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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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西国街道を長田まで

本町公園でちょっと休憩。春夏+秋冬のミニ食パンをいただきながら。

この何の変哲もないような道を、もう少し南下すると「札場の辻」だった。ここを右折。歴史あるところなのに何の変哲もないのは、空襲や震災があったからなのだろうな。

ここに西国街道のことが「Vの字」を使って説明されていた。それまでまっすぐ西に向かっていたのがVの字を描くようになり、Vの上の2つの点が、兵庫への出入口である2つの惣門(湊口と柳原)で、底の部分がここ、札場の辻。

ここを南に行けば、もう少しで大輪田泊跡だったみたい。

大輪田泊は魚住泊などとともに行基がひらいたとされる五泊(湾港)の1つ。行基が修築し、後に重源によっても改修され、平清盛も大改修して宋との貿易に用いたのだって。

福原に遷都するなど、神戸を基盤にしていた平清盛は、貿易のために大輪田に経ヶ島なる島も築いたそうだ。平安時代なのにすごいな。ただ工事は難航して、清盛さんの生存中には完成しなかったらしい。後には日明貿易もここで行われたのだって。

暑くなかったら行ってみるところだった。経ヶ島はもう陸地の一部になってどこか分からなくなっているそうだけれど、大和田泊跡に。

降水確率40%、最高気温24度の予報だったけれど、うそっぱちだった。かんかん照って暑くて、スルー。

行基が工事が行うところには大物がいた、と思っている。

このあたりには会下山から流れてくる湊川が注いでいたってことを考えると、大物は、会下山に住んでいたという北風さんあたりかな。

8代天皇の血をひくっていう北風さんは、神功皇后の時に功があって、神戸を任され、会下山に住むようになったのだって。

ちなみに前に行った会下山えげのやま遺跡は芦屋市で、北風家の会下山は神戸。「会下」は仏教用語でお堂とかを指し、会下山はよくある地名らしい。


札場の辻から西に向かっていった。

次の信号のある交差点では、左手に大仏が見えていた。兵庫の大仏だって。元は明治24年に、地元の豪商たちの寄進によって建てられたのだそうだ。11mあって、日本三大仏の1つだったこともあるのだって。けれど戦争の時代、金属類はみんな差し出すようにお触れが出て、初代は消えた。今いるのは2代目だって。

大仏のいる能福寺は、伝教大使や平清盛にも縁があるってことだった。伝教大使って最澄のことらしい。

最澄の創建で、清盛が福原京をつくったときに祈願所としたと伝わるそうだ。

寺の手前の信号を海に向かうのは、古湊線というのかな?

ここを行くと、兵庫住吉神社、清盛塚(十三重石塔があるのだって)、御崎八幡、一遍上人廟(真光寺。一遍はここで亡くなったのだって)、和田神社(蛭子などを祀る)、萱の御所、三石神社とあるようだった。

萱の御所は、清盛が福原に無理やり遷都したとき、法皇らも神戸に連れてきて幽閉したところらしい。

どこだったかは分かっていなくて、おそらくはこの南ではないそうだ。けれど碑がたてられているのだって。

他にも神社などが固まっているのは、三菱造船所がたてられるとき、移転させられたかららしい。


右手に神明神社が現れた。小さくて、旅所かなにかなのかな?

阪神高速の下を門口町交差点でくぐった。信号を渡った先には、少し左手に道が続いていた。その2つに分かれるうちの、左側の道を行くのが西国街道。

西国街道を進むと、左手に「柳原のえべっさん」が現れた。柳原蛭子神社だって。創建などは不詳。

福海寺もあった。「大黒尊天」とか、「尊氏ゆかりの寺」とか書かれていた。

足利尊氏が賀茂氏にひらかせたお寺で、大黒天もいるのだって。足利尊氏は大黒天を信仰していたらしい。

福海寺は、そんなわけで足利将軍たちに崇敬されていたそうだ。前には吹田に足利将軍の菩提寺だったってところがあった。足利将軍は室町と思い込んでいたから、なんでこんなところに?と戸惑ったのだけれど、今は崇敬していたお寺くらい各地にあったのだろうな、と思う。

神功皇后の頃の神社や、聖徳太子の頃の寺と同じに、この頃宗教は政治と深く関わっていて、支配の要所にはお寺を置くものだったのだろうな。

柳原蛭子神社の前の交差点が惣門跡だった。東の柳原惣門ね。

柳原は江戸時代には花街だったというところ。

近くには柳原天神社もあったようだった。菅原道真が太宰府に左遷されていく途中に立ち寄ったところで、村人たちが道真公を祀ったのだって。

すぐがJRの高架だった。このすぐ左手が兵庫駅。高架をくぐって柳原交差点で左折。右手には山が見えた。

駅前の商業施設沿いに道はカーブして、その道を西に進んでいった。

きれいなところだったけれど、斎場がやけに多かった。きれいなのは、大震災で被害がひどかったという長田区だからかな? 全部震災で壊れ、新しくなったのかな?

