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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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芦屋の今昔

西国街道を歩いていて、芦屋も古いところだったってことが分かった。

古墳があり、平安時代には阿保親王って皇族が住み暮らしていた。

大阪のお金持ちが阪神間に住むのが明治以降に流行して、どんどん人が住むようになり、高級住宅地ってイメージがついているけれど、それまでは海に近い山間の寒村。

古代には後に芦屋になるなんて思いもせずに人々が住み暮らしていた。遺跡も多くあって、会下山ってところには弥生時代後期の高地性集落の跡が保存状態もよく残っていて、国の史跡になっているんだって。高床式倉庫なんかが復元されているらしい。

ちょっと気になって、芦屋の遺跡巡りをしてみることにした。

その日、天気予報は曇のち雨。昼過ぎからは雨が降る予報だった。

雨が降ると言っても、傘がいらないくらいなら決行しよう。予報では降雨量は午前中は0、昼から1、おやつ時には2。調べてみると、降雨量1は1時間に1.0~1.9mmたまる雨量。1.0だと傘がいらないくらい。1.9は傘が欲しいくらいだって。そして降雨量0は0~0.9のことで、雨が降らないって意味ではないらしい。

つまりはおやつ時には傘がいる予想ってことだな。そのころまでには切り上げるとしよう。

5月、随分暑くなってきていて、曇り空はありがたいくらいだった。カンカン照りの中を歩くくらいなら、少々雨が降ったっていいかと、いつもより早めに家を出た。


電車は梅田で阪急電車(神戸線)に乗り換えたのだけれど、時間が早いと、落とし物が目についた。

個包装のキャンディー1つ、イヤリングの片一方、半分くらい残っているお茶のペットボトル、使っていないばんそうこう1枚。

これだけの人が移動していたら、落し物がこれくらいあっておかしくない、ということに初めて気がついた。いつも落し物もなくきれいなのは、誰かが掃除してくれているからなんだな。そして今はまだ、お掃除してくれる人の仕事時間前なのだろう。

阪急電車神戸線から夙川駅で甲陽線に乗り換えて北へ。神戸線は塚口駅で伊丹線(北に伊丹駅まで)、西宮北口駅で今津線(南に今津駅、北に宝塚駅まで)、夙川駅で甲陽線(北に甲陽園駅まで)と連絡しているみたい。

夙川駅は下に夙川が流れているけれど、甲陽線はその夙川の右岸を北上して走る感じだった。

すぐの苦楽園口駅で下車した。ここは西宮市だけれど、少し西に行くと芦屋市で、ここから芦屋に向かうつもり。


夙川駅から苦楽園口駅まではパンの激戦区だってことだった。

西口を出ると目の前にローゲンマイヤーがあったけれど、そのうち他にもあるだろうとスルー。

駅前すぐの苦楽園口通りを西へ。越木岩交番があり、靴の店があった。

そういえば神戸は靴の町。もしかして夙川が発祥なのかな?と思った。夙⇒被差別民⇒皮靴という安易な発想だったのだけれど、神戸の靴は元はゴムでつくられ、それから「ケミカルシューズ」なるものが開発されて大成功したことで有名になったみたい。

夙とか宿とか祝とか書かれる「シュク」は、えた(かわた)・非人とはまた別で、古くは寺社の掃除などに携わっていた人々のことだったそうだ。西宮神社に属する夙の人々が住んでいたので夙川なのだって。

越木岩も面白い地名だなと思ったら、このずっと北、甑岩こしきいわ町に越木岩こしきいわ神社があって、式内社の大国主西神社に比定されているらしい。「甑岩」なる磐座があるそうだ。


前方に山を見ながら西に向かっていった。

今までにも何度か見たことのある白ポストがあった。青少年に害のある雑誌のポストっていうやつ。公衆の場に捨てられているような「有害図書」をここに入れるといいのだって。

なんだか、日が照ってきていた。照るよりはましだと、小雨を想定してやって来たのに。

上り坂を行くと、栄潤寺(真言宗)なるお寺があった。それからも道を上っていくと、樋之池公園。丘にある素敵な公園だった。樋之池というからには、このあたりには農業用の川が流れ、池があり、樋があったのだろうかな。

タカオコーヒーなる珈琲専門店があって、いい香りがした。高台だったけれど、このあたりは意外に昭和の匂いがして、庶民的な感じだった。苦楽園ヒルズなんてマンションも、名前と違って庶民的な外観。

北には高台で、南には低くなっていて川が流れていて、川沿いの緑が見えた。どんどん川って川?

