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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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西国浜街道を三宮まで

すぐに太郎地蔵と書かれたところで、地蔵がいっぱい並んでいた。

それから味泥町に入り、雰囲気が変わった。

味泥ミドロは和泉の箕土路と読みが同じで気になった。関係は全くないのかな? ここは深い泥(深泥ミドロ)から味泥になったのではないかってことだった。

ずっと右手に並行して走っていた阪神高速が上を通り、左手に移動していった。ラブホ風のホテルが並んでいた。なんだかどうでもいいみたいな扱いのところのような気がした。

この北にはすぐ西求女塚古墳。あの素敵な公園のすぐ近くなのにな。

大きな交差点(摩耶埠頭線との摩耶ランプ交差点)に至り、西に渡ったところにある公園(西郷川河口公園)に寄るつもりだった。

けれど交差点を西に渡るには、すごく大きな歩道橋を大回りして渡らないといけないようでスルー。

少し北の岩屋交差点へ。この国道43号線との大きな交差点に大きな歩道橋がかかり、摩耶ランプ交差点を渡るにも、歩行者はこの交差点を経由しないといけないみたい。

歩道橋を西に渡っていると、下には川が流れていた。これが西郷川だな。山も近くていいところなのだけれど、幹線道路だらけ、車だらけだ。


そのまま43号線(途中から2号線になった)を西に行くと、右手に敏馬みぬめ神社。急斜面にあって、階段を上っていく神社だった。

西国本街道歩きでは神社の北側の道を歩いた。今回の西国浜街道は神社の南側を通っていて、随分低地だった。2号線あたりが海岸線(敏馬浦)だったのだって。

西国街道と西国浜街道がこんなに近いのは、海からすぐが山だったからだろうな。

神社は前回、じっくり回ったので、今回はスルー。神社の前には「大石廻船」と文字の入った大きな常夜灯があって、さっき大石の説明を見たばかりだったから、ちょっと嬉しかった。

神功皇后は新羅に行く前、神前松原(豊中市神崎川)で神集いをしたのだって。

神功皇后は14代仲哀天皇の妻だった人。天皇の死後、妊婦の身で新羅に渡り、百済、高麗とも同盟を結んだ(三韓征伐とよばれている)。4世紀頃と思われる当時、朝鮮半島は三国時代だったのね。

その前に神集いしたとき、能勢の美奴売みぬめ山(今の三草山だと言われている)からも神がやって来て、うちの杉の木で船を造りなさいなと言ったのだって。

その通りにして、神功皇后は無事に帰還。

筑紫で子どもを出産した。仲哀天皇が亡くなってからけっこう経っていて計算が合わないらしいけれど、皇后はお腹に石をしばりつけて出産を遅らせていたんだとか。

それから船で近畿へ。けれど船はこのあたりで進まなくなったそうだ。そこでミヌメの神を祀り、船もここに残したのだって。

船が進まなくなって広田神社や住吉神社、生田神社などを祀ったという話もあり、上陸には困難が伴ったってことなのだろうな。

仲哀天皇には、他にも神功皇后以外の妻が産んだ皇子たち(忍熊皇子など)がいた。神功皇后を倒そうと待ち受けていて戦いになり、結局、神功皇后が勝利。息子が15代応神天皇となった。

忍熊皇子からしてみれば、父である仲哀天皇が亡くなった後、自分たちが仕切るのは当然のことだろうし、群臣たちも皇子に従っていただろうし、上陸に困難が伴ったのは、分かる。

仲哀天皇の妻の一人が船に乗っていなくなり、仲哀天皇の息子だという赤ちゃんを産んで船で戻ってきて、しかも忍熊皇子らとはその前から仲たがいしていたか、倒す気満々で上陸しようとしたか、いさかいになったのだろうな。

能勢のミヌメの人ら、神集いで集まったのは、神功皇后に協力した人たちだったのかな。


脇浜町2丁目東交差点で、2号線から離れて、左手に分岐する道に進んでいった。このあたりで灘区から中央区に入ったようだった。

南宮宇佐八幡が現れた。小さい神社で、社務所は新しい普通の家みたいだった。元は南宮八幡といい、葺合の宇佐八幡を合祀して南宮宇佐八幡と改名したのだって。

南北朝の戦いで、後醍醐天皇についたヒーロー、楠木正成が亡くなった湊川がこの西にあって、戦いに向かう正成はここを通ったとき、宇佐の八幡神に遠くから祈ったそうだ。そして戦いの翌月、村人がここに八幡神を祀った・・・という話だった。おそらくはただの言い伝えらしい。

