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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
29/46

伊丹街道と桑津

朝晩は涼しくなってきていたけれど、日中はまだ暑かったある日、久しぶりに長めの散歩に行った。おかあさんの膝の調子もよくなっていた。

よく晴れて、かなり暑い日だった。ペットボトルの水は500mlが2本空になった。

「クワ」が気になって、この間は大阪市の桑津に行った。今度は伊丹市の桑津に行ってみよう。

伊丹の桑津は地図で見ると、JR福知山線の伊丹駅から東に少々行ったあたり。

どんなルートで行こうかと考えて、岡町駅(豊中市)から伊丹街道で桑津に向かい、帰りに田能遺跡、船詰神社に寄って、園田駅(尼崎市)から帰るコースにしてみた。


伊丹街道はいろいろあるらしかった。

その中で今回歩くのは、能勢街道から岡町駅近くで分岐して、ほぼ真西に伊丹に向かう道。伊丹からは更に西に進み、西宮で西国街道に合流するらしかった。

能勢街道は中津(大阪)から多田あたりまで歩いていた。途中で通った岡町は、街道のすぐ脇に駅があって、駅や商店街や能勢街道や原田神社が一帯になったような素敵なところだった。歴史は古くて、雰囲気も古さを物語っていた。

初めて岡町駅(阪急宝塚線)で下車。駅は近代的で少しびっくりした。

駅構内にコンセルボ(岡野パン)なるパン屋があって、この先、他にパン屋はないかもしれないぞとここでパンをゲット。

それからすぐ東の原田神社方面へ。

神社の南側、大きな旧家との間を通って行くと、すぐが商店街だった。ここが能勢街道で、原田神社の表参道もここにある。

神社沿いに少し商店街(能勢街道)を北上。

パン屋があって、その向かいの店舗(さつまいもスイーツのお店)は中に、屋根を貫く大木が見えた。このあたりもみんな元は原田神社の神域だったあたりなのだろうな。

岡町周辺には桜塚古墳群があり、原田神社はその頃(4,5世紀)には創建されていたと言われている。

前にはこの東側にある大塚古墳や御獅子塚古墳に行った。大塚古墳は公園になっていて、すぐ南隣の御獅子塚古墳で出土したっていう鉄の鎧のレプリカが飾られていた。小さな平べったい三角につくった鉄をパーツに、うまく組み合わせて立体的に作ってあって、びっくりしたのを覚えている。


すぐの四辻で左折して駅方向に戻った。

高架下の信号を渡り、図書館方面へ。この道をずっと西に進んでいくのが、能勢街道から分岐する伊丹街道。

右(北)には上りで、左(南)には下りだった。住宅密集地の中、左手に「史跡大石塚・小石塚古墳」の碑が現れた。

その先に古墳があり、公園になっていたようなのだけれど、入口に気づかず、柵越しにちょっと見えるだけだな、とスルー。

桜塚古墳群はほとんどが壊されて消滅してしまったけれど、少しだけ残っていて、そのうちの2つが大石塚古墳と小石塚古墳。古墳群の西端にあるそうだ。

周辺には大きな旧家が多くて、そんな旧家が住宅密集地の中にうめこまれていた。

もう少し行くと、また左手に大石塚・小石塚古墳の公園の一部が見えた。一部が見えるだけだったけれど、森みたいだった。

緩い下りになった道を行くと、轟木公園。「とどろき」も気になる地名の1つだった。

先に進むと道はゆるい上りになった。右手は高台、左手は下り坂で、このあたりに谷があって、川がとどろきながら流れていたのかな?


そのまま進むと、山之上蒲団太鼓の倉庫があった。

右手にカーブしていく道が古そうで、そちらに進んでいってみた。すぐ左手に緑が見えて、そちらに向かうと、山ノ上公園。

その向こうは広い道で、ここはその手前にある、ベンチなんかもある小さな素敵な公園だった。老夫婦が座っておしゃべりしていた。

少し高低差のある公園の、一番低くなった西の方から見上げると、今来た道がみんな丘の上なのが分かった。ここから見れば、北も東も丘の上だった。

北からも東からもとどろきながら沢が流れてきて、ここで1つになっていた、そんなところだったんじゃないかという感じがした。

公園の北側の高台の一角に「白山比咩神社土砂之坊」とあった。上ノ山水防組合の名で。時には土砂も流れてきたのかな。


山ノ上公園から北に向かい、すぐの99号線で左折。府道99号伊丹豊中線を西に向かった。

そばの小学校は箕輪小学校らしかった。「箕輪」も気になる地名の1つ。

すぐの、上を阪神高速が走る広い交差点を渡った。走井交差点で、水路(井)が走って流れていたのかな。高台から流れてくる水が集まって。

西には遠くまでよく見えた。遠くには山々があって、その山々まではただただ平地。すぐ近くに高台になっているところが見えるけれど、堤なのだろう。あとはずっと遠くの山まで続く平野。

