志疑神社
和泉の八木には夜疑神社があった。
ワタツミの子のフルタマ(♀)を祭神としていて、その子孫の八木さんが祀ったという、かなり古い時代の祭祀の形跡も残るという神社だった。
志貴県主がいた近辺には志疑神社があって、なにか志貴県主についての新しい発見があるかも??と気になっていた。
国府遺跡の西側の道を北上して行った。国府遺跡は古市台地の北端あたりにあるとあって、下りの坂道だった。
狭い車道に出て、左折して西へ。
北側はすぐ大和川で、江戸時代に北に流れていたのを西に付け替えたあたり。
新しい川はあまり掘り下げられずにつくられていたので、後にその川底に船橋遺跡がみつかったそうだ。
詳しいことはあまりにも分かっていないようなのだけれど、これも縄文時代からの遺跡で、瓦や須恵器も大量に見つかり、国衙(国府の中心)とか寺(船橋廃寺)とかエガの市とかの所在も考えられるらしい。
餌香市って古代の市場。エガ川(今の石川?)と大和川の合流地点の国府あたりで、雄略天皇の頃には開かれていたみたい。
物部氏にエガの長野が与えられた頃、近くでは市が開かれていたんだな。
途中、北側に緑が見えて行ってみると、黒田神社だった。
公園と一帯になった、けっこう大きい割には野放図な感じの神社だった。式内社らしい。なにか既視感のある神社だった。
ここは神八井耳命のかくし廟所と伝わるそうだ。
仁徳天皇の時、そこに瑞垣を建立し、祭祀したのが神社の始まりで、今の祭神(天御中主?)は称徳天皇(聖武天皇と光明皇后との娘)の時に祀られたそうだ。
神社の西の信号で旧170号線を渡り、そこからは適当に北西に歩いて行った。
途中、臨時販売もしているらしき甘栗工場があった。水路を越えて、つきあたりを左折。
白井セメントとか、白井医院とか、白井さんの名が多かった。このあたりも古い集落の感じがした。南は伴林氏神社のある林あたり。
そんな古そうな集落の中に、志疑神社が現れた。
窮屈そうに鎮座する小さな神社だった。説明の類も一切なかった。なんでも詳細は不明で、しかも明治時代には黒田神社に合祀されてしまっていたらしい。
ここも式内社。
境内の奥には「大井のおやくっさん」こと薬師堂があった。江戸時代の建立だって。
その裏も古そうだった。どうやら誓願寺(真宗本願寺派)なるお寺などもあったみたい。志疑神社は空振りに終わったけれど、このあたりが古くからの土地柄なのは間違いない空気感があった。
八木氏と夜疑神社みたいに、志疑神社もなにか土地と関係はあるのだろうな。
大和川の堤の下あたりを東に向かい、柏原駅を目指した。
セスナ機が何度も頭上を通っていった。八尾空港が近いから?
旧170号線で橋(河内橋)を渡って、JR柏原駅へ。
駅の近くで旧家の解体作業が行われていた。他にも、近辺にぼろぼろの大きな古い空き家がまだまだあって。駅前なのにとびっくりした。
そのうちみんな解体されて、一気にリニューアルしていくのだろうな。
柏原駅からおうちに帰った。
前に歩いた時はあまりよく分かっていなかったけれど、今回は長尾街道あたりのすごさ、特に15代応神天皇前後の時代の賑わいをちょっと分かったような気もした。