それから上をまた阪神高速が走るようになり、ごちゃごちゃした雰囲気だった。

山が近く、カラスがいっぱいいた。

右からの広い道と一緒になり、道はやや左よりに伸びていくけれど、その右手のライフなんかのある道に進んで行った。

右手には春日野通商店街の入り口が見えた。そしてこのあたりで雨が降りだした。曇りのち雨の予報だったけれど、暑いよりましだとやって来たので、まあ仕方がない。

右手に久しぶりに見るガスタンク。大阪ガス葺合ふきあい事務所だった。

左手は下りで、右手には山があるはずだったけれど、全く見えなかった。

左に専称寺(真宗本願寺派)、右手にはまた商店街の入り口が見えた。それから新しい大師堂。新生田川を小野橋で渡った。

右手に山が見えた。西国街道みたいには山に近くはなかった。

川のほとりの公園でちょっと休憩。雨は降っていたけれど、降雨量1くらいで、なんとかなった。


地名は小野柄通だった。

そのままずっと進んでいったら右手にそごう、左手にロフト。もうすっかり街中だった。前回は、突然こんな町のただ中に入り込んで途方に暮れて、退散したのだった。今回は突き進んで、信号を渡ってセンター街商店街へ。

ずいぶん都会だったなあ。

広い楽しげなアーケード商店街で、外国の人たちもいっぱいいた。なんだかしゃれていて、そう新しくはないのだけれど、きれいだった。大阪の難波には中国などのアジア圏の人が多かった(当時)けれど、こちらはヨーロッパ圏の人も多かった。

いくたロードと交差して、右折。いくたロードをまっすぐ行くと、生田神社だった。

神功皇后が三韓征伐からの帰り、船が進まなくなって神に問うと、アマテラスの荒魂を広田神社に祀り、他に住吉神社、生田神社、長田神社も祀るように言われてその通りにすると船が再び動き出したという、生田神社ね。

活田長峡ながさに祀られることを願ったワカヒルメが祀られているらしい。

祀ったのは海上五十狭茅うながみのいさちで、元は布引山に祀られていたのだけれど、平安時代に土砂崩れが危ぶまれ、生田の森に移されたそうだ。

ワカヒルメって誰のことかはよく分かっていないみたい。オオヒルメはアマテラスってことになっている(わたしは信じていないけど)。

前に知った甑磐のあたりには、ワカヒルメの磐座と言われる岩があるらしかった。

元は鳥羽の伊射波いざわ神社に祀られていたのだって。淡嶋と呼ばれていたところに鎮座していて、海の神さまだったと思われるそう。

海上五十狭茅についても不詳。アメノホヒとの関係があるようなないような・・・。


生田神社には、神戸空襲で焼けただれたという木が残されていた。

焼夷弾が境内にも降り注ぎ、社殿も燃え落ちたのだって。ご神体や宮司は、今も残る池にもぐって助かったそうだ。

そして再建され、年月が流れ、大震災で倒壊。また再建されたのだって。

いろいろ境内社がある中に、雷大臣いかつおみ神社があった。社家(その神社に仕える一族)だったことのある神氏(後神氏)の祖、中臣イカツオミを祀っているのだって。アメノコヤネ(神武天皇の忠臣、アメノタネコの祖父で、中臣氏や藤原氏の祖)の子孫だそうだ。

生田の森もあったけれど、すっかり小さくなった「森」だった。かつては広大で、生田の森を舞台に源平合戦もあったのだって。

小さくはなっていたけれど、大きなクスノキなどがあった。

森の中に「かまぼこ発祥地」とあって、生田社で神武皇后が魚のすり身を板に塗り付けた食べ物を食べ、それが最初のかまぼこだ、みたいなことが書かれていた。

平日だったけれど、なかなかににぎわっていた。外国人のグループや、外国の人を英語を話しながら案内する人などもいて、神戸って感じがした。

帰りは「東門筋」と書かれた道から南下していった。

最初は東に向かうけれど南にカーブするここは、「居留地の外国人たち」のための競馬場のコースだったそうだ。慶応4年(明治になる少し前)から明治6年までの間のことだそうだ。慶応の時代に日本で競馬も行われていたのか・・・。

それから神戸三宮駅に迷いつつ向かい、帰途についた。

帰りの電車から、「サワノツル」なんかの酒蔵や、「酒かすの小林」の看板が見えて、なんだかうれしかった。

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