磐船街道を交野市駅まで
百済王神社から禁野橋(天野川)に戻り、天野川の東側を南下して行った。
天野川は「天の川」で、交野は日本最古の七夕伝説の地とも言われるのだって。織姫を祀る機物神社などもあり、交野バージョンの七夕伝説では、彦星はニギハヤヒだという話もあった。
それも、機織をよくした秦氏が交野近辺に住んでいたからなのかな。秦氏は5世紀頃(応神天皇の時)に日本にやって来た、秦の始皇帝の子孫なんだって(一説には)。機織と共に七夕伝説を日本に伝えたのだとか・・・。
仁徳天皇の時、茨田郡(枚方・門真など)から交野郡三宅郷あたりに茨田屯倉がおかれ、淀川の治水のために茨田堤がつくられている。
堤は渡来人の新しい技術で造られたと思われるのだって。
応神天皇陵、仁徳天皇陵なども渡来人の新技術で大型化できたんだとか。
茨田あたりには、秦氏や渡来系の茨田氏などが多く居住していたそうだ。茨田堤を造るのに技術を提供したのだろう人々。後に聖徳太子が重用したっていう秦氏、秦河勝も枚方住まいだったらしい。
税務なんかにも渡来人が重宝されたのだろうと思う。
調査し、記録し、管理し、ってことに、母国でも官吏だったかもしれない、王族に付いて日本にやって来た人々は長けていただろうものな。
対岸の秋の桜並木がきれいだった。
遊歩道も整備されているのか、ウォーキングする人の姿も見えた。
東側のこちらの道は、大ススキっていうのかな、でっかい草がぼうぼうと生えていて、対岸と差をつけられている感じだった。
対岸を歩いたほうがよかったかな・・・と思っているとき、左手になんだかすがすがしい空気感のところが現れた。
堤を下りて行ってみると、禁野車塚古墳だった。
散歩していて知ったことには、車塚って前方後円墳のことだ。小さな公園になっていて、ゲートボールの準備がされているところだった。けれど、ここが国の史跡。
3世紀末から4世紀初頭の古墳と思われ、箸墓古墳(3世紀後半?)との関係がうかがえるのだって。
ここは伊加賀に近い。ニギハヤヒの何代か後、9代開花天皇の皇后の兄であり、朝廷の重鎮でもあっただろう肩野物部の祖イカガシコオが住んでいたところ。
このあたり一帯がイカガシコオの勢力地だったのかな。ここは肩野物部の大物の墓?
淀川をはさんで対岸は、唐崎とか三島江とか。三嶋溝杭(神武天皇の妻の祖父)のいた三島で、古い土地柄だった。
こちら側の枚方や交野では、縄文時代の集落跡なども見つかっているのだって。
大阪界隈を散歩していて、大和朝廷の初期段階には、大阪湾岸の大物・イクさんと結びついていって大きくなったのかな、という感じがした。天皇家だけじゃなく、あちこちの豪族たちが手を結びあって、みんながどんどん大きくなっていったのだろうなって感じがあった。
淀川界隈も然り。ここにも、いろんな有力者がいたのだろうな。その中で傑出していったのが肩野物部だったのかな。
天野川沿いに戻って南下を続けると、途中、「この先行き止まり」と書かれていた。けれど歩行者は通れて、堤から国道1号線(京阪国道)に出た。
天野川の西側の天の川交差点で1号線を渡り、そのまま南下を続けていった。
それから最初の橋を渡って、また天野川の東側を南下していくのが磐船街道だった。
この先で天野川が2つに分かれ、西側を歩いていると、支流のほうの川(藤田川)沿いを歩くことになって、どんどん天野川本流(磐船街道)からは離れてしまうみたい。
橋を渡りながら、そのまま前方に進んでいく道に妙にひかれた。「⇒交野(倉治)」と案内が出ていた。
ひかれつつも右折して、川沿いを南下していったのだけれど、全く面白くない道(国道168号線)だった。
この日歩いたところは、全体的に住宅地になりすぎていて、面白くない道の連続だったなあ。
こんなことなら、「交野(倉治)」ってほうに行ってみてもよかったかも。
織姫を祀る機物神社があるのが倉治だそうだ。古墳も見つかっている古くからの集落で、環濠集落だったこともあると思われるのだって。
この先、面白くなるのかもという期待を抱きつつ進んでいった。
村野駅(京阪交野線)近く、168号線には歩道もなくて歩けたものじゃなかったから、途中で一本内側に入って、集落と田んぼの間を歩いた。田舎で、田んぼの向こうには山々が見えた。
山のふもとには、古くはない家々が建ち並んでいるのも見えた。
途中で168号線に戻ると、すぐに168号線は北川橋で天野川の支流を渡って、天野川本流の横を南下していく。けれど、歩行者は進むのは危険すぎた。
見通しは悪く、信号も横断歩道もない車通りを横切るしかなくて、完全に歩行者の存在を無視した道のつくりだった。
仕方ないので支流に沿って道なりに進んでいくと、歩行者用の橋(前田橋)があり、橋を渡って左手の公園の中をつっきると168号線に戻れた。
168号線を南下して、次の橋(藤田橋)を渡って西に向かったら、山田神社があるようだった。