国道28号線に合流して、二番町住宅なんてところでは、建物はきれいなのに、駐輪禁止と書かれた路上にママチャリ系の自転車が乱暴にいっぱい置かれていて、怖いくらいだった。街のきれいさと、住人の無頓着との落差ってちょっと怖いものなんだな。

歩いている女の人の表情のきつさも、なんだか多いように思った。わたし(犬)を見て、露骨に嫌な顔もされた。

後で知ったことには、番町って、かつてはかなりガラの悪いところだったみたい。

元々は被差別部落で、その後、神戸の中心地から貧民を一掃するため、木賃宿(超安宿で、家を持たない貧民層などが住んだ)を番町など(あとは葺合の新川だって)に限って営業できるようにした。それで町中の貧民層が番町に集まったのだって。

大阪の場合も、長町でんでんタウンあたりを中心に市街地にもスラムがあって、それを解消するために、木賃宿を市内(当時の)では営業できなくすると、釜ヶ崎(ニシナリ)あたりに貧民層が集まり、新たなスラムになった。それと同じ事情だな。

震災前まで番町は、ボロ家の密集して建つ地帯だったそうだ。それもあって被害が大きかったらしい。


高速長田駅があり、ここから帰るつもりだった。

でもその前に長田神社へ。

神功皇后が広田神社と共に創建したという3つの神社、住吉神社、生田神社、長田神社。住吉と生田には行って、残すは長田神社だけだった。

高速長田駅から北に広い道を行けば長田神社のようだった。けれど、そのままもう少し西へ進んでいった。

湊川を渡り、もう少し進むと常夜灯なんかがあって、ここが参道かと、ここを北に向かって行った。

けれど普通の民家が並んでいるばかりで、面白くなくて結局、湊川沿いを北上していくことにした。元は七宮のほうに流れていたけれど、こちらに付け替えられたという新湊川。

御船山跡の碑があった。神功皇后が舟を着けたという話もあるところなのだって。これから行く長田神社は神功皇后が三韓からの帰途、祀ったというところだから、ここに船をつけていても不思議じゃなかった。地名も御船通だった。

しばらく川沿いを北上した後、参道と思われる公道を進んでいった。

長田神社に近づくと、ここが神戸?と思った。もっと田舎の山奥の、素敵な神社みたい。

もっと田舎のほうでたびたび出会って、田舎の情緒が素敵でいいなあと感じていたものが、こんな駅近にあった。

周辺は住宅密集地で、裏は小学校だったりするのだけれど、長田神社だけは田舎の様相で、前には川が流れ、赤い橋が架かったりしていた。

トイレ前などには立派な楠があった。四角錐の「おみくじ掛け所」があった。神戸近辺ではたびたび目にして、おみくじを結び付けるところらしいとは分かっていたのだけれど、「おみくじ掛け所」というのか。

長田神社の祭祀を行ったのは、大中臣氏だそうだ。中臣氏の中でも中枢のほう。子孫には和泉の和田にぎた氏もいるらしい。

三韓征伐から戻ってきたとき、忍熊王らの反乱に遭った神功皇后。船が進まなくなったので、アマテラスの荒魂を広田神社に、住吉三神を住吉神社に、ワカヒルメを生田神社に、そしてコトシロヌシをここ長田神社に祀ることで、船は再び動き出したという話になっている。

住吉三神、ワカヒルメ、コトシロヌシを祭祀することで納得する勢力に、応援を要請したのかな。

忍熊王の勢力を排除するために、彼らに協力してもらったのじゃないかな。もしくは、住吉三神が三韓征伐にも同行していたことを考えると、一緒に三韓に赴いた勢力を、帰ってきてからは大阪湾の抑えに配置し、そこに神を祀ったのが、それぞれの勢力の神、住吉三神、ワカヒルメ、コトシロヌシだったのかも。

忍熊王は明石で反乱を起こし、住吉、宇治(京都の)と後退。

神功軍は紀伊に上陸し、山城、宇治、琵琶湖あたりにと進軍。追われた忍熊王は琵琶湖あたりで入水。


ここにはコトシロヌシを祀る勢力がいたのかな。

コトシロヌシ(事代主)はオオクニヌシの息子。

この人(またはこの人の息子か近親者)の娘は神武天皇の妻になり、その息子は鴨王で、賀茂氏の祖となった。

ここに来るまでにあったお寺で、足利尊氏が賀茂氏にひらかせたというところ(福海寺)があった。

それも、このあたりにオオクニヌシを祀る勢力があったからなのかも、と思った。

神社の東門から広い道を下って行ったら駅だった。

地下鉄の長田駅があって、それから高速長田駅。途中の表参道的な広い道にはお店がいっぱい並んでいて、楽しかった。途中パン屋も2つ見つけた。

高速長田駅は、阪神本線とつながってる神戸高速線で、乗っていたら阪神梅田駅に到着した。

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