道脇に目立っていた。


それから右手に寝屋川公園駅(JR学研都市線)が見えてきた。東寝屋川駅だったのを改称したんだそうだ。東寝屋川という呼称もあまりいいイメージではなかったみたい。

そのまま信号まで進むと、寝屋川公園の入り口があるようだった。そして寝屋川公園駅近くには埋蔵文化財資料館があるらしかった。そこに行くことも考えていたのに、その時にはすっかり失念してしまっていた。

前回の散歩では、公園で休憩できなかった。唯一の公園の入り口が封鎖されていて。そんなことにならないように、寝屋川公園で休憩しよう、と、それしか考えていなかった。

ただ界隈にめぼしいお店が見つからなくて、食料調達に少々骨を折った。結局、公園そばのコンビニでパンをゲット。

寝屋川公園は、秋色の木々で美しかった。

公園の上を通る車道の橋からは遠くまで見渡せて、山々とマンションと紅葉した木々が一度に見えて、素敵だった。

広い公園の木々の中、小さな丘の東屋で休憩。

それから埋蔵文化財資料館のことは忘れたまま、寝屋川公園駅近くの出入口から出ていった。

大きな旧家がいっぱいあった。田伏さんの表札が多かった。

そのまま進むと20号線で、前回はここまでを東高野街道として歩いてきていた。

ここからは少し西側に旧道が残っていて、20号線を少し通り過ぎて、JAのある辻へ。

古い道標があって、ここ(四つ辻)が東高野街道と奈良伊勢道との辻だって。今来た道が伊勢道かな。

交差する東高野街道を北上。

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