あまりに面白くない道で、ちょっとそちらに寄り道してみることにした。
山田神社のほか、桑ヶ谷公園なる公園もあるらしくて、そこで休憩をしよう。
山田神社の方向に向かって、田んぼの中の細道を行くと、古い立派な旧家が固まった集落が現れた。
丘にある集落で、丘の半分は桑ヶ谷公園として山の感じのまま残されているのかな、という感じがした。
地名は藤田町だった。
丘の真ん中を横切るような小道の左手が桑ヶ谷公園のはずだったけれど、入り口は封鎖されていて、中は荒れた感じの森だった。「桑ヶ谷公園」という看板も見えたけれど、倒れた木々も放置されて、荒れ果てた感じ・・・。
丘を下って行くと、急に住宅地で、右手に山田神社口交差点。その前に左手にスーパーが見えたので、ここでパンをゲットできるんじゃないかと行ってみた。スーパーは田舎の感じがしたけれど、一帯には住宅がびっしり建ち並んでいた。
藤田町の丘の向こうには、一面に住宅の平野がひろがっていた、という感じ。
後で知ったことには、ここは戦争の頃、大きな火薬工場(造兵廠香里製造所)があったところなのだって。戦後、ニュータウンとして開発されたのだそうだ。すごい規模の団地群で、遠くからも視察しに来るくらいだったんだって(ケネディ大統領の弟とかも)。
地名は香里ケ丘。この西側が香里園あたりになる。
スーパーにはベーカリーがあってうれしかった。ただ、レベルが・・・。
「幻のクリームパン」なんて名づけられたクリームパンは、これに「幻」って名付けたか、と驚かされた。
桑ヶ丘公園には入れないようだったし、その下のベンチでパンをいただいたのだけれど、立ち去ろうとすると、おじいさんがベンチのそばで立ちションを始めた。
ここから桑ヶ谷公園方面に上っていける階段があって、上って行ってみたけれど新興住宅地の只中に出ただけだった。入口はやっぱりみんな封鎖されているみたい。
山田神社口交差点に戻り、西へ。藤田川を渡って遊歩道を行くと、すぐ神社だった。
階段を上った先にある、ここも見晴らしのいい神社だった。
安倍晴明が藤田村に滞在した時の加持石とかも祀られているらしかった。
前に小阪街道で歩いた、陰陽道歴代組に属していたっていう村も藤田村だった(守口市藤田町)。どちらも読みは「とうだ」。なにか関係があるのだろうな。
藤田橋に戻って、また168号線を南下していった。
168号線には歩道はあるものの幅は狭いし、ぼうぼうの草木が歩道いっぱいに伸びているし、たまにガードレールが現れるのだけれど、ガードレールの内側に入るための隙間はなくて(なぜ?)ガードレールの外側を通るしかなくて、横を大きな車が通ると怖かった。
田舎ではよくあることで慣れてはきたけれど、わたしはだっこで。
168号線を歩いたのは、明らかに失敗だった。知らなかったけれど、天野川の西側には遊歩道があったみたい。
このあたりで交野市に入ったようだった。
天野川の向こうはまだ枚方市で、地名は釈尊寺のようだった(大きく「釈尊寺」の文字が見えた)。
行基開基と伝わる釈尊寺なるお寺があったのだって。大きなお寺だったけれど、天保年間に火災で燃えてしまったそうだ。
東側は郡津だった。交野郡の郡衙があったのかも、といわれるところだそうだ。元は郡門(郡衙の入り口)と書いたのだって。
郡津神社があって、白鳳時代に郡司が建てた長宝寺のあったところなんだそうだ。
天野川の支流の申田川を過ぎて、いくつかの信号を渡って18号枚方交野寝屋川線を過ぎると、やっとちゃんとした歩道がついていた。
堤道になっている168号線の下、低地に団地群が並んでいた。地名は梅が枝。
前方に山が近くなっていた。
左に行けば交野市駅と案内が出ていて、ここで帰ることにした。面白くない道で、おまけに11月だというのに暑い日で、なんだか疲れた。
あと少しで逢合橋という案内もでていた。
逢合橋は天野川にかかり、織姫と彦星がここで年に一度会うと言われるのだって。
倉治にあるという織姫を祭神にする機物神社と、彦星を祭神にしていたという中山観音寺(今の観音山公園にあった白鳳時代の寺で、応仁の乱の頃、焼失)の中間地点にある橋らしい。
普通だったら、あと少しなら行ってみようとなるのだけれど、ならなかった。
きっとたいしたことのないところに決まっている、と思った。このあたりは住宅地になりすぎて、散歩者の気をひく魅力は失ってしまっていた。
今更、道標を出してみたって、観光客を呼べるほどのものは何も残していないとみた(独断と偏見)。
交野市駅(京阪交野線)の東側にパン屋があって、お土産に買って帰った。
磐船街道はこの先、磐船神社を通って生駒に至るらしい。生駒というか、鳥見かな。
鳥見(ニギハヤヒの妻の一族の地?)から伊加賀(ニギハヤヒの子孫のイカガシコオの住処)に至る、ニギハヤヒ一族の道だったのかも。
続きはいつかまた機会があれば。




