泉 鏡花「幻往来」現代語勝手訳 (一)
泉鏡花の「幻往来」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この作品の勝手訳を行うにあたり「文豪怪奇コレクション 耽美と憧憬の泉鏡花<小説編>」(東 雅夫編 双葉文庫)を底本としました。
※ 原作には章立てはありませんが、敢えて(一)~(四)に分けました。また、読みやすさを考え、原文にはない一行空けを作っています。
(一)
ちょっと如何わしいので楼の名は言わないでおく。廊下の隅にも煙草盆の中にも塵一つなく、また部屋ごとの灯りも明るく輝いていることもあって、えらく繁盛しているようである。主の妙な趣味なのか、中庭には雨水を湛えた大釜が置かれていて、雨がしょぼしょぼ降る真っ暗な夜などは、それが時折唸りを立てて廓内に聞こえるとも言う。法科の学生で、足繁くその楼に通うのがいた。その音を研究するためだ、などと言うが、なぁにそこに通うための口実に過ぎない。この男がある時の宴会の帰り、ちょうどそこに居合わせた私の親友で橘という、当時医学部にいたのをその楼へ引っ張り出したのだが、それが事の起こりであった。
彼は『学もし成らずんば死すとも帰らず』などという信州から出て来た田舎者ではなく、下谷の生まれであった。けれどもそれ程離れてもいない吉原には、夜桜の頃にも仁和賀(*1)の頃にも、まだ一度も足を踏み入れたことはなかった。だから、初めて肩を抱きかかえるようにされて二人乗りの腕車に乗って門の車止まで来た時は、あまりの人の多さに驚いたものである。
ちょうど仁和賀の祭りも後二、三日で終いになろうという頃だったとかで、途中の風が身に沁みて、酔いも醒めていたから、四辺が明るいほど、ますますこんな所へ来るというのは後ろ暗い気持ちになった。
躊躇して後へ退がろうとするのを捉えて放さないまま、件の法学生が門へ入ると、左側の引き手茶屋へ連れ込んだ。
法学生とは馴染みと見えて、女どもはちゃんと心得たもので、
「先刻もお馴染みの妓に廊下でお目にかかりましたよ。貴方のことを、あら解ってるじゃぁありませんか。浮気をなさるから気を揉んでいるんでしょうよ。さぁ、直ぐに参りましょう、お座敷のある内に」と言えば、
「いや、ちょっと待ってくれ、今日は少し勝手が違うのだ。今夜は別の楼にしよう。何、あそこだけにしか女がいない訳じゃあるまいし」
「冗談を言っちゃ不可ませんよ、さぁ」と言って促し、寝衣を肩にかけて、真っ白な狩衣と提灯を両手に提げたおかしな格好をしたのが前に立って導いたのが、その大釜が鳴るという三階建の楼。
広い段階子を上って直ぐの、花瓦斯の点いた広間へ入ると、まだ座りもしないうちに若い者がばたばたと出て来て、
「お座敷へ」と言って廊下に連れて行く。
座敷に入ったものの、橘はどうしてよいのやら分からず俯向いていた。しかし、膳の上に酒も乗り、三品ばかりついて出たので、それを二つ三つ口にしていたが、そのうちに引着(*2)というものがあった。やって来た女の顔よりも、彼は膳に載せられた酢蛸の足の大きいのを見て、一力では由良之助がこれに困らされたはずだと思い出し、揚屋というものは恐ろしい海の化物を喰わせる所だと舌を巻いて身をすくませたが、自分としては面白くも何ともない。
女は煙草を吸う癖に口も利かないので、座敷は陰気で白けた雰囲気である。それならもう寝た方がマシだろうということで、
「おひけ(*3)に」と言えば、繻子の襟の掛かった袷に浴衣を重ねて、半纏は着ず、博多の男帯をグルグル巻きにして、顳顬へ梅干しを貼った、胸を突き出して歩く婆さんが来て、診察室へ患者を呼び入れるような言い回しで、
「こちらへおいでなさい」と言う。
