3.人見知りぼっち令嬢、身体を乗っ取られる。
「……死んだ、か。後は縄で括って自殺したように見せかければ――――」
だらりと力なく崩れ落ちたレイネを床に置き、首を絞めていた暗殺者は背を向けて偽装工作を始める…………背後の彼女がゆらりと立ち上がったのに気付かないままに。
「ッ……が……ふ……ば、馬……鹿な……お、前は……確か……に…………」
信じられないといった表情で目を剝く暗殺者の胸からは大量の血液が吹き出し、見る見るうちにその服と床を鮮血で染め上げる。
「――――目が覚めた瞬間に殺されかけるとは思わなかったが、なんとかなったな」
視線の先、そこには惨状を引き起こした張本人であるレイネが先程までとは別人のような口調で冷ややかに暗殺者を見つめていた。
「ぐ……クソ……がぁ……!!」
悪態と共に血反吐を吐き捨てた暗殺者は自らの胸を貫いていた鎖を無理矢理引き抜き、レイネから距離を取る。
「……すげぇな。その傷で動けるなんて」
「ッ……お前は……誰だ?」
掌から血濡れた謎の鎖がでているものの、その姿は紛れもなくレイネのもの。しかし、その雰囲気や立ち振る舞いが先程までとは全くの別物だった。
「誰って……さあ?そんなの俺が聞きたいくらいだ――――」
肩を竦めて答えたレイネは血塗られた鎖を再び振るって暗殺者に止めを刺そうとする。
瞬間、暗殺者は床に向かって何かを叩きつけたかと思うと、部屋中に真っ白な煙が拡がった。
「………逃げたか」
おそらく暗殺者が逃げるのに使ったであろう、開け放たれた窓から煙が逃げ晴れたところでレイネは部屋を見回し、呟く。
「まあ、ひとまず生き残れたならそれでいい……というか、ここはどこだ?俺は確かベッドの上にいたはず……それにこの高い声は……」
暗殺者の血痕が大量に残る殺人現場みたいな部屋で一人、ぶつぶつと呟くレイネ。その様子はまるでレイネという身体に別の誰かが入ったようだった。
『――――あ、あの……』
「?どうして誰もいないのに声が……」
突如として聞こえてきた声にレイネ?は再び辺りを見回すも、やはり自分以外には誰もいない。
空耳だったのだろうかと、首を傾げると謎の声が再度聞こえてくる。
『……あの!聞こえてますかっ!!』
「うおっ!?」
今度は空耳なんて勘違いのしようがないくらいの声量で聞こえてきたソレにレイネ?はビクリと身体を震わした。
『よ、良かった……聞こえてるみたいで……』
「……この声は……今の俺の声と同じ……誰だ?」
姿の見えない誰かに問いかけるレイネ?。すると、謎の声は恐る恐るといった風に話しかけてくる。
『え、えっと、わ、私はレイネ……レイネ・シュトラウゼンと言います。その、なんというか……今、貴方が動かしてる身体の持ち主です』
「…………は?今、動かしてる身体って……何を――――」
そこまで言いかけたところでレイネ?は自分の身体をまじまじと見つめ、ようやく自らに起こった異常事態に気付いた。
「なっ……俺の身体が……!全体的に細いし、髪も長いし、一体どうなってんだ!?」
混乱した様子で全身をペタペタ触るレイネ?に対して謎の声……もとい、レイネを名乗る声が焦った様子でそれを止めようとする。
『ちょっ落ち着いてください!というか貴方、たぶん男の人ですよね!?そんなに身体をあちこち触らないでください!!』
「え、あ、わ、悪い!でも、流石にこの状況は……」
おそらく身体があったならレイネを名乗る声の主は顔を真っ赤にしていた事だろう。とはいえ、今、身体にいるレイネ?からすれば不可解な現状を確かめるのに必要だったので致し方なかった。
「――――お嬢様?先程、何か大きな物音がしましたが、大丈夫ですか?」
「っ!?」
『っメイドのイリアです!きっと私が部屋から出てこないから心配になって見に来たんですよ。なんとか誤魔化さないと……!』
現状、部屋の中は暗殺者の血が床に飛び散った惨状で、殺人現場のような様相となっている。仮にこんな状態で何も知らないメイドが入ってくれば大騒ぎになる事は目に見えていた。
『っど、ど、どうしたら!?い、今の私は何もできませんし、身体は貴方しか動かせませんよぉ!!』
「…………うるさい。いいからひとまずは落ち着け」
眉間に皺を寄せながら外に漏れないくらいの声量でレイネを名乗る声を諫めるレイネ?。彼からすれば意味も分からないままいきなり殺されかけ、見知らぬ身体に謎の声という落ち着いてはいられない状況の筈なのに何故か信じ難いほど冷静だった。
『お、落ち着けって……こんな状況で…………』
「……こんな状況だからこそ、だ。正直、何も分からないし、何一つ呑み込めてないが、今やるべきなのはこの血塗れの部屋をどう誤魔化すか、だろ?」
困惑する声を他所に、レイネ?は片手を顎に当てて考える素振りを見せたかと思えば、すぐに顔を上げ、つかつかとドアの方へと向かった。
『な、何をするつもりですかっ!?』
「……いいから、黙ってこれから喋る事に合わせろ――――」
小さくそう言ったレイネ?は返事をしないままドアに手を掛けると表情を作ってそのまま倒れるように開け放つ。
「お嬢様?どうし――――」
「た、助けてください!!い、今、私……変な人が、部屋に……襲われて…………」
レイネ?はドアの向こうにいたメイドのイリアへ倒れ込むように抱き着き、恐怖に呑まれた風を装って侵入者に襲われた事を訴えた。
「ッ侵入者!?お嬢様お怪我は……!」
「わ、私はだ、大丈夫……で、でも夢中で……そしたら襲ってきた人が…………」
イリアはレイネ?の言葉にハッとし、部屋を一瞥する。そしてすぐに血溜まりを発見すると、慌ててレイネ?を連れ出し、大声で人を呼んだ。
鬼気迫る声に何事かとすぐに使用人たちが集まり、騒ぎは屋敷中に伝播する。
令嬢が襲われたというのも大事件だが、そもそも貴族の屋敷に侵入者を許してしまったというのが何よりもまずい。
当主にとっては貴族としての面子を潰され、使用人にとっては自分達の職務の怠慢を疑われてしまうのだから何が何でもその侵入者を捕まえようとするだろう。