ここから西には猪名川も流れる低地で、伊丹段丘あたりまでずっと平野が続くのだろう。全部、大昔には海だったところなのだろうな。


このあたりからは車社会だった。車がいっぱい走り、歩行者も自転車もあまり見なかった。ましてや犬なんて皆無。

思いのほか古いものもあって、橋の手前には左手にお寺(工事中の浄光寺)、右手に地蔵堂。

宮川原橋で渡ったのは千里川だった。

走井西交差点では、青々とした田んぼにトラクターがいた。稲刈り中かな。たんぼもあるけれど、車と工場が多かった。

「トンネルを過ぎて左折するとスカイパーク」と看板がでていた。トンネルというのはこの先にある空港地下道だろう。

99号線は、これから空港の下をもぐっていくらしかった。わたしたちもその空港地下道を通るつもり。


地下道の入り口に近づくと、様子が変わってきた。

右にも左にも高いフェンス。

道はほぼ途中で行き止まり、そこにも高いフェンス。その向こうの空間は伊丹空港のはしっこなのだろう。

空港地下道にも歩道はあるのかなあ?と少々心配だったのだけれど、だいじょうぶだった。ちゃんと柵のある歩道が設けられていた。

車道は二車線のようだったけれど、2車線の間に塀が設けられ、わたしたちが歩く横は西に向かう車だけが時々通っていった。トラックが多くて、ときどきバイクも走った。

トンネルの中では、後ろから走ってくる車の音が、大音量で聞こえた。

エンジン音だけじゃなく、トラックは金具の部分も打ち鳴らしながらやって来て、がじゃんかしゃん、がじゃんかしゃん、ごおおおお~~~!!

薄暗いトンネルの中、迫ってくる車の音はこわかった。

それだけじゃなかった。

ごうごうと激しい音が他にもしていた。上は空港だったから、これは飛び立つ前に飛行機が激しい速さで疾走していく、その音なのだろう。


トンネルの出口の光が見えていて、最初はずいぶん出口が近いみたいに思えた。

けれど、歩いても歩いても距離は縮まらなかった。

ずっと同じ場所を歩いていて抜け出せない悪夢の中にいるみたいだった。

ごうごうと激しく疾走する飛行機の音、がちゃがちゃと背後から迫ってくるトラック、ずっとここを歩き続けないといけないとしたら、なかなかの悪夢かも。

そのうちやっと出口の光だけじゃなく、道路に書かれた線も見えるようになって、トンネルは終わった。


トンネルを出るとすぐ左手がスカイパークで、車で連れられてきた小さな男の子たちが、駐車場からおかあさんと手をつないで出ていっていた。

のどかに信号もたっていた。なんだか急に別世界だった。

信号(空港地下道西交差点)を過ぎて西に向かうと、右手に伊丹市立こども文化科学館。プラネタリウムなどもあるようだった。

地下道を歩く間に豊中市(大阪府)から伊丹市(兵庫県)に入っていたみたい。こども文化科学館は元は「神津文化センター」だったらしくて、文字が残っていた。

向かいには神津交番。

今は伊丹市桑津だけれど、かつて河辺郡神津かみつ村だったことがあるらしい。明治の頃、近辺の村が合併して、神津村となったのだって。「神国」と「摂津」からとって「神津」にしたらしい。

こども文化科学館の西隣は西桑津公園だった。

公園の中を歩いていくと、青いどんぐりがいっぱい落ちていた。ここは神津小学校だったところらしくて(移転したのかな)、モアイ像やストーンサークルなんかがあった。

公園の北側に桑津についての説明書きがあった。

桑津の地名の由来については2つ説があって、1つは日本の古い呼び名「扶桑」+「津(入り江)」で桑津ってものだそうだ。もう1つは桑が多く育っていた津(入り江)だったからというもの。

桑が多く育っていたのは、クレハ・アヤハが隣村の小阪田おさかでんに居住して、養蚕を勧めたからだって。有名人にからめて語られるってやつだな。

小阪田は元は桑津と同じく河辺郡神津村。かつては伊居太いけだの里と呼ばれていたそうで、今は伊丹市の端っこになっているけれど、すぐ横は池田市。池田ではなんでもかんでもっていうくらいクレハ・アヤハにまつわる話になっていた。ここでもそれをちょうだいしたのかな。