橘は気後れがして立ち淀んだ。婆さんは眉を顰め、法学生と橘を見比べるようにしながら、
「どっちだい?」と訊く。(*4)茶屋の女が傍にいて、
「そちら」と言えば。婆さんは、
「こっちだね」と確かめるように頷いて、
「さぁ、こちらへ」と誘う。
橘も仕方なく同じ様なことで……。
「こっちこっち」と尻上がりの口調で言われ、手は引かれないが、引き立てられるように敷居の外へ連れ出され、
「それをお履きなさい」と顎で草履を履くように指図された。まるで東海道中膝栗毛の喜多八のような扱いをされた、……と今も話す度に橘は笑うのである。
三段ほど、ずるずると辷るような階段を下りると、電燈の点いた厠があった。そこだけが凹みになっていて、また向こうへ二、三段高くなって、廊下の突き当たりが橘の相方の座敷だった。
直ぐに床に入ると思われたらしい。突然行燈が点いてある奥の室の屏風から灯りが洩れ、房つきの枕と、金糸で紋の入った天鵞絨の襟付きの厚い蒲団の真紅の裏が見えたので、橘は吃驚して、奥には入らずその横にある部屋の長火鉢の傍に座ってしまう。
「貴方、お着替えなさいな」
「いや、もういいんだ」と言うなり、そこにあった都新聞を手に取り、時計の掛かっている柱を背にして橘は固くなる。
「もういいじゃありませんよ」と、付いてきた茶屋の女が、それを引ったくって、
「新聞は横になっても読めますわ」と橘の言葉を斬り捨てる。
こんな時、勇士は『錐毛急に用いて進む』(*5)と聞くが、彼は極めて弱卒であった。新聞は取り上げられるし、どこに顔を向けば良いのか分からず、手持ち無沙汰で、気上気がして、唾も乾いたため、黙ってうな垂れていたが、そんなところへ相方が、するすると傍に来て、
「どうなすったの?」と。
「いいえね、おいらんがいらっしゃらなければお寝みなさらないですとさ」
「そう、まぁ、嬉しいねぇ、真実に」と少し掠れた声で笑った。
「では、おいらんお渡し申しますよ。どうぞよろしく。さぁ、皆参りましょう。はにかんでいらっしゃるんだよ。それでは」と言い交わして、婆さんと茶屋の女はわざと座を避けた。橘は二十三だったけれども、他人には四つばかり若く見える。
「ねぇ、お着替えなさいな。何故? え、不可ないの? それじゃ、お羽織だけでも」と言って背後から玉のような手を掛けて肩越しに胸紐を解こうとする。
橘はどこか落人が美しい野武士に緋縅を剥ぎ取られるような心持ちがして、しっかり襟を圧えて身動きもせず、顔のやり場もなかったが、ふと見ると枕元に置いてある行燈に女文字で、
東雲のほがらほがらと明け行けば、(*6)
と、後朝の歌の上の句だけが書かれてあるのを目に留め、まばたきもしないでそれをじっと見詰めていた。
相方はよほど持てあましたと見えて、掛けた手を放し、火鉢に向かって片膝をついたので、橘はハッと我に返り、膝に手を置き向き直って、
「姉さん、私はここへはほんの交際で来ただけなんだ。遊ぶ気はないんだから仕方がない。今度遊びたいと思った時はきっと一人で来る。その時は遊ばしておくれ」と言った。
そうすると、「あい」と言って、快く頷いて莞爾笑ったが、そのまますらりと障子を開けて、フイと出て行った。
その後、橘はホッと息を吐いて、汗を拭い、はじめて座を寛げ、煙草を吸った。
しばらくすると、先ほどの婆さんが入って来た。既に彼の意向を了解したと見えて、敢えてわざとらしいことも言わず、
「向島へ水が出た時は大変でございました」などと、世間話をしながら茶を淹れる。程なくして迎えが来たので、橘は直ぐさま座敷を辞して、ばたばたばたと入り乱れた足音がする廊下に出た。
