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愚者 【 0と  】






握っていた手の中で、何かが壊れた。


繋いでいたはずの村上陽子の手である。


握りつぶしたカステラみたいにそれはあっさりと崩れ、ボロボロとこぼれていった。指だったものが階段の上へ、無造作にばら撒かれる。しかし、不思議と血は流れない。その場に硬直した僕をさらりと追い抜いて、村上はそのままゆっくりと進み、踊り場で一息つくみたいに立ち止まった。欠けた右手首の断面を見る。痛みを感じていないのは明白で、表情に滲み出たのは不安よりも諦めだった。


「あぁ……」


彼女の悲鳴ではない。これは僕の喉から漏れた動揺だった。反して、理不尽に右腕の先を失ったのに村上は極めて冷静で、「あらら」と、少しだけ悲しげに眉をひそめただけだった。


あわてて彼女を追って、僕も踊り場へ。「村上、それは!」


僕の声も心臓も震えていたが、しかし彼女はそつなく答えた。「大丈夫、心配しないで。偽りの外殻が形状を維持できなくなっただけだから。仕方ないよ」


……いや、それのどこが大丈夫なんだよ……


茫然とする僕の視界の隅で、村上の指だったものが音も立てずに砂のように崩れさった。見れば、右腕の断面からも砂粒がさらさらと落ちていて、彼女はそれを隠そうともせず、ただ眺めていた。


村上陽子は砂になろうとしていた。これが永いお別れなのか。


……逃げ場はどこにも無い。受け入れるしかない……


……仕方がない……


……ここもまた、袋小路(デッドエンド)なのだ……


僕は懸命に無い知恵を絞る。


……夜まで逃げて月の描写を絡めれば『ムーン』、あるいはどこかの廃ビルに逃げ込み、屋上まで螺旋階段を登る様を『タワー』と例えられないか……


()()()()()()()()()()()()()()()()()


悪あがきは百も承知、それでも拙策を模索し続ける僕の横で、不意に村上が口を開いた。「……何の暗示なら最終回にふさわしいと?」


僕は息を呑む。


「他人の……思考を読めるのか……保持者(ホルダー)だったなんて……」


彼女は眉の一筋も動かさなかった。


「そんなんじゃなくてね……あたしは使い捨ての(やっす)鬼札(ワイルドカード)。貸与されたのは【俯瞰するもの(プロヴィデンス)】の属性で、短命と引き換えにこの閉じた世界では()()全知全能なのよ……橙乃木さんだけじゃなくて、あたしのお願いも断れなかったでしょ?……まぁ、もう最期が近いから権限もかなり(せば)まっているけど……ほんとはね、ひっそりと姿をくらますつもりだったんだけど……あたしの弱体化の兆候に合わせて【ネタバレ士(パンドーラ)】が出現するなんてね……ほんっと、イヤなシナリオだこと……」


悪態をつきながら、さらりと聞き逃がせない単語を次々と口にする村上。脇と言わず背と言わず、変な汗に包まれながらも僕はきちんと疑問を言葉にした。「……短命って……最期ってなんだよ……シナリオ?……」


すると、村上陽子はその場にぺたりとしゃがみ込んでみせた。不自然……と感じる間も刹那、折りたたまれた脚の形状をかたどっていたスカートが、その膨らみをみるみると(しぼ)ませる。脚が砂になっている……疑う余地はなかった。


ふと、上目遣いで彼女が僕を見た。


「……二十二枚目、最後のカード【ワールド】はチュートリアルで早々に使ってしまっているじゃない。()()()()()()()()()()()。【タワー】でも【ムーン】でもない……これは【フール】……愚か者が、砂のように崩れて去るってエピソード……もう避けられないのよ、宮田くん……あなたのモノガタリはまだまだ続くけれど、あたしはここまで。付き合えるのはここまで……あたしはここでおしまい……」


ふるふると揺れる彼女の瞳。村上陽子のこんな顔を見るのは初めてだ。


「……村上……僕は……」


知らずと声が上ずっていた。歯の根も合わない。さて、僕は今どんな顔をしているのだろう……一瞬だけちらりと思ったが、わりかしどうでもいい。もう彼女の目前にさらしている。


そんな不甲斐ない僕の頬へ、村上陽子の左手がやんわりと伸びて来た。


「……駄目だよ、宮田くん……いつまでも後ろ向きでは。現実にも贖罪にも、ちゃんと向き合わないと。いつまで経っても現在位置が袋小路では、何も進捗しない」






……楽園を追放された()()()から発生したヒトの系譜。でもそれは、余計な知恵を付与されたがゆえ、()()()の想定したものとはかなり趣きの異なる仕様に変異してしまった。同族殺しに特化した生き物と堕してしまったヒト……同じ種なのに、他者を見下し、軽んじ、踏みにじる。溢れんばかりの負の感情にだけ支配され、嬉々として他人の尊厳や命すらももてあそぶ。それらのすべての原因はあなたなのよ……宮田くん……あなたのささいな軽口から、何もかもヒトのすべてが台無しになってしまった……







