ワールド 【0と21】
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本項は同じ(ような)タイトルで公開していた掌編の再掲載となります(一部加筆訂正)。
彼女のつやつやとした滑らかな唇。そこから流れ出る諸々の説明という言の葉たち。すべてが甘美にして流麗、僕はただただうっとりと聞き惚れていた。
それはこの世界に関する基本的な情報とその解説なのであったが、何もかもが理想的だった。
実に素晴らしい。異世界とは、こうでなければ。
望んでいた通りで、非の打ち所がない。僕はもたらされる彼女の言葉に酔い、そして震えていた。
『……チュートリアルは以上です。お疲れ様でした』
自称・チュートリアル子の説明は、これにて終了となった。いよいよ僕の異世界転生生活が怒涛の開幕となるのである……というところだったのだが、どうやらまだ話は続くらしい。チュー子が何やら素敵で不敵な微笑を刻んでいる。さてなんでしょうかと問えば、オマケがあるとのこと。
『ただいま異世界オープン二周年を記念して、新規来訪者さま限定のウフフ的サービスを絶賛開催中なのでーす。先週までは最大ガチャ二億連だったのですけどね、あっという間に予算がなくなっちゃったので、今週からトッピング無料になりました。さて、ではどのスキルを盛られますか? 人気なのはソードスキルとか格闘スキル辺りですが、個人的にオススメなのは人たらしスキルですね、ウフフウフフ』
特に迷うでもなく、僕はすんなりと答えた。
「悪意マシマシで」
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どうせなら負の感情で固めたい。そのようにお願いしてみると、チュー子は奥からいそいそとカタログを持ってきてくれた。なんでも某楽園在勤の某ヘビが、知恵の実に関する無料トッピングの説明を故意に端折った疑いがあり、以降、冊子を用いた懇切丁寧な解説が業務として義務付けられたとのこと。裏方さんも大変である。では、さっそく拝見。
横暴・狡猾・嫉妬・残忍・残虐・冷酷・冷血・非道・陰湿・陰険・無情・非情・薄情などなど。
『あとは非常識とか無神経とか無作法とか傍若無人とか、まぁ比較的当たり障りのないものですね』
リストを眺めながら言うチュー子へ、僕は当然の質問を投げ掛けてみた。
「全部乗せって出来ますか?」
『あ、大丈夫です』
かくして要望のすべてを満たし、僕は異世界への扉の前へ立った。
と、背後からチュー子のささやき。
『でもデスネ、あのー……もし、これが異世界転生じゃなくて、人生の二巡目のはじまりだとしたら、どうします?』
もちろん、鼻で笑い返した。
「はい、問題ないです」
ノブに手を掛け、ゆっくりとそれをひねる。
「うんざりするほどそんな奴らばっかりでしたから。そのためのフル装備です」
そして扉を勢いよく開け放った。
新世界へ。
……さあ、今度は俺のターンだ……
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「……って夢をみたんだよ、昨日」
「末期ね、宮田くん。その足で入院しなさい」
……と、けんもほろろ。あいも変わらず村上陽子の言い草は酷い。血も涙もない。あんまりである。
仕事終わりに同じチームの面子で居酒屋にて反省会、それの解散後での、二人だけで訪れたラーメン屋においての一幕である。いつものカウンター席は先客で埋まっていたので、今夜は珍しく四人がけのテーブル席に差しで向かい合って腰を下ろした。
「疲れているのね、宮田くん。可愛そうを通り越して、すでにご愁傷様のレベルだわ。辞世の句は? もう準備しているのかしら?」
「……いや、特には……」
「負の感情てんこ盛りとか、変に悪者ぶろうとしているところが小物感満載で、微笑ましいほどに片腹痛いわ。戒名は? もう準備しているのかしら?」
「……いや、それも特には……」
「哀れね、宮田くん。死期を受け入れた老犬の目だわ。せめて、いつものように雨に濡れてぷるぷる震える仔犬の目を思わせてくれないかしら。あたしに失礼じゃなくて? ある種の冒涜なので謝罪を要求します」
「……すいません」
そこへ頼んでいたラーメンが到着した。店員さんが「おまたせしました。煮玉子二個入りワンタンチャーシューメン大盛りのお客様は……」と、トレイから一杯を持ち上げる。すかさず村上が「はい、あたしです」と挙手。
次いで店員さんは、村上が注文したものに比べると何とも質素な内容のラーメンを、僕の前にそっと置いた。
「さあさあ食べましょう、宮田くん。あたしはすべての飲食代は殿方の受け持ちだとかたくなに信じて疑わない主義なので、支払いは必然あなたの管轄となるのだから食べなきゃ損よ」
言うが早いか、村上の手の中ですでに割り箸が二つに割かれていた。
「ほらほら、卓上に並ぶこの無料トッピングファミリーの顔ぶれをとくとご覧あれ。すりゴマ・紅しょうが・刻みしょうが・すりおろしニンニク・ニンニクチップ・フライドオニオン・白髪ネギ・糸唐辛子・辛子高菜などなどと、一分の隙も無い万全の布陣じゃない。なんて愛らしい小瓶たち。ささ、御遠慮なさらずに。プライスレスなんだから」
そして彼女は備え付けの小さじを巧みに使い分け、自身の丼を念入りに仕立て上げてゆくのであった。れんげでスープを一口。満足気にうなずく。
「追い求めたカスタマイズの理想形だわ。刻みしょうがに傾向したピーキーなチューニングになったけれど、辛子高菜に頼らなかった英断は正解だったようね」
すると村上はすりおろしニンニクの小瓶を掴み、僕の丼の前へ置いた。
「好きなんでしょ、どかどか入れたらいいじゃない。周囲のヒトに気まずい? だから無様な小物なのよ。カンケーないじゃない。あなたのドンブリなのよ、宮田くんの責任で、宮田くんの好きにしたらいいのに」
「いや、でも明日も仕事だし、社会人として……その……」
「笑止。社会人の前にニンゲンでしょ?」
「……それはそうだけど……」
「狡猾だとか残忍だとか、そんな悪質な感情を上乗せするよりも、はるかに謙虚で博愛に満ちた選択ではなくて?」
……ニンニクを盛ることが博愛なのか……ものは言いようの極まった感に、僕はさらに無口になってしまった。
そんな僕を尻目に、村上はずるずると麺をすする。
幸せそうに目を細める。とても美味しそうだ。
……まぁ、いいか……
奇妙な安堵がほんの一瞬だけ胸に去来、でもすぐに駆け抜けて行った。常に息苦しくて、不愉快と不条理が層と重なったこんな世界ではあるけれど、そこであくせく働いているのはもちろん僕だけではない。こんなにも不躾な村上ですらその支配下でもがき、心身を削り取られながらも真摯に仕事へ打ち込んでいる。日々みんな一生懸命なのである。
ならば英気は必要、養わなければ。ちらりと目の前の小瓶を見る。
開き直れ。踏みとどまれ。現状がどれだけ悲惨でも泣き喚くな。その前に吠えろ。身構えろ。知恵をまわせ……
……誰のコトバなんだっけ、これは…………
思考は濁り、千々に乱れている。結論が出そうで出ない、このもどかしさ。どうした? どうしたい? 悩んだ分だけ試せばいいのに……
ニンニクの小瓶を前に、僕はただぷるぷると震えるだけだった、雨に打たれた仔犬のように。
でも、やがて少しだけ手が前に出た。恐る恐ると。
小瓶を取れるか取れないか。そこまで来た。もう少しだ。
……そうだ……よく考えたら……
……まだ……
一巡目じゃないか。
すると、すっ……と肩から力が抜けて、滑るように腕が前へ。指先が小瓶に触れた。
了解。僕のターンだ。
【 ツヅキ〼 】