前刻の厠近くの廊下の端に、誰とは分からないが、後ろ向きに立った一人の女がいた。藤色の縮緬に三つ紋付きの座敷着を引っ掛け、寒いのか肩を狭めて身を細め、褄を引き合わせている。櫛巻が少しほつれて、清らかな襟元が何となく窶れ気味で、全体的になよなよとして霧が掛かったような弱々しい姿である。橘は一目見ると慄然とした。――廊下もこの辺りは風が冷たい。
顔を見る暇もなく、流れのままに連れを誘い、一組になって二階を下りようとしたその時、階子段の中ほどで、客を送り出した帰りなのだろう、片手を懐にして、褄を取り、風に芙蓉の花が揺れる風情で、ちょっとよろけそうな格好で上がって来るのに行き逢った。これも櫛巻にして頬に後れ毛をかけていたのを橘がふと見ると、また氷を浴びたように慄然とした。
相乗りの帰りがけ、上野の踏切を越えると、連れの法学生が、
「……橘、どうだ」と声を掛けた。
「どうだとは?」
「どんな気持ちかってことよ。何か思うことはないか」と訊く。もっとも行きがけにもちょうどこの辺りで、
「男としてこれから後へ引き返すことが出来るか」としたり顔で言うから、橘は意に介せず、
「このまま家に帰ればそれでいい」と言ったが、
「今に分かるよ」と連れは澄ましたのであった。
帰りに同じように訊かれても別に何と言うことはなかったから、その旨伝えると、
「そうか、人によってこの薬は効き目の早い遅いがあるからな。君なんぞはその遅い口だろう。翌朝になってみろ、きっとご利益があるから」と一人でうんうんと納得しているのを橘は心の中でおかしがった。けれども、やはりというか、日を追う毎に物思いは深くなり、胸を掻き毟られるようになった。が、その時に余りにもきっぱり断言したような口を利いたので、もう一度行くとは言い出しにくく、ほとほと悩んだのであった。
というのは、深い理由がある。――
<注>
*1 仁和賀……吉原の三大行事の一つ。三大行事とは、旧暦の三月:夜桜、七月:玉菊灯籠、八月:仁和賀(俄とも)。
――『毎年八月朔日より晦日に至る、秋葉権現の祭祀に拠て之を行ふ也。男女芸者種々に扮し、男は芝居狂言に洒落を加え、女は踊り所作の類を専らとし、各囃子方を備へて之をゆく。男女各舞台を別にし車ある小舞台数ヶを造り、仲之町両側を引巡り、茶屋一戸毎に一狂言して次にゆくと、次の台を引来り、又これをゆく。女舞台、男舞台相交へひく也」(『守貞漫稿』)――江戸吉原図聚(三谷一馬)中公文庫 P.542より
*2 引着……初会の客が遊女と対面して盃を取り交わすこと。
*3 おひけ……座敷が済んで、部屋に行くこと。
*4 「どっちだい?」と訊く。……これは誰に向かって問い掛けているのか? 客である法学生と橘に向かって訊いているのか、それとも茶屋の女に訊いているのか。この文章でははっきり分からない。客が茶屋を選ぶのか、茶屋の方が客を選ぶのか。(いずれにしても茶屋の女は二人以上いなければならない)遊郭でのしきたりでは、相方となる遊女は、馴染みであれば客が名指しできるが、初会の客の場合は茶屋が遊女を選ぶようになっているようである。原文では「橘も仕方がないから、おなじようなことを、何方」とあるので、橘が茶屋を選んだとも取れる。
*5 錐毛急に用いて進む……髪の毛を尖らせるほど息巻いて、突進するという意味か?
*6 東雲のほがらほがらと明け行けば、……古今集 637 「よみ人知らず」の歌。「明け方、東の空がほんのりと白らんで行けば、」の意。『おのがきぬぎぬ なるぞかなしき――お互いの衣服を着て別れてしまうようになるのが何とも辛いことだ』と続く。
遊郭の様子やしきたりは結構複雑で、しかも時代によって若干異なるようである。
本で読んでもなかなか理解できない所があり、実際には体験しなければ分からないのだろう。と言って、今となっては困難なことではある。
この時代の作品はこの遊郭の描写が多く出て来る。もう少し私も勉強せねば。