第七十六話 八百万の神の戦い
「始まるぞ・・・・・・八百万の神同士の、戦いがっ!」
暴風吹き荒れ、滝のような雨が叩きつける大荒れの吉野川のたもとで、一同が白雲氏の言葉にごくり、と唾を飲み込む。
荒れ狂う川からその巨大な体を持ち上げ、金色の瞳で眼下を見下ろす龍神。
対峙するのは牛ほどの体を持つ、野生の犬の姿をしたおおかみさま。深紅に光る瞳が航跡を引き、天にそびえる巨龍を見上げる。
「だ、大丈夫、なの?」
「やべぇ、あの龍デカすぎだろ。あれじゃいくらなんでも・・・・・・」
さすがに皆が不安を漏らす。おおかみさまも犬としては規格外の大きさではあるが、あの全長1キロ、胴回り50mはあるだろう龍と相対するにはいかにも体格不足だ。
と、おおかみさまが橋の縁からふっ、と川に身を躍らせると、そのまま濁流の上にばしゃっと立つ。底はまだまだ深く、泳ぐにしても胴から首までは水に浸かるはずだが、水に沈んでいるのは足首の先のみで、まるで濁流の草原に立つかのように力強く四肢を踏ん張り、流される事無くその場にとどまる。そして首を天に掲げると・・・・・・
ピュオオォォォォォーーーーーン
まるで一本の音波を塔にするかのように、天に届けとばかりの遠吠えを吐く。その声や仕草はまるで宣戦布告のラッパを吹き鳴らすかのようだった。
「は、始まる・・・・・・っ!」
「せっちゃん、どうか無事に帰って来て」
「勝って大雨を止めろよ、おおかみさまとやら!」
緊張とプレッシャーが最高潮に達する。今、この場にいる私たちは雨に濡れてはいない。やはりあの遠野や恐山の時と同じくビジョンを見せられているだけなのだろう。だからどれだけ激しい戦いが行われても、多分私たちが巻き込まれる心配は無いのだろうが、それでもやはり神同士の戦いを目前にして恐怖を感じずにはいられない。
遠吠えを終えたおおかみさまが、その首を下に向ける。赤目の光が彗星のように尾を引いて弧を描く。そしてその口を水に浸け、赤い光が水面に乱反射する。
・・・・・・・
ごくごくごくごくごくごくごくごく・・・・・・
ずどどどどっ!
全員が一斉にずっこけた。
「「飲むんかいっ!!」」
倒れつつ平手をびしっ!とおおかみさまにかざす。ま、まぁ確かに龍神様を倒してもこの洪水がどうにかなるわけでもないし、水を減らすほうが建設的な解決策やけど、なんぼなんでも無理やろそれ。
「おーい、白雲さーん?」
全員が呪術班リーダーの山伏さんにツッコミを入れる。八百万の神の戦いどこいった?
ちなみに白雲氏は背中を向けて頬をぽりぽり掻いている。ここにきてまたうさん臭くなったなぁこのヒト。
「え、あれ? なんか・・・・・大きく、なってない?」
ななみんが言った言葉を、全員が同時に心で思った。牛くらいの体格だったおおかみさまは、ほどなくアフリカゾウのサイズまで大きくなり、さらに少しづつ拡大されていくのが見て取れる。太るでもなく、お腹が膨れるでもなく、まるで縮尺を変えていくかのように、どんどん巨体化していく。
ごぼっ、ごぶぉ、ごごぉっ、どどごぼぉ・・・・・・
そして大きくなるごとに、水を飲むその一口も莫大な量となっていく。今や家より大きくなったその体の口からは、消防車の放水にも負けない量の水が体内に吸い込まれていく。
ついにクジラサイズまで大きくなり、さらにはドーム球場にも負けないほどの巨獣へと姿を変えた。
どどどどっ、どどどどどっ、どどどどどっ・・・・・・
ひと飲みがもうダムの放流量より遥かに多い。飲むとういうよりまるでブラックホールにでも吸い込まれていくかのように、川の水が彼の口の中に消失していく。
『ほほう、なかなかの飲みっぷりではないか、おおかみよ』
龍神が相変わらず底冷えするような声でつぶやく。だけどそれは少しだけ焦りをたたえた音色があった。
『うむ、最高に濃く、芳醇な物語を贄として食ったでな、喉が渇くのよ』
「え・・・・・・ほういう理屈、なん?」