川(どんどん川の支流?)を過ぎると、左手(南)は急な下り坂だった。

右手に青いフェンスのある上りの階段が現れて、ここを上っていった。上りきったら左へ。少し高級な感じになっていた。

最初の四辻を左へ。もう方向は全く分からなくなっていたけれど、ここから西寄りに南へ歩いていっていたみたい。


ゆるい下りの道だった。芦屋市に入ったようだった。左(南)に見晴らしがよかった。

大きな空き地や、森みたいなところ(庭の広い大きな家があったか、森のまま残っていたかかな)もあったけれど、工事中で、9軒の戸建住宅が建つとか書かれてあった。

山の中だった感じが強く残っていて、住宅でいっぱいだけれど、静かだった。鳥のいろんな声がして、ウグイスも鳴いていた。

濁った小さな池があった。周りはやぶみたいになっていて、これほどの住宅地になっていなければ、こんな光景が広がっていたのだろうな。

ここは岩園町で、北に行くと六麓荘町だったみたい。

六麓荘町って、昭和の初め頃に造られた高級ニュータウンだそうだ。当初は1区画が300坪以上。芦屋国際ホテルなる高級ホテルもつくられて、太平洋戦争までは外国の人なども宿泊していたそうだ。

今でも400㎡(121坪)以上の、平屋か2階建ての家でなければ六麓荘町には存在を許されないのだって。そして芦屋国際ホテル跡は、芦屋大学になっているのだって。

池を過ぎて次の辻を左に行くと、岩園天神社だった。山の中の神社の感じを残した神社だった。近くに流れる小川はどんどん川。

ここでは16000年前の旧石器時代のナイフなど(岩園遺跡)が見つかっているそうだ。

ここは海が見え、湧き水が湧き、という立地だったと説明されていた。八十塚やそづか古墳群に属する古墳もあり、石室が境内にも2つ残っているのだって。

1つは、役行者像の台になっていた。もう1つは拝殿の裏手にあるようだったけれど、そこには大きな石がごろごろとあって、どれがそうなのかよく分からなかった。

このあたりは岩ヶ平といって、大きな岩がいっぱいのところらしい。大阪城の石垣にも多く使われているそうだ。山手の高級住宅街でよく使われている大きな岩石も、山を宅地造成していて出てきたものとかなのだろうな。

八十塚古墳群は、古墳時代後期の、横穴式石室を持つ60ほどの古墳群だそうだ。親王塚古墳の200年くらい後のものだって。親王塚古墳はもっと南にあって、阿保親王の墓と言われて親王塚と呼ばれているけれど、4世紀の古墳。


参道から出て、道を下っていった。岩園一北公園だかがあって、このあたりに明日ヶ丘遺跡があるはずだった。

けれど見つけられたのは明日ヶ丘集会所と、その裏の芦屋市遺跡触覚遺跡なるものだけだった。小さな公園くらいのところに芦屋のミニチュアの地形模型がつくられていて、高低差もちゃんとあって、上を歩けるようになっていた。遺跡の名が書き込まれているようだったけれど、それはあまり読めなくなっていた。そしてここが犬NG。

芦屋の新興住宅地って、犬NGが多い印象だった。歩いていても、犬は全く見なかったような気がする。

明日ヶ丘遺跡は旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡で、石器や縄文土器が見つかっているそうだ。

「明日ヶ丘遺跡」というからには、新興住宅地「明日ヶ丘」になる過程で見つかり、けれどそのまま住宅地になってしまったのだろうな。

集会所の北側の道を西に向かっていった。素敵な急流の小川(深谷)を過ぎ、階段を下っていった。

川(猪谷)とマンションにつきあたって右折して、すぐ左折。急な上り道だった。このあたりはマンションが多かった。上りきった四辻で右折。

すぐ公園だった。人っ子一人いなかった。公園の中にはさらに上に上るところがあった。上ってみると、山が近くて、気持ちのよさそうなプールだった。

公園の東側の道を南下すると市民プール南交差点。市民プールって、素敵なあれがかね。


交差点を進むと、西には上り、東には下り。

右折して少しだけ西に進み、すぐ左手に現れる階段を上った。

お寺の塀につきあたった。お寺(薬師寺)は廃寺なのかな? 空っぽの感じがしていた。

その前には公園があって、寺と公園の向こうには神社があった。芦屋神社だった。

この一角だけは高級住宅地として開拓されずに、昔のまま残っている感じ。祭神はアメノホヒ。元は芦屋天神宮といい、この山も天神山といったのだって。

芦屋には天神社が多くて、菅原道真が祀られていた。打出天神社とか岩園天神社、阿保天神社。でも本当は芦屋の天神社って、元はアメノホヒを祀っていたのかも?と思った。

アメノホヒが天下ったという磐座が六甲山頂(現カンツリーハウス)にあり、そこからやや低地部に祀ったのが芦屋神社だといわれているみたい。

前に高槻の天神町にある上宮天満宮でも同じような話があった。

そこに天下ったのはアメノヒナテル(別名アメノヒナドリ、タケヒラトリ)。アメノホヒの息子だった。


むかしむかし、この国をおさめていたのはオオクニヌシだった。

アマテラスは自分の息子に国を譲ってもらおうと思った。それで何人かの人(神)がオオクニヌシのもとに派遣されている。

その一人がアメノホヒ。派遣されたアメノホヒは、まずは六甲に天下ったのだって。六甲山カンツリーハウスね。

そこから出雲へ行き、オオクニヌシに会うも、心酔して帰らなかった。

その後、オオクニヌシは国譲りすることになる。オオクニヌシは代わりに出雲にまつられることになり、祀ったのがアメノホヒの息子、アメノヒナテル。

11代垂仁天皇のとき重用された野見宿禰のみのすくねはアメノホヒの子孫だった。野見宿禰は相撲が強かったこと、古墳に埴輪をあしらうことを天皇に進言して採用されたことで有名かな。

野見宿禰の子孫の一部は土師はじ氏として河内に住み、氏寺として土師寺(後の道明寺)を創建。一族からは菅原道真も輩出。

芦屋あたりにはアメノホヒの一族がいて、アメノホヒを祀っていたのだけれど、いつしかその子孫の菅原道真を祀るようになったのかも・・・。

アメノホヒは六甲を本拠に河内湾に勢力をもち、出雲を本拠にした王、オオクニヌシに心酔。その後、野見宿禰の頃、天下をとった大和朝廷(アマテラスの子孫)に下ったのかも・・・。


芦屋神社の境内の西側には横穴式石室があった。

7世紀後半の(6世紀後半から7世紀初め、ともあった)ものなのだって。震災で被害を受けたそうだけれど、原状復旧したのかな。今はその石室に水神社が祀られていた。

薬師寺の東側の道を南下していった。このあたりは、大きなおうちが多かった。地名は東山町で、ここも御影なんかと並んで高級住宅地なのじゃないかな。

歩くにつれ、最初小さく見えていた下界が、だんだん近くなっていった。

左手に広い庭みたいなところが現れて、ここが東山公園だった。「犬のさんぽみち」とかもあって、花もきれいに咲き、ガーデンテーブルが置かれていたりした。こんな公園は初めてだった。ちょっとワイルド目に手入れされた、すごく広いお庭にお邪魔しているみたいだった。

公園の中を、どんどん下の方まで下りていけた。元は東山なる山の斜面だったのだろうな。近ければ毎日でも来たいような公園だった。下の方では地域のおばあさんたちが明るく手入れ作業をしていた。

そして道路に出て、マンションだらけのここで左折。

つきあたりを右折して広い通りに出て、ここを東に向かっていった。

「グラホのローストビーフ」と書かれたお店があって、おいしそうだった。ここはグランドフードホールなる高級総菜屋さんみたいなところだったみたい。それからイカリスーパーの手前を右折。

高級スーパーマーケットらしかったけれど、イカリマークがレトロで、昭和のかわいいお店の感じだった。

それから阪急神戸線の高架をくぐった。近くを川(宮川)も流れていて、レトロで、ちょっと温泉街の雰囲気もある高架橋だった。温泉街の雰囲気はほんの一瞬で、あとは全部住宅地だったけれど。

このあたりにもやや大きな家が建っていた。親王塚橋交差点で交差するのが、山手幹線。ここを左折して宮川を渡ると、すぐが親王塚だった。阿保親王の墓と伝わるけれど、実のところは4世紀の円墳。けれど古墳のあったところに阿保親王の墓がつくられたとも言われていて、宮内省により阿保親王の墓とされているらしい。天皇陵と同じような玉垣と立札の体裁になっていた。

宮川を下っていくとJR神戸線を越えて阿保天神社、それから打出だった。阿保親王が暮らしたという親王寺のあるあたり。

阿保親王は散歩していておなじみになった人。平安京に遷都した桓武天皇の孫。桓武天皇の跡を継いだ平城天皇を父に持つ。けれど平城天皇は退位後、再び平城京に遷都して、自分が天皇に返り咲こうと策略して失敗し(薬子の変)、子どもや孫も政治から遠ざけられた。

阿保親王は打出(芦屋市)に住んだそうだ。大阪の松原市にも縁があって、松原には阿保あおという地名も残っている。

阿保親王の息子には在原業平らがいる。在原業平も散歩していておなじみになった人だった。柏原市には在原業平が通ったという業平道があり、斑鳩町には「在原業平姿見の井戸」があった。

八尾市の神立こうだちには「神立茶屋辻」があり、ここにかつてあった茶屋の娘に在原業平が恋をして、けれどある日、釜から直にご飯を食べているのを見て幻滅したって話が伝わるらしかった。その娘に会いに通ってたのが業平道。

同じような話が「伊勢物語」に書かれてあるそうだ。稀代のプレイボーイ、「ある男」があれこれ浮名を流す話で、そのモデルとなったのが在原業平といわれているらしい。

時の権力者、藤原良房の姪っ子に高子さんって絶世の美女がいたそうだ。清和天皇の妻になって、陽成天皇(57代)を産んだ人だけれど、若き日には在原業平と駆け落ちしたことがあるんだとか。

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