説明によると、神津村を構成していた村々のうち、東桑津と小阪田は昭和15年、空港になって消滅したそうだ。

村人はみんな撤去。村の寺社などもよそに引っ越し。西桑津村も大部分が空港になってしまったらしい。

大阪には大正の時代、木津川飛行場がつくられたそうだ。前に近くまで行った船町(大正区)にあったらしい。かつて栄えていた感じがあったのは、飛行場まであったからなのかな。

モガ・モボの時代で、飛行機に乗って国内旅行に行っていたのかな? 多い時には年間1万人以上の利用客がいたそうだ。

けれど地盤は悪いし、狭くなってきたというので、昭和14年に移転(大阪飛行場)。それがここ、神津村だったそうだ。

工事は昭和10年に始まり、工事中には銅鐸が出てきたそうだ。

戦争になると拡張工事もして、軍用飛行場として使用されるようになったのだって。


西桑津公園の西側の道を北上する道が古くて、面白そうだった。桑津村の空港にならずにすんだところかな。その一本西側の水路沿いの道を北上。

伊丹街道はここまでにして、ここからは桑津神社を目指した。

水路の向こうが面白そうと感じた道のようで、旧家が並んでいた。すぐ近くで飛行機の音がするけれど姿は見えなかった。近すぎるんだな。

つきあたりまで進んで、左折。広い車道の向こうが桑津神社だった。

その北側は工場跡地のようで、日東紡伊丹生産センターとあった。日東紡績は福島の紡績会社に始まり、片倉財閥なる財閥の片倉さんが社長に就任。かつては日本十大紡績会社の1つだったらしい。

あとで地図を見ると、西には朝鮮の名の付く学校があり、その向こうが猪名川(桑津橋)だった。

空港の建設に朝鮮半島の人たちが従事していた名残なのかな? 調べてみると、この北のほうに朝鮮半島から空港建設にやってきた人たちの飯場があり、戦後もそこに多くの人がとどまったそうだ。

国有地だったのだけれどバロックを建て、よそからやって来る人々もいて、21世紀まで存続していたのだって。

それから少し南に補償という形で市営住宅が建てられ、家族でそこに移ってもらい、バロック跡は更地となっているのだって。

飛行機や、スカイパーク、その傍らでは、こんな話があるのだな。


桑津神社は猪名川と伊丹空港の間にあった。

猪名川の向こうは伊丹市で、かつてはみんな海だったのだろうと散歩して思った低湿地のあたり。

東は桜塚方面に向かって丘陵になっていて、桑津はその名の通り、津だったところなのだろう。

海岸線は桑津、服部天神、稲津あたりにあったのじゃないかな。

桑津神社は、広い、けれど車通りは少ない道の横で、風通しよく建っている感じだった。無人で、ただ横を車が通る。草ぼうぼうで、蚊が大量にいた。

やっと現れた哺乳類にたかってきて、去っていくときにはおかあさんは、20か所近く刺されて、脚にぼこぼこの模様ができていた。

神社の説明によると、昭和17年に空港の拡張工事が行われた際、東桑津村のホスセリ、西桑津村のホアカリもここに越してきたそうだ。

戦争になり、拡張工事が繰り返され、人間だけじゃなく、神社も引っ越しを余儀なくされた。

越してくる前、東桑津村にあったホスセリ神社も、西桑津村にあったホアカリ神社も、どちらも前方後円墳と思われる場所に祀られていたのだって。

工事中には銅鐸も出てきたらしいし、古くからの土地柄だったんだな。

そこに祀られていたホアカリやホスセリ。

ホアカリは、「桑」「とどろき」って地名にも関係あるような気が個人的に勝手にしている人で、しっくりきた。

ホスセリは、まだ未知の人だなあ。海幸、山幸のもう一人の兄弟だとか、海幸その人だとか言われているみたい。


西のホアカリ神社の社殿が、境内にある稲荷神社に転用されているらしかった。

1648年、伊丹の大工(イナ部だった家系の人かな)によるもので、県と市指定の重要文化財になっているのだって。

ところがここで猫の餌やりをする人がいて、猫が上ったりするので痛むのだそうだ。餌やり禁止と書かれていた。

銅鐸と空港、重要文化財と猫、いろいろあるところだな。

ここにきて、やっと飛行機の姿が見えた。ずっと近すぎて、姿を見つけられなかったのだけれど。

古い土地柄だったのは分かったけれど、どうして「クワ」の地名になったかは、もうほぼ何も分からなくなっている感じがした。

それから神社の東の広い道路を南下。西桑津交差点で左折して、神津交番西交差点まで東に進み、また南下。

次はこの南、猪名川沿いにある田能遺跡に行くつもり。

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