そんな中華料理と烏龍茶の関係みたいに言われてもなぁ・・・・・・と全員が突っ立ったまま呆れ汗を流す。
と、そんな私たちのすぐそばに、なんとふたりの人物が土手を登って来る、こんな台風時に川の土手に来るとかフラグ建築士? と思ったけど、その正体はすぐにわかった。カメラを持った男性とマイクを手にした女性、TVかなんかのレポーターだ。
「こちら現在の吉野川、鴨烏地区の西城大橋です。現在の水位は・・・・・・あ、思ったほど高くはないですね」
私たちをスルーしてリポートを始める。案の定というか私たちは見えていないようだ、やっぱり私らは今まだあの山の墓地におるけど、景色だけここの映像を見せられてるということか。
「あ、ヤバいんじゃね? アレ見られたら」
渡辺君がそうこぼす。彼女たちは川の水位しか見えてないけど、その上にある巨大なおおかみと龍を見たら仰天して川に落っこちかねない。そうでなくてもあんなものがTVに映りでもしたら・・・・・・
「川の水位は今、土手の六割というところでしょうか」
『先程、地元の視聴者からのレポートでは、今にも溢れそうだという事でしたが』
「よく分かりませんが、御覧の通り今はそれほどでも・・・・・・」
ほっ、と胸をなでおろす。どうやら私達だけやなくて龍神とおおかみさまも普通の人には見えんみたいや。ただおおかみさまがすさまじい勢いで水を飲みまくってるせいで、このへんの水位はかなり下がりつつあるんは現実と共通みたいやなぁ。
神様が大河の水を飲み干す。そんな寓話や絵本のような光景がまさに目の前で展開されていた。すでにおおかみさまはちょっとした山といえる大きさまでになり、足は川幅に収まり切らずに土手の外に出して田んぼや空き地を踏みしめている。その足の裏だけでもうグラウンド並みの大きさになっとるし。
「うそ・・・・・・すげぇ」
「おおかみさまー、頑張れ、もう少しー!」
とうとう川底が見え始めた。もちろん水深の浅さはこの場がピークで、上流や下流はまだまだ水が高いかもしれへん。ほなけどこの勢いで飲み続けたら、吉野川全体の水が低くならされるのも時間の問題やろう。
すでに龍神とおおかみさまとの体格の比率は完全に逆転していた。おおかみさまの方を大型犬と見るなら、龍神はすでにシマヘビかアオダイショウ程度のサイズでしかない。まさかおおかみさまの力がここまでとは!
『お、おおかみよ。見事だ、もう、そろそろ、な?』
もう明らかに動揺した声で龍神様がそう言うも、おおかみさまは聞く耳持たずに上流から流れる水をひたすら吸い込み続ける。ドドドドドと轟音を響かせながら、迫り来る水と言う水をその口にかき集めていく。
『ま、待て! わかった、うぬの勝ちだ。だからもう、止め・・・・・・』
龍神様がそう言った時だった。上空でとぐろを巻いていた龍の体がまるでホースを巻き取るように引っ張り込まれ始めたのは。
「あ、食べられそう」
ななみんがそうこぼす。いつの間にか龍の尻尾あたりが水に引っ張られるようにおおかみさまの口の中に入っていく。
『よ、よせ! 止めぬか、やめえぇぇぇぇぇ・・・・・・』
龍神様の悲鳴もお構いなしに、そのままずるずると龍の尻尾を、胴体を飲み込んでいくおおかみさま。
ちゅるるるる・・・・・・すぽん!
まるでラーメンの最後の一本をすすり込むように、おおかみさまが首を上げて龍神様を飲み込む。
「うわぁ・・・・・・食べちゃったよ」
「豪快だなぁ、おおかみさまって」
みんなが口々に、おおかみさまのスケールのでかさをしみじみと語る。足元の川はもう完全に干上がっており、所々に水たまりがある程度だ。まぁこれから台風が来るんだから水位は戻るやろうけど。
「・・・・・・多分、この状態が今年の吉野川なんだろうな」
水原さんの言葉に全員がはっとする。確かに今年の徳島は雨不足で、本来この台風は恵みの雨にもなるはずだった。過去から水害の水を持ってきていたさっきまでの状態の方が異常だったのだろう。
と、言う事は・・・・・・終わった、のか?
「山は雨を飲み込み、恵みの水を川に流す、か」
大荻さんが感慨深くそう語る。なるほど、山の神であるおおかみさまは、まさに山となって水を吸い込み切ったんやな。
『これにて余の禊の完遂を成す』
山のようになったおおかみさまが、空気そのものを震わせるような声でそう発する。次の瞬間にその鼻から、何か小さなつぶてを大量に吐き出した。全身をくねらせて鼻をホースのようにうねらせ、そのつぶてを川の上流から下流まで均等に撒いていく。当然私たちのすぐ近くにもそれは次々と落ちてくる。
「あ、魚! あと貝とかカニとか・・・・・・・」
「水草とかタニシ、亀もいる。あ、ウナギ、うまそー」
なるほど、水と一緒に吸い込んだ生き物たちを元に戻してるんやな、さすが自然の神様、律義な事や。
吐き出し終わると次に、その首を上に向けて小さくいななく。と、彼の頭に乗っていた小さなリングが光り輝き、空へ向かって浮き上がっていく。
「あれは・・・・・・身代わりのネックレス!」
未来君の叫び通り、あれはさっきおおかみさまに渡した七人の子供たちの埴輪フィギュア、彼らの魂を宿したそれが、七つの輪になってゆっくりと上昇していく。そう、まるで魔法陣のように。
―ありがとう―
―おばあちゃん―
―おにいちゃん―
―であって、くれて―
―かわって、くれて―
―すくって、くれて―
―かえして、くれて―
――ほんとうに、ありがとう――
消える直前、七人の子供たちの、本当にうれしそうな顔が、見えた気がした。
『さて、最後に』
おおかみさまがこちらを見てそう呟くと、ぷっ! と何かを吐き出した。それは真っすぐにこちらに向かって落ちてくる。そしてそれは人の形をしていた・・・・・・まさかっ!?
「川奈!?」
「せっちゃんっ!!」
龍神と同化していた川奈潺がまっすぐこちらに落ちてくる、っていうかあの勢いで落ちて来られたらとても受け止められんで!
「任せて貰おう」
そう言ったのは白雲さんだ。手を合わせて念じ、魔法陣の文を出すと、それらを宙に伸ばして落ちてくるせっちゃんを優しく包み込み、ふわりと目の前に持って来る。それを私とななみんが抱き抱える。
「せっちゃん、しっかりして!」
「おい川奈、起きろ」
皆が彼女の周りに集まり声をかけ、渡辺君がその頬をペシペシと叩く。それに応えて「ぅんん?」と目を覚ます彼女。
「あれ・・・・・・みんな、こんなとこで何してるの? っていうかここ、どこ?」
「よ、よかったぁ~~、無事やったぁ」
私とななみん、ツキちゃんが親友の無事に涙してへたりこみ、男子全員がおおっしゃ! とガッツポーズを天に掲げる。これでみんな無事にこの災害を乗り切る事が出来た、このプロジェクトがやって来た事が無事に終焉を迎えることが出来たんだ、と。
『余の中の水は、渇きの地に送るとしよう』
おおかみさまがこちらを見たままそう告げる。吸い込んだ水の持って行き場があるのならそれは確かに好都合だ。
そしておおかみさまは、私と未来君を真っすぐに見つめて、感慨深そうに、いたわるように声をかけた。
『生け贄の老婆、神ノ山登紀。そして男子、天野未来』
その声に思わず居住まいを正して、ふたり並んでおおかみさまを見上げる。
―時遡(トキサカ)の大任、大儀であった―
その言葉が終わった時、世界が万華鏡のように亀裂を走らせる。雨の吉野川から再び山の墓地へと世界が切り替わっていく。その際に聞こえたのは、信じられないといった歓喜の声で絶叫するTVレポーターの叫び。
『奇跡、奇跡ですっ! あれほど溢れそうだった吉野川の水位が今、完全にグリーンレベルまで下がりましたっ!』
◇ ◇ ◇
その景色と声が完全に消えた時、私たちは叩きつけるような雨に今度こそ打たれ始めた。
「うわっ! 戻って来たとたんコレかよ」
「ここが晴れていたのも、やっぱおおかみさまの力か!」
全員が脱いでいた雨合羽を着込み、頭のフードをかぶり直す。もうあの赤い満月も、雲を割った晴れ間も、そして未来君の魔法陣もどこにもなかった。
「って・・・・・・未来君? 体が、戻っとるやないの!」
「え、ええええっ!?」
私の言葉に仰天する未来君。でも確かに彼は中学生くらいの体格から、見上げるばかりの青年の体に戻っていた。来てる服も雨合羽もキツキツで、驚きのアクションと同時に、ビリッとどこか破れた音がする。
全員が固まっていた。ほらまぁ時遡プロジェクトとしては未来君の呪いが解けたんやったらいよいよ目的が・・・・・・あれ? みんななんで私のほう見とるん?
「登紀・・・・・・さん? だよね」
「何言うとん、当たり前やないか」
未来君の間の抜けた質問に呆れた声で返す。ひょっとして身長が戻ったんで私が縮んだように見えたんかな?
「「えええええええええっ!?」」
全員が一斉に驚いて一歩引く。なんや、まるで人を化け物みたいに・・・・・・
「と、登紀ちゃ、さん、これっ!」
ななみんがスマホをこちらに向ける。カメラ画面が起動したそれは、いわゆる自撮りモードでの目の前の私の顔を映し出している。
そこにいたのは、一人の、よく見知った、お婆ちゃんだった。
「あらららら、私、元に戻っとるわ」
実に六十四年ぶりに、私は本来の年齢、七十七歳の見た目に戻っていた。




