ストレングス 【0と8】
筑紫野さんは敏腕である。
若い身空ながらに輸送課係長代行という役職にあるが、彼女と業務を共にしたのならばその理由も納得至極、誰もが舌を巻く働きぶりなのである。機転が効く、という枠では到底収まらない飲み込みの速さとカンの良さ……からの潔い決断。颯爽と駆るフォークリフト作業も堂に入っており、彼女はするすると仕事をこなし成果は上々、高評価を累々と積み上げ、今や本社工場にて将来を嘱望される人材として脚光を浴びていた。
そんな彼女もご多分に漏れず、“無くて七癖”はしっかりと備わっていて、意外な素顔を垣間見せてくれたりする。
筑紫野さんは異世界転生多目的研究会・通称【袋小路】の会員なのである。秘密結社めいた香ばしい名の集いではあるが、フタを開ければレクリエーションの一環として会社公認の文化的同好会に過ぎない。活動に対して認められている特権は、せいぜい空いている会議室の使用を年に数回だけ許されているぐらいしかないが、それでも何人かのもの好きが在籍している。かくいう僕もそのひとりであり、彼女とはそういう意味での知り合いなのであった。
【袋小路】でも当初の彼女はかなり異質で、入会希望を伝えて来た時、いわゆる『リアルが充実しているヒト』がどうしてウチに?……的な疑問が居合わせた全員の頭上に必然として浮かんだ。
「生き方に満足はしていますし、自負もあります。それでも日常、仕事とはいえあんなものを創っているので、何気ない事に息苦しさを覚えない訳じゃない。ここではないどこかに憧れる気持ちは、私の中にもしっかりと息づいています」
まるで臆せず答える彼女を、僕らはもちろん諸手を挙げて歓迎した。
そんな筑紫野さんと、本社々屋二階の渡り廊下で偶然にも出逢ってしまったのである。
「あら宮田さん」
訊けば部下が出荷品を積載平台ごと転倒、現場での検査課による製品チェックの付き添いの後、同課役職者へ謝罪を兼ねての報告からの帰りとのことだった。
「電話連絡で良かったのでは」と僕が問えば、彼女はふるふると首を横に振ってみせた。
「時代錯誤と言われてもね、ここはキチンと筋を通しておかねばと私には思えるのよ。下げる時にはしっかりと頭を下げる。詫びるってのは言葉だけでは半分なのね、行動が伴って初めて成されると。うん、宮田さんが言いたい事はわかってる。不器用です」
「大変ですね」と労えば、筑紫野さんは浅いため息を漏らした。
「それも仕事だから。もう慣れちゃった」
「【袋小路】の方はどうです? 前回はじめての会合でしたけれど」
「楽しいです。迷いを飼い馴らせないのは私だけじゃないんだ……って思える。職場とは異なる仲間意識で、なかなか斬新です」
……【袋小路】は弱さで繋がっている仲間ですからね……とはもちろん言えず、「気に入ってもらえて何よりです」と、愛想よく答えた。
最初から感じてはいたが僕とは異なり、この方は裏表の落差が目立たないようだ。自信が搖るがない。
後悔や恥辱がとぼしい生き方って、どれほど心地良いのだろうか……まるで想像できない自分がいる。僕にはまるで縁遠い風景であり、それこそ異世界そのものである。
そんな具合に僕がいつもの自虐めいた自問自答を繰り返していると、彼女が不意に窓辺へ移動、チョイチョイと手招きをする。寄ってみれば、併設されている平屋建て本社工場のその軒先を指差す。
「ほら、あそこ。ツバメが巣を作っていてヒナが孵っているんだけど、見える?」
言われるままに筑紫野さんの指先を追えば、なるほど、ヒナが雁首を並べているのが見て取れた。
「トリ好きなんですか」
「ヒナって可愛いじゃない。へちゃむくれで。時々こちらをニコってさせてくれる」
「……でもアイツらの主食って虫とか蟲とかで、主にムシですよ」
すると彼女はちょっと眉間にシワを寄せた。
「それはやだ……宮田さんってさ、時々ヒトが変わったみたいにいじわるな言い方になるよね。どうして? 別の人格の席を所有しているヒト?」
……それは村上なにがしなる人物の影響なのです……とは言えず、「あははは」的な曖昧な笑いでごまかした。
すると、筑紫野さんが柔らかい感じに目を細めているのに気付いた。巣を眺めながら、優しい口調で彼女が言う。
「でもね、彼らを見てるとああいう風に親の帰りを待っているんだなぁ……ってのを思い出させてくれるじゃない。よし、私も頑張ろうってなるのよ、うん」
いきなりの告白に、僕はただ面食らうだけだった。
「え、お子さんがいらっしゃるのですか」
既婚だったのか。初耳……なのだが、いや、待て、独り身で子育てをしている可能性もある。
軽くうろたえる僕に対し、筑紫野さんは「さて、どうでしょう?」と、不敵に前髪をかき上げる。意地が悪いのはお互い様のようだ。
露骨に動揺し、僕は二の句を継げないでいた。訊ねてはみたい。しかし、他者のプライベートに踏み込むのは、なかなかどうして躊躇われる。
結局その疑問を問う勇気は湧いて来なかった。僕には無い処世術なのである。
僕が筑紫野さんの生き方に惹かれていたのは、その真っすぐな力強さだ。彼女は正しく清々しいほどに前しか向いていない。気苦労は尽きず、たまには異世界転生なんぞを横目にしたりもするのだろうけれど、これからも迷わず自分の生き方を信じて、素敵に進んでいく。生きて行く事を楽しめているのだ。
紆余曲折、あちこちにぶつかり行き止まりに脚を絡め取られてばかりの僕には、到底まねの出来ない生き方である。
彼女は敏腕だけではなかった。
「剛腕ですね、筑紫野さん。うらやましいです……」
ぼそり……と、そんな事をうっかりこぼしてしまった僕だったのに、振り返った彼女は一瞬だけ目を点にして、それからやんわりと微笑んでくれた。
「腕が太いみたいな言われ方なんですけど」
僕は慌てて捕捉。「生きる姿勢が、です」
わかっていますよ、と彼女。「凹んでばかりいても仕方ないじゃない」
「僕はしょっちゅう凹んでます」
「気の持ちようだと思うけどな」と、筑紫野さんは小首をかしげた。
「……ねえ、宮田さんには何気なく思い出してしまうヒトっていないの?」
僕が訊けなかった私的な事を、彼女は実にあっさりと口にした。やっぱりヒトとしての器が違い過ぎる。
「あ……いえ」
素直に否定。筑紫野さんは「ふーん……」と、少しだけ考えてから、そっと付け加えた。
「……そっか。だったら宮田さんは思い出される側なのね」
彼女に悪気が無いのは明白ではあったのだが、正直なところ、何を言われているのか僕にはさっぱり理解出来なかったのである。
……思い出される側に……何か利点とか特典とかがあるって事なのか……
……うむ、飲み込めない。首肯できない。
この方が観ている異世界と、僕が欲している異世界は相容れない。その溝は永遠に埋まらないのだろうな……ただ、そんな事だけを僕はぼんやりと考えていた。
※
その夜、村上陽子から『ラーメンをおごられてやってもいい』という謎のメールが送られてきた。意味がわからない。しかし、出掛けるしかない。
いつもの店で合流し、いつものカウンター席に並んで腰を下ろす。給料前のなので大盛りと全部乗せはやめてくれと頼んだのに、村上はのうのうとラーメンに半チャーハンを付けた。いつか面の皮の厚さを測らねばならない。
何やら自分がせっせせっせとエサを運んで来るだけの親ツバメのように思えなくもなかったが、いつもの事なので仕方がない。
「……で? 何か急用なのか?」
しかし、彼女は眉の一筋も動かさずに答えるのである。
「別に。何も無いわよ。今日は朝から何かが奥歯に挟まっていたのだけど、それがもやしのひげだとわかったとたん、あ、そういえば宮田くんどうしたかなって思い出した。それだけ」
……いや、昼間に職場で会いましたよね? 一緒に仕事をしましたよね……というのが素直な反応だと思う。
しかし、村上の『思い出した』という言い草に、刹那で僕は思考の大半を奪われる始末となった。一重にそれは筑紫野さんの謎めいた問い掛け準拠であり、偶然にしては出来すぎである……が、やはり偶然なのだろう。僕の運は尽き、どうやら底が見えて来ているようだった。
さながら死に体みたいなざまで、村上へ問う。
「……村上がさ……その、僕の事を思い出すのってお腹が空いた時だけ? 他には?」
すると彼女は鼻で笑うのである。
「質問の意図はわかるけど、訊き方がキモい。わざわざおごられに脚を運んでいるあたしに、それは失礼過ぎないかしら?」
「……すいません」
そうこうしていると注文の品が届いた。れんげを持ち上げながら、村上がつまらなそうにうなづいた。
「問いに対する答えだけど、九割方はそうよ。なにか不満でも?」
蛇の生殺しである。僕は一縷の望みにすがる。
「それは喜んでいいのか……」
そこでようやく村上は首をねじり、「もちろんです」と、僕を正面から見た。
「理由はどうあれ、誰かに思い出してもらえるなんて幸せに決まってるじゃない。あなたは自らをずっと卑下しているけど、今のあなたの生き方は決して間違ってはいない。あなたはしっかりと社会に貢献し、誰かの役に立ち、何かの役に立っている。だからこそあたしは何よりの証左としてあなたを思い出した。そうでしょ?」
「搾取されているだけだよ」
「違う。寄り沿って生きている。あたしはそのつもり」
言うだけ言って、そして村上陽子は再び丼へと向き直り「いただきます」と手を合わせた。
【 ツヅキ〼 】