「……それでもあたしはあなたの側にいたかった。自身が歪めたヒトとその世界を改めるため、それを模した異世界へヒトとして送り込まれたあなた。命じられたのはヒトを創りなおす事……だから()()()に無理を言って、あたしも同行させてもらったの……期間限定だけどね……もう一周期ぐらい一緒にいられるかなって思ったけど……時間みたい」


頬を触られていた感触が、唐突に無くなる。僕の視界の隅にて、村上陽子の左手がさらさらと崩壊していった。スカートもぺしゃんこになっている。もう下半身が形を失っているようだ。あまりにも早い。僕は喚くしかなかった。


「村上……こんな……こんな最後は嫌だ……あんまりだよ……」


涙が出た。鼻水も垂れた。だらしなく半開きになった口からよだれが糸を引いた。僕の顔はぐしゃぐしゃだったはずだが、それでも村上陽子は柔らかく微笑んでくれた。


「……日々を大切に過ごして。今日と言う日を愛おしく想って。今日が今日なのは今日だけ……今日中に今日は今日を終えてしまう……今日という日に精一杯真剣に向き合って、心をこめて、ヒトを創り直してほしい……果てしなく永い永い旅路だけど、あなたは償わなければならない」


伝えようとせんことは理解できる。が、それでも僕は首を左右に振ってしまう。


「いやだ……僕は……互いに納得の上で、右の道と左の道とに別れたかったのに……笑顔で……お別れを言いたかったのに……これは違う……酷すぎるよ……」


「あたしは笑ってるじゃない……宮田くんが笑って見送ってくれればいいのよ……」


「そういう事じゃない」と、小声で否定するも、素早く「いいえ」と返される。


「そういう事よ……右と左じゃない、あなただけ前に進む……それだけのこと……これで……あたしも……あなたに思い出される側になれる……空白(ブランク)の彼方で……あたしはあなたを見守っているから…………宮田くん……」


そして彼女の腕が両方とも砕けて散った。ブラウスの下にも厚みが無くなりつつあり、髪の末端からもちりちりと彼女が失われていた。


「……僕が……僕こそが愚者そのものだったんだ……僕の失言からすべてが始まっているのなら……ごめん……ごめん……村上……きみを……こんな目に会わせてしまって…………」


僕の目の前で、村上陽子はその輪郭すらも曖昧にしつつあった。それでも彼女ははっきりとした笑顔を示してくれている。


「……【フール】は決して負の暗示じゃない……あなたは()()()だったのよ……だからずっと袋小路だった……さぁ、正位置に戻って……シジフォスの罰だって、いつかは(ゆる)される時が来る……信じて……」


こんな状態でも村上は僕を鼓舞してくれる。そしてこんな状態のまま、去ろうとしていた。


「村上…………」


僕はただ、そんな彼女をずぶ濡れでズタボロの野良犬よろしく、すがるように見詰める事 

 しか 出来なかったの


  で あ



      る













































……屋上エリアへの鉄扉を開く。相変わらず重い。が、その先に拡がっている突き抜けるような碧空の開放感も、相変わらずである。


先客はフェンスにもたれかかって腕組みをしているひとりだけで、僕を呼び出した人物だった。


「お疲れ様、宮田主任」


萌黄班長もまた、変わらずの鉄仮面で迎えてくれた。


「お疲れ様です」と社交辞令を返す僕へ、萌黄班長は浅くゆっくりとうなづいた。


「お別れを言っておこうかと」


「……お別れ……?」


きょとんとする僕へ、班長は腕組みを解きながら目線を外し、そのまま空を見上げた。


「急な異動辞令で、今日中に九州支社へ戻らなきゃならなくなったのよ」


「……今日?……今日中ですか……そんな無茶苦茶な話が……」


困惑する僕だったが、当の班長は視線を上空に泳がせながら「ほんっと、やれやれよね。永いお別れを言わなきゃならないのは私の方だったって訳」と、あっさり肯定した。素直に受け入れているらしい。


「どうして、そんな、急に……」


すると、上を向いていた萌黄さんの両の瞳が『すとん』的に正面を向いた。僕を捉える。


「役目を終えたから……かな。用無しになったってこと。【ネタバレ士(パンドーラ)】の資格も剥奪されているっぽいし」


管理職としての能力を見限られたから……という訳ではないらしい。疑う余地もない。シナリオだ。萌黄さんもまた、翻弄されているひとりなのである。


「プロヴィデンスさんの滞在時間には限りが有り、退場は規定路線だった。だから私に与えられた仕事は、その場にあなたを立ち会わせるお膳立てをすること。それによってあなたに変化をうながす、というのがこのシナリオの主な目的だったはずなんだけどね……彼女の幕引きを契機として一旦リセットが掛かり、宮田主任の記憶を上書きした状態でリスタート……って筋書きだったはずなんだけれど、新しいチュートリアル、無かったでしょ? どうやら私の知らないところで改竄(かいざん)されているみたいで……はてさて、裏で何が起こっているのやら」


と、萌黄班長はわざとらしく嘆息してみせた。


「……もはや私には先のことを読むことは出来ない。これから何が起こるのか、何が待っているのか、宮田さんが自ら進んで確かめるしかない。自分が何をするべきか、何を成すべきか、理解していますか?」


「もちろんです」と、僕は億せず退かずに即答した。


「……ほぅ……」と、萌黄さんは何やら感心したような口振りを示し、少しだけ口角を緩めてみせた。


「……なるほど……憑き物が取れたっていうか、アルカナが正位置になったって事かな……効果は絶大でしたと……もう袋小路(デッドエンド)には逃げ込まない?」


悪意の感じられない問い掛けではあったのだが、僕は安易にうなづいてみせる事をなんとか控えた。


「それはわかりません。僕は弱いですから。くじけて決意が後ろ向きになることも多々あるかもしれない。それでも、自身の悪意が招いた結果から目を逸らすこと、それだけはもう繰り返しません。約束します、萌黄班長」


「そう……」とだけ短く答え、そして萌黄さんはふわりという感じにフェンスから背中を浮かせた。そのまま、一瞥もくれずに僕の横を通り過ぎる。あわてて振り仰げば、彼女の澄んだ声だけが、優しく僕の耳朶(じだ)をくすぐった。


「……御機嫌よう、宮田さん……」







本日の仕事を終え、夕刻の繁華街を僕はとぼとぼと歩いていた。


雑踏。喧騒。黄昏。


琥珀に染まる繁華街。随所でネオン管やら街頭LEDビジョンやらが奏でる原色と、黄金の光彩が入り混じる混沌の街並み。そんな渦中の雑然とした人混みにまぎれ、僕は脚を引きずりながらに駅舎へと向かっていた。後から来たヒト達がどんどん追い抜いて行く。構わない。僕は僕の歩みでしか進めないからである。


何より鈍重な動きの理由は明白で、思考の大半をとある案件に支配されており、正直脚の運びのおぼつかなさ等どうでもよかったのである。


実はあの後、萌黄さんから一本のメールを頂戴していた。







宮田さんへ


あるいはすでに気付かれているのかも知れませんが、彼女に再会できる手段がひとつだけ有るように思われます


全人類を創り直した後、彼女をヒトとして手直しし、最後に宮田さん自身をヒトとして再構築する


こうすれば、ヒトの世界にてあなたは彼女に再び会うことができます


もちろんその前にはすべてのヒトを創り直さねばならないのですから、その手間は莫大で膨大にしてはなはだ甚大です とてつもない作業量です


でも、あなたはそれに向かってすでに歩き出している 袋小路を後にしている その様に考えます


その永き永き旅の果てに、宮田さんの安らぎの場所がありますように


心よりお祈り致しております








全人類の悪意の浄化。


……いや、気が遠くなるなんてレベルの話ではない。無理である。


もちろん、やらない訳では無い。実践には移行している。取り掛かってはいるのだが、目標設定があまりにも壮大が過ぎる。



『 詫びるというのは言葉だけでは半分、行動が伴って初めて成される…… 』



……これは誰に言われたことだったか……よく思い出せ無い。もはや頭の中はぐちゃぐちゃだった。


僕は途方に暮れるしかなく、必然、脚は鉛の如くに重くなっていたと……つまりはそういう背景なのであった。




…………と。



その時である。



ふと、僕は背中を『どん』と蹴っ飛ばされた……ような気がした。思わずバランスを崩しかけたが、なんとか踏みとどまる。


振り返る。


どうやら抜かれまくって、いつしか僕は集団の最後尾になってしまっていたようだ。背後には誰もいない。


……いや、しかし、それでも僕は蹴られたのだ。そう思う。いつものように、上から目線の君に。





  開き直ればいいじゃない


  踏みとどまんなさいよ、逃げんな


  現状がどれだけ悲惨でも泣き喚いたりすんな、みっともない


  いつまでも雨に濡れた仔犬じゃないでしょ いい加減にキャンキャンじゃなくて わんわん吠えなさいよ…………





……そうだよな……


言葉使いは悪く辛辣で、いつも僕の心を土足でずかずかと踏みにじってくれた君。


でも、そうしながら、いつも僕に発破をかけてくれていた君。




贖罪に袋小路はありえない。




ちょっとだけしんみりして、でも、僕は再び前を向いた。


歩きだそう……としたその時、真横の店に気付く。


あろうことか、そこはいつものラーメン屋だったのである。


ひと呼吸の間ほど逡巡。でも、結局は暖簾(のれん)をくぐって引き戸を開けた。カウンターの中には顔馴染みの店主。目が合うや「いらっしゃい」と、景気の良い声掛けで迎えてくれた。


しかし、彼の表情に戸惑いが淡く(にじ)んでいるのもまた見て取れた。常連ゆえの違和感を抱かれたのだろう。()()()()()()()()()


「何名様で?」


同じく戸惑って、でも、ぎゅっと拳を握ってから、僕は店内に脚を踏み入れた。後ろ手で引き戸を閉じ、退路を断つ。


その上で、店主へと告げた。


覚悟を。





「  ひとりです  」




















【   〼】



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