魔王でない魔王、竜を喰らう
チャニーズ帝国の西方には、巨大な山脈がそびえ立っている。
そこは死の山脈と呼ばれており、近づくのは命知らずか自殺志願者くらいだと言われている。
というのも、そこには数えきれないほどのドラゴンが住んでいるからだ。
その頂点に立つ山脈の主、ブラックドラゴンは山頂でうたた寝をしていた。
(実に退屈だ)
多くのドラゴンが住む山脈に近づく者はおらず、仮に命知らずな愚か者達がやって来ても、自分が動くほどの相手だったことはこれまでに二度しかない上に、そのどちらもブラックドラゴンにとっては暇つぶしにすらならなかった。
そんな寝る以外にすることがないブラックドラゴンは、最近よく昔の夢を見る。
生涯で唯一の心躍る戦いである、ここに住み着く前に遭遇した魔王との戦いの記憶。
引き連れた魔族とドラゴンも含め、双方が力を尽くしての戦いは引き分けに終わり、魔王は後の個人的な再戦を提案した。
ところがブラックドラゴンは提案を断り、生き残ったドラゴン達を連れて飛び去り、この山脈に住み着いた。
当然ながら、それ以降は魔王と会っていない。
断った理由は、戦いの中で感じた魔王に秘められた潜在能力。
今は互角でも再戦の時にそれが目覚めていたら、自分は確実に死ぬ。
だからこそ提案を断り、魔王とは二度と戦わないと己に誓った。
それから数えきれないほど長い年月が経過して、何故最近になってあの頃の記憶を夢に見るのかは疑問に思ったが、唯一の心躍る戦いの記憶に浸って良い気分で眠るのは悪いものじゃない。
そう思ったブラックドラゴンは、今日もその夢に浸って眠る。
しかしこの日、長く送ってきた日常は壊れることになる。
『ブラックドラゴン様、ワイバーン共から人間が来たとの報告が』
成竜にはなっているものの、まだまだ未熟で若輩なドラゴン、灰色の鱗を持つグレードラゴンからの報告にブラックドラゴンは目を半開きにして表情をしかめた。
せっかく良い思い出に浸っていたというのに、無粋な奴だと。
『また命知らずが来たか。いつも通り、ワイバーン共に任せておけ。駄目ならお前達で相手しろ』
ワイバーンはドラゴンではないが、ブラックドラゴンを始めとしたドラゴン達に屈してその配下に入り、食事集めや雑魚退治に従事している。
やってくる命知らずのほとんどはこのワイバーン達によって、退けられるか命を落とし、たまにいるワイバーンでは敵わない相手をドラゴン達が始末する。
そんな日々を長く送り続けたために、わざわざ報告するなと思いながら返事をした。
ところがグレードラゴンからの報告はまだ続きがあった。
『ワイバーン共はほぼ全滅しました! 生き残りから報告を聞いたドラゴン達が迎撃に出ましたが、そちらも一方的に蹂躙されているのです!』
『……なに?』
半開きだった目が見開き顔が上げる。
これまでにドラゴン達が苦戦したことは何度かあったが、一方的に蹂躙されていると聞くのは初めてだった。
『人間はどれだけの数で来たのだ』
『それが、たった一人なんです』
『一人だと? 何者だ、そいつは』
『やたら強い人間のガキです。報告では、見たことも聞いたこともない力を使うとかなんとか』
人間の子供が一人で乗り込んできた上に、ワイバーンどころかドラゴンも蹂躙している。
そんな普通じゃない事態が起きているにも関わらず、ブラックドラゴンの胸は高鳴り気分は高揚していた。
ずっと送っていた退屈な時間が、久々に紛れるかもしれない。
魔王以来の強敵と出会い、戦えるかもしれない。
久方ぶりの戦いの気配に体を起こし、自分より三回りは小さいグレードラゴンへ尋ねる。
『そいつはどこにいる』
『山脈の南側から、こちらへ向かっています』
教わった方角へ顔を向けたブラックドラゴンは、そこにとても強い気配があるのを感じ取る。
正確な強さまでは測りきれないものの、ワイバーンやグレードラゴンが束になって掛かっても相手にならないくらい強い気配が、そこにはあった。
『私が行こう』
『ブラックドラゴン様、自ら行かれるのですか!?』
『この気配、お前達でどうにかなる相手ではない』
そう告げるたブラックドラゴンは翼を広げ、気配を感じた方へ向けて飛び立つ。
やがて到着した先で行われていたのは、まさに蹂躙。
それを行っているのは黒い髪と目をした人間の子供で、自身より遥かに大きく、圧倒的に数で勝るグレードラゴンを次から次へ葬っていく。
振り下ろした爪が片手で受け止められて地面へ叩きつけられ、上空から放たれたいくつものブレスを片腕を振り抜くだけで弾き返し、別のグレードラゴン達がそれに撃ち抜かれて墜落してく。
そうやってここまで進んで来たのか、後方には多くのドラゴン達やワイバーン達の亡骸が無数に転がっている。
(なるほど、確かに強い)
直に見て改めて実感したブラックドラゴンは、仲間がやられても襲いかかろうとしているグレードラゴン達を鎮めて、自身が相手をするために咆哮を上げようとした。
ところがその直前、子供――クーロンの視線がブラックドラゴンとぶつかり合う。
強大な相手と目が合ったというのに、その表情に恐怖や絶望といった感情は全く無く、むしろ好奇に満ちていた。
それに気づいたブラックドラゴンは上げようとした咆哮を止め、笑みを浮かべる。
(面白い)
過去に自分を見て、楽しそうに笑っていたのは魔王だけ。
段々と血が滾ってきたブラックドラゴンは、山脈全体が震えるほど強い咆哮を上げる。
響き渡る轟音と肌を刺激する空気の振動にグレードラゴン達は戦闘を止め、一斉に上空を見上げた。
『ブラックドラゴン様!?』
『ブラックドラゴン様がお出でになったぞ!?』
、この山脈の主にして、自分達の王とも言える存在の出現にグレードラゴン達は慌てる。
人間の子供相手に蹂躙され、無様な姿を晒してしまったことを咎められるのではと思い、どうするべきかと言い訳を考える。
しかしブラックドラゴンは咎めるどころか、笑みを浮かべて告げた。
『下がれ。そいつは貴様らが敵う相手ではない』
『し、しかし』
『聞こえなかったか? 下がれ』
『は、ははっ!』
命令に従ってグレードラゴン達は大きく距離を取り、その場には地上で仁王立ちするクーロンと、上空で羽ばたくブラックドラゴンだけが残る。
「ナンノ、ヨウ、デ、キタ」
拙いながらも喋れる人語で話しかけると、クーロンは好戦的な笑みを絶やさず返す。
『お前を喰らいに来た、と言ったらどうする?』
人の言葉ではなくドラゴンの言葉で喋ったことに、ブラックドラゴンは一瞬だけ目を見開く。
『小僧、貴様は我々の言葉を理解し、喋れるのか』
『お仲間さんを、ちょろっとつまみ食いしたからな』
『つまみ食い? なんのことか分からんが、狙いは私ということだな』
問い掛けに頷くと、周囲のグレードラゴン達が不敬だ、人のガキのくせになんと傲慢かと騒ぎ出す。
『鎮まれ。こいつに私へ挑みに来るだけの力が有るのは、直に戦ったお前達にも分かっているだろう』
騒いでいたグレードラゴン達が静まり返る。
ブラックドラゴンから言われた通り、直に戦ったからこそ彼らは実感していた。
あの子供にはあれだけの大口を叩く力があると。
『こいつらに手は出させん、思う存分にやろうではないか』
『別にいいんだぜ、一緒に戦っても。俺の敵じゃないが、肉壁ぐらいにはなるだろう?』
『んなっ!?』
肉壁扱いされたグレードラゴン達が再度激高しようとするが、ブラックドラゴンが一睨みして鎮まる。
『こいつらが貴様の敵じゃないのは確かだが、私を前に随分と舐めた口を利くな小僧』
『余裕だからだよ。こいつらがいても、お前を喰らうのになんら問題は無い』
『そんな安い挑発をしてまで、私の命を取って食いたいのか』
喰うの意味をそう捉えたブラックドラゴンの問い掛けに、クーロンは好戦的な笑みを浮かべ続けるだけ。
それも挑発の一つだと判断したブラックドラゴンは、全身に魔力を纏って全力を出せるようにする。
怒りもあるが、それ以上にそうするべきだと判断したために。
『よかろう。私の全力をもって、思い上がった貴様を葬ってくれる!』
鳴き声と共に放たれた先ほど以上の咆哮。
グレードラゴン達の腰が引けて無意識に距離を取る中、最も近くかつ真正面からそれを受けたクーロンは微動だにせず立ち続け、一瞬で前進を魔力で覆う。
その魔力を見たブラックドラゴンは戦慄する。
ここまでの生涯で唯一心躍った戦いの相手であり、二度と戦わないと誓った相手でもある魔王。
目の前にいる子供から、その魔王と同じ質の魔力が生じたからだ。
『貴様は……魔王? いやしかし、その姿は』
『問答無用!』
ブラックドラゴンの戸惑いなど知ったことかと、クーロンは戦闘を開始した。
*****
喰らった村の連中の知識と記憶から、ここにドラゴンが山のように住んでいるっていうから来てみれば、クソ雑魚なワイバーン共や中途半端なドラゴン共から出迎えを受けた。
がっかりさせられた腹いせにそいつらを蹴散らしていたら、強い気配の奴が来やがった。
散々ぶっ殺して、一体だけつまみ食いした中途半端なドラゴンとは桁違いな強さがあるのは、見れば分