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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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北野(神戸)

11月になって、おかあさんが六甲山に行くことになり、わたしも同伴できることになった。

三宮から谷上へ。神戸の北の山の下を通る電車で540円もするのだけれど、もうすぐ谷上まで神戸市営地下鉄に入って値下げする(280円)ってことだった。

谷上駅から弓削牧場経由で新神戸へ。弓削牧場にはレストランがあって、犬もOK。わたしは3回目くらい。新神戸からは北野経由で三宮まで降りていった。


北野は生田神社あたりに下りていくまでの傾斜地にあり、そのてっぺんあたりに北野天満神社があった。

のぼって行くと、見晴らしがよかった。海まで見えた。観光地で、お参りする人もほぼ観光客のようだった。

平清盛が福原京をつくろうとしていたとき、京の北野天満宮から勧請。それでこの地も北野と呼ばれるようになったそうだ。祭神はもちろん菅原道真。

北野には、いろんな名前の付けられた洋館(異人館)が並んでいた。お金を払うと中を見学できたりもするみたい。無料のところもあるみたい。

「風見鶏の館」「ラインの館」「萌黄の館」「ベンの家」「うろこの家」などなど。

神戸は元々は、田舎の海辺の村だった。そこに、鎖国をやめることになって港ができた。

貿易のためなどにやって来た外国の人は居留地に限って住んでいいという規則があって、居留地に選ばれたのが三宮神社あたりの旧居留地。

ところが居留地が、その後、手狭になったのだって。そこで居留地の北の北野あたりに限って居住していいということになり、洋館が何百軒と建ち並んだそうだ。

神戸の日本人は、貿易商であるお金持ちの異人さんの使用人、くらいの立場で生きる人が多かったみたい。

六甲山は居留地の外人さんたちが登山を楽しんで、「日本の近代登山発祥の地」とも呼ばれているのだって。

けれどその後、北野は戦争などがあって激変。

空襲で焼けただけじゃなく、残った建物も取り壊されて、マンションなどに変わっていったそうだ。

けれど辛うじて数十軒が残り、人気の観光地となったのだって。

そう時間はなくて、早々に三宮方面に下っていった。暗くなった生田神社にもちょっとだけ立ち寄った。

あと、イスズベーカリーに。銀の食パンと「トレロン」をゲット。

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