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大阪を歩く犬7  作者: ぽちでわん
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散歩と小さな違和感

散歩していると、小さな違和感を感じることがある。

たとえば、神社と寺がくっつきすぎているとき、神社なのに山門があるとき、鳥居の横に、つまり神社の境内のぎりぎり外によく地蔵堂を見るなあ、と思う時。

日本の人は神はあちこちにいると感じ、多くの神、多くの仏に、あまり分け隔てなく手を合わせてきたそうだ。寺に神社があり、神社に寺がある、仏を祀る社がある、それは普通のことだった。けれど明治時代になって、それはダメだと天皇が決めたそうだ。

神社には神だけを祀ること。多すぎる神社はまとめ、基本、1つの村に1つだけにすること。

神社にあった寺が壊されたりもしたけれど、一緒の境内にあったのを仕切りを作って別々にしたり、神社の地蔵を外に出したりして対応するところもあった。

それでくっつきすぎている神社と寺があったり、鳥居の横によく地蔵堂があったり、1つの神社にいろんな摂社が祀られていたりするんだな。

そういう過去を知らないでいるとき、小さな違和感は違和感のままで気持ちが悪かった。けれど分かっちゃえば、説明されなくても、ほほう、ここはこのパターンか、と思いながら歩ける。違和感はすっきり解消。

他にも、広すぎると感じる道路はそこに路面電車の駅があったからだったりするし、じぐざぐしすぎる道は川の流れていた跡だったりする。

かつてあった鉄道や川を知ることも、小さな違和感の解消になる。ここは被差別部落だったとか、ここは遊郭、もしくは遊里、もしくは赤線、青線だったってことも大事。

だからどうだとは全く思わない。そんなことは、血統書つきだとか、野良だとか、そんなことと同じくらいの意味しかない。血統書付きだろうと野良だろうと、どちらとも仲良くできるなら仲良くしたい(野良の子にはまだ一度も会ったことないのだけれど)。そして仲良くするとき、血統書付きだとか野良だとかってことは、相手を理解するのに多少役立つように思う。

散歩も同じだな。

ここにはかつてどこかに引っ越しさせられた神社があったとか、廃線になった線路があったとか、川が流れていたとか、被差別部落だったとか、遊郭があったとか、東洋のマンチェスターと呼ばれるほどの重工業地帯だったけれど空襲で壊滅したとか、そういう経歴を知ると、小さな違和感が消えて、少し理解できたような気になる。

いろんなことを知れば知るほどただの散歩が面白くなるなあ。散歩歴も6年目、そんなことを思うようになっていた。

いろいろ散歩したな。近場の住吉大社界隈に始まって、堺、八尾、柏原市。かなりはまった和泉市や茨木市。竹内街道、東高野街道、京街道。まだまだ歩きたいところがいっぱいある。

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