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魔王でない魔王は力を求める  作者: 斗樹 稼多利
7/22

魔王でない魔王、格闘家を砕く


 外での走り込みから戻り、修業を続けている間も聞こえる嘲笑や陰口が全く気にならない。

 今、僕の頭の中を支配しているのは昼間に見た、大柄な大道芸人を圧倒した黒い髪と目の少年。

 いくら相手が大道芸人とはいえ、あれだけ体格の差があった相手を歯牙にもかけずに圧倒した光景が、幾度となく頭の中に浮かぶ。

 夕方になって野外演習場の清掃をしている間も思い浮かべてしまうほど、僕は彼の強さに魅入られている。

 明日は修業が休みだし、探してみようかな。

 今まで見たことが無い顔だから、他所から来たのかな?

 そんなことを考えつつ清掃を続けていたら、道場の門が勢いよく開かれて皆の視線がそっちへ向く。


「うっす、邪魔するぜ」


 足で門を開けたのか上げていた足を下ろし、悪びれも無く入って来たのは昼間の少年だった。


「なんだ貴様は。足で門を開けるとは、何様のつもりだ!」


 父上の高弟の一人が彼へ詰め寄る。

 だけど彼は態度を改めず、高弟の人を見て鼻で笑った。


「テメェみたいな雑魚に用はねぇよ。勇者の仲間だったっていう、ソウコクってのを出せ」

「なんだと!? 子供だからって、舐めた口を利くと容赦しないぞ!」


 口の利き方の悪さに高弟の人だけでなく、この場にいる全員が彼を睨んで嫌悪な空気が漂う。

 いや、全員じゃないか。僕は彼を睨んでいないからね。

 そんな彼に、双子の兄のソウテンが歩み寄る。


「お前、父上への挑戦者か? いるんだよな、お前みたいな身の程も弁えないバカが」


 父上が英雄として取り上げられて以降、入門者だけでなく挑戦者も数多く現れている。

 だけど誰一人として父上に敵う挑戦者はおらず、中には高弟の人に負けちゃう挑戦者もいた。


「しかも見たところ、俺とそう変わらないガキじゃないか。お前なんか、俺が相手してやるよ」


 構えを取るソウテンに、彼は興味が無さそうに溜め息を吐く。


「言葉が通じないのか? それとも言葉が理解できないのか? 用があるのはソウコクだけで、それ以外の雑魚には用がねぇ。さっさと失せてソウコクを連れて来やがれ」

「なっ!?」


 まるで相手にされていないことに、ソウテンの顔が真っ赤になった。


「馬鹿にしやがって! これでもくらえ!」


 拳を握ったソウテンが彼へ殴りかかる。

 だけど彼なら、あれくらい簡単に対処するだろう。

 ほら、あっさり受け止められた。

 しかも人差し指と親指で挟んで受け止められてる。


「なっ!?」


 ソウテンは驚いているけど、昼間のやり取りを見ている僕には、当然と思える光景だった。

 それにしても不思議だ。

 彼の横柄な態度や不遜な言葉遣いに不快感を覚えるどころか、ここからどんな力を見せてくれるかの方が気になっている。


「ったく。言って分からない馬鹿には、体で分からせてやるよ」


 苛立った顔になった彼はそう呟き、二本の指で挟んでいるソウテンの拳を押し潰した。


「ぎゃあぁぁぁっ!」


 骨が砕ける音の直後にソウテンが悲鳴を上げ、解放された手にもう一方の手を添える。

 砕かれた手は折れた骨が皮膚を突き破って飛び出て、ズタズタになった皮膚から大量の流血が地面へ流れ落ち、指が変な方向へ曲がっていた。

 周囲はその光景に表情を引きつらせて立ち尽くしたり、しりもちをついて震えたり、悲鳴を上げて後ずさりしたりしている。

 だけど僕は可哀想とか酷いとは思わず、彼ならそれくらいやるだろうと思っていた。

 双子の兄がやられたのに酷い思うだろうけど、紛れも無い事実だ。

 正直言って、今は兄の身を案ずるよりも彼の力をもっと見たい。


「俺の、俺の手があぁぁぁっ!?」

「手の一つや二つ程度でうるせぇぞ」

「がはっ!?」


 壊された手を押さえて蹲り、悲鳴を上げていたソウテンが蹴られて転がる。

 その光景に、周囲はようやくハッとして動き出す。


「ソウテン、しっかりしろ!」

「誰か師範を呼びに行け!」

「貴様よくもっ!」


 この状況下で周囲の反応は四つに分かれた。

 ソウテンの下へ駆け寄る、道場内にいる父上を呼びに行く、固まったまま動けない、そして彼へ立ち向かう。

 だけど彼へ立ち向かっていった人達はあっという間に蹴散らされ、壁に叩きつけられたり地面を跳ねて転がったりする。

 その中にはこの道場で五本の指に入る高弟が三人もいたのに、まるで相手にされずにやられて、腕や脚が変な方向へ曲がってしまった。


「な、なんなのよあの子は」

「とても俺達が勝てる相手じゃねぇ……」

「師範はまだなのかよ!」


 ソウテンの下にいる人達や、固まったまま動けない人達が言う通り、僕達が彼に勝てるはずがない。

 こうして彼が戦う姿を見ていると、昼間の出来事はちょっとした遊びのように感じる。

 いや、今の戦いですら彼にとっては遊びなんだろう。

 やがて立ち向かった中の最後の一人を裏拳で壁へ叩きつけると、かったるそうに肩を回す。


「おいコラ、しっかりしろや。準備運動にもならねぇぞ」


 あれでも準備運動にならないなんて、やっぱり彼は強い。

 本気で戦ったら、どれだけの力を発揮するんだろうか。

 彼の力を、強さを、何が何でも見てみたい。


「何事だ!?」

「こ、これはっ!?」


 ここでようやく父上が登場だ。

 残った高弟二人と共に道場から姿を現し、慌てる二人とは違い落ち着いた様子で彼へ目を向けた。


「……君がやったのかね」

「見りゃ分かるだろ。テメェがソウコクか?」

「いかにも」

「だったら問答無用、勝負だ!」


 殺意の籠った笑みを浮かべ、初めて構えを取った彼の両手が魔力に包まれ、鋭い爪がある指を五本生やして駆け出す。

 父上との直線上にいる門下生達を、まるで目障りな邪魔物を払いのけるように爪で切り裂きながら吹っ飛ばし、返り血を浴びながら進む。


「このガキがっ!」

「よくも!」


 迎え撃つため静かに構える父上と対象的に、残る高弟二人は激高しながら彼へ向かっていく。

 でも、無駄だと思うよ。


「邪魔だ!」

「ぬあっ!?」

「ぐあぁっ!?」


 ほら見たことか。

 振るわれた爪の一撃で一人は腹を、もう一人は胸元を切り裂かれて地面を転がる。

 彼はそのまま父上へ迫り、右手の爪を突き出した。

 父上はそれを右へ跳んで避けると反撃の拳を繰り出し、彼はそれを左の掌で受け止めると、しっかり握って父上を片腕で放り投げた。


「師範!?」


 心配した誰かが叫ぶけど、父上は問題無いとばかりに空中で体勢を整えながら着地して、着地直後を狙って迫っていた彼の爪を手首を掴んで受け止める。

 顔へ向けられた右手の爪だけでなく、それを目晦ましにしての腹部への爪も、同様に手首を掴んで受け止めた。


「ほう、やるじゃねぇか」

「無礼者のわりに、力はあるようだな」


 そのまま行われている力の押し合いはほぼ互角。

 いや、年齢を考えれば彼の力はやはり凄い。

 自分より大きくて年上で、なおかつ英雄と呼ばれている父上と互角の力が有るんだから。


「おぉっ! さすがは師範だ!」

「あれを受け止めるなんて」

「お前達、そんなこと言ってる暇があったら、怪我人を早く病院へ運べ!」


 父上の戦いぶりに感心している人達へ、怪我人の応急手当てをしている人が叫ぶ。

 でも僕はそっちへ行かず、彼の力を見逃すまいと一挙手一投足を見守る。

 そう、父上ではなく彼の力を見るために。


「駄目だ、外へ出れないぞ! 見えない壁みたいなのに阻まれて、門は開かないし塀を越えるのも無理だ!」

「なんだと!? どういうことだ!」

「知らないわよ!」


 外へ出られない? まさか、これも彼がやったのかな?


「小僧、お前が何がしたのか?」

「まあな。せっかくの獲物を逃がさないためになぁっ!」


 そう返すと蹴りを繰り出し、父上が手首を離して回避したことで二人の距離が開く。

 周りは助けを求めて道場の外へ呼びかけたり、壁を叩いたりしているけど、外からの反応は無い。

 原理は分からないけど、外へ出れないようにしているぐらいだし、音を防ぐ手段も講じておいたんだろうね。


「外へ出たけれりゃ、俺を倒すことだな!」


 つまりここから出て怪我人を助けるには、彼を倒すしかない。

 嘘偽りだと突っぱねることもできるだろうけど、嘘は言っていないと思う。

 どうやら父上もそう思ったようで、目つきが真剣なものになった。


「……君のような子供を倒すのは気が引けるが、そうも言っていられないか」


 父上が本気になった。

 弱い僕でも、それくらいは感じ取れる。

 当然、彼も察したようで楽しそうに指を動かしている。


「楽しませてもらうぜぇっ!」


 二人の距離が再度詰まり、至近距離での激しい攻防が始まる。

 互いに素早い動きで攻撃を繰り出しながら、それを回避するか防御している。

 一体どれだけの反射神経があれば、あの速さに反応して戦えるんだろう。


「なんなんだ、あの子供は」

「師範の動きについていってるじゃない」


 自分達が辿り着けていない領域へ、彼が足を踏み入れていることに周りは驚いている。

 でも僕の直感が正しければ、彼はその領域すら越えていると思う。

 激しい攻防を繰り広げる二人は、やがて拳同士がぶつかり合った後で一旦距離を取った。

 すると双方の差は歴然と現れていたのに気づく。

 一見すると互角の戦いだったように見えても、服の所々が切れたり破れたりして流血して息切れもしている父上に対し、彼は息切れや傷どころか衣服すら切れていない。

 僕達には見切れなかっただけで、あの攻防は彼の方が勝っていたようだ。

 それに気づいた周囲は、不安や困惑といった様子でざわついている。


「どうした、英雄ってのはこの程度か?」

「確かに君は強い。だが大人を馬鹿にするのは止した方がいいぞ、そして私を侮るなよ。オールストレンジ!」


 自分の能力を強化する魔法、自己強化魔法を唱えた父上の体が淡い光に包まれる。

 しかもあれは身体能力だけでなく、身体機能や肉体の耐久力も大幅に強化するという、自己強化魔法の極みとも言える魔法。

 優れた身体能力と卓越した技術に加え、あの魔法を使えるからこそ父上はこの国最強の格闘家であり、勇者の仲間の一員として選ばれた。

 だけど不思議だ、それを使った父上に誰もが勝利を確信しているのに、僕はそう思えない。


「ふん、そうこなくっちゃなぁっ!」


 ああ、やっぱりか。

 彼の体も身体強化をした証である発光に包まれた。

 淡く光る父上とは違う、暗くて畏怖を感じる光なのに目が離せない。

 しかも魔法を唱えることなく身体強化したから、父上ですら目を見開いている。


「なんだそれは……。お前は何者だ」

「何者かどうかなんて些細なこと、気にしてる場合か!」


 彼が飛び掛かる。

 父上は振り抜かれた拳を十字に組んで腕で防いだものの、そのまま彼に押されて地面に跡を残しながら壁へ叩きつけられ、体が壁へめり込む。


「師範!?」


 壁という支えを得て、ようやく彼を止められた。

 拳を受け止めている父上の両腕は震え、どうにか防いでいるのは目に見えて明らかだ。

 だけど父上はそれを堪えつつ、反撃の蹴りを彼の股間目掛けて繰り出す。

 彼がそれを後ろへ跳んで避けると、一気に迫った父上と再び近接距離での応酬に入る。

 でも今度は、さっきのような一見互角の攻防じゃない。

 応酬に見えるけど攻撃のほとんどは彼で、父上はそれを防いで避けるのに必死になっている。

 たまの反撃すら軽く捌かれ、またすぐに彼の猛攻が始まる。


「オラオラ、オラァッ!」

「ぬぅっ!?」


 彼の魔力による爪が父上の腕を切り裂き、返り血が彼の顔に掛かる。

 普通なら目に入らないよう顔を逸らすとか、何かしらの反応をするものだけど、彼は顔に返り血を浴びながらも攻撃の手を緩めない。

 それによって彼の笑みに籠められた殺意がより強調され、あの父上ですら動きが一瞬止まった。


「どりゃあっ!」

「がっ!?」


 一瞬の隙をついての回し蹴り。

 脇腹を思いっきり蹴られた父上の体は吹っ飛び、地面を数回跳ねて壁へ叩きつけられる。

 普通ならそこで父上の方を見るだろうし、周りはそうしている。

 だけど僕の目は彼に釘付けで、一瞬たりとも父上の方を向こうとしない。


「へっ。英雄と言われていても、この程度の力しかないのか」


 頬に付着した返り血を拭う彼の姿から目を外せない。

 やっぱり彼は強い。

 見た目以上に年齢を重ねていることが多いエルフでもないのに、どうやってあの若さであれだけの力を得たのか気になるし、僕自身が彼の力に魅入られている。

 あれだけの力が欲しい、何を犠牲にしようとも、人の道を踏み外そうとも、彼のような強い力が欲しい。

 欲しい欲しい欲しい欲しい!

 これほど明確に欲しいものが定まったのは初めてだ!

 僕が欲しい強さは、求めている力は彼のような力だったんだ!


「どうした、もう終わりか?」


 ニヤニヤする彼に対し、ボロボロになった父上へよろめきながらも立ち上がる。

 確かに父上は強い、だけど彼はもっと強いから敵わない。

 勝機があるとすれば、オールストレンジを越える自己強化魔法を使うこと。

 自己強化魔法の極みと言われているこの魔法を越えるものなんて、普通に考えたら無い。

 でも実際には存在している。

 魔力とは別の物を消費して強化を施す、禁術とも言える自己強化魔法が。


「そんな訳があるまい。まさか魔王以外に、これを使うことになるとはな。ライフエクスチェンジストレンジ!」


 父上の体を包む淡い光が白く輝きだす。

 これが父上にとって真の切り札。

 自己今日魔法の中でも、その危険性から禁術扱いされているライフエクスチェンジストレンジ。

 使用者の生命力を消費して、さらなる強化を行う魔法だ。

 だけど生命力を消費するということは、寿命を削るということ。

 だからこそ禁術扱いされている。


「ほう、そんな魔法を使えるのか。まだまだ楽しめそうだな」

「ぬおぉぉっ!」


 表情を崩さない彼に父上が飛び掛かる。

 命を削った強化は凄まじく、残像しか見えない。

 でも彼はそれに反応して、父上の右拳を片手で受け止めた。


「なっ、バカな……」

「さっきよりちったぁ強くなったようだな。だが!」


 受け止めた手で父上の拳が握られ、そのまま握り潰される。


「ぐあぁぁぁっ!」


 解放された右手は二本指で押しつぶされたソウテンとは違い、掌に覆われて潰されたからもっと酷い事になっている。

 辛うじて手の形を残してるけど、間違いなく骨は粉砕されているだろう。


「この程度で俺に勝とうなんざ、甘いんだよ」

「このぉっ!」

「だから甘いってんだよ!」


 痛さで体勢を崩しながらも、父上は左拳を繰り出す。

 彼はそれを手首と肘の真ん中を掴むと、そのまま腕を握り潰した。


「ぎゃあぁぁぁっ!?」


 あの父上が悲鳴を上げている。

 右手は握り潰されて原型を留めておらず、左腕は肘と手首の間で折れて変な方向へ曲がっている。

 剣士は剣が折れても代わりを用意できればなんとかなるけど、格闘家はそうはいかない。

 手が砕けて腕が折れようとも、用意できる代わりなんて無いんだから。


「ば、バカな、そんなはずがない。耐久力も強化されたのに、握り潰せるはずがない」


 脂汗を垂らす父上が困惑するのも無理はない。

 だけど違うよ、父上。

 オールストレンジであろうとライフエクスチェンジストレンジであろうと、絶対に破られない無敵の耐久力を得る訳じゃない。

 単に彼の力が強化された肉体の耐久力を上回った、ただそれだけなんだ。


「両手が使えない格闘家とは、無様だな」

「うわあぁぁっ!」


 自棄になったように叫びながら右脚で蹴りかかる。

 でも二の轍を踏むどころか、三の轍を踏むよ。


「おらよ」

「ぎゃあぁぁっ!」


 足首辺りをあっさり受け止められて、また握り潰された。

 両腕と片脚を壊された父上は悶絶して醜く地面を転がり、惨めな姿を晒す。

 そんな姿に周囲は現実を受け止めきれず、崩れ落ちて呆然としたり、嘘だと呟きながら膝を着いたり、彼の強さに恐怖して震えたりしている。


「なかなか楽しかったが、ここまでだな。そんな無様な姿になっちゃ、もう戦えねぇだろ」

「ま、まだだ……」


 闘志が衰えていないのはさすがだけど、残っているのは左脚一本。

 もう立ち上がるのも困難なのに、まだ戦うつもりだ。

 這うように彼へ近づいていき、見上げながら睨みつけている。


「無様であろうと、みっともなかろうと、私はまだ戦える!」


 左脚だけで立ち上がりながら、顔面へ右の肘打ち。

 正に意地の一撃が彼を捉えたように見えるけど、やはり受け止められていた。

 そして父上は四の轍を踏んだ。


「ああそうかい」

「があぁぁぁっ!」


 最早攻撃をする度に、父上の体は壊されていく。

 右肘を壊されて再び地面へ蹲ると、溜め息を吐いた彼が左肘と両膝を踏む。

 その度に骨が砕ける音と父上の悲鳴が響いた。

 周囲には絶望感しかなく、彼の強さに魅かれている僕を除く誰もが座り込んでいる。


「これでもう攻撃の手段はねぇな。ああいや、まだこいつがあったか」


 息も絶え絶えになっている父上の傍にしゃがんだ彼は、まだだと呟く父上の顎に手を添えて、目を見開く父上の顎を砕いた。


「――――!」


 声にならない悲鳴。

 彼が今ので父上の最後の武器となる牙、すなわち噛みつきを封じた上に戦意まで奪った。

 事実、顎を砕かれて喋れない父上の目は恐怖に染まって、震えながら彼を見ている。


「これで残ってるのは頭突きくらいだな。どうする? やってみるか?」


 楽しそうに問う彼と、絶望に包まれる父上。

 できるはずがない、だってそうしたら今度は頭を砕かれるかもしれないから。

 戦意を喪失していなければやったかもしれないけど、今の父上にそれをやろうという気概も意思も見えない。

 負けだ。これ以上ないくらいの完敗だ。

 それを理解している父上は惨めさからか情けなさからか、涙を流している。


「どうやら、もう戦う気は無いようだな」


 彼が立ち上がる。

 英雄と呼ばれている父上を圧倒したあの力が、たまらなく羨ましい。

 力が欲しい。僕も父上を圧倒できるぐらい強い力が欲しい。

 力があれば平穏な日々を送れたはずだとか、そういうのはもう関係無い。

 僕は彼の力に魅せられ、彼の力を羨み、彼のような力をただただ欲する弱者だ。

 あれだけの力が得られるのなら、家族だろうとなんだろうと犠牲にしてでも手に入れたい。


「だったらお前が生き延びている価値はただ一つ、俺の力の糧となるために喰われることだけだ」


 邪悪な笑みを浮かべた彼がそう呟いた瞬間、彼の背から巨大なミミズをおぞましくしたようなものが、何本も生えてきた。


「――!」

「ついでだ、他も喰らっておくか」


 先端に口だけがあるそれが父上へ襲い掛かり、生きたまま喰らっていく。

 その光景に皆は逃げようとしたものの、外へ出られないままだから逃げられず、次々に喰われていく。

 さらに道場内部にまで伸びていき、中にいる人達も喰っているのか悲鳴が響く。

 ああ、どうやら彼は人にあらざる存在だったようだ。

 やっぱり人の道を捨て、何もかもを捨てないとあれだけの力は手に入らないのかな。

 そう思った僕にも巨大な口が迫り、次の瞬間にはその餌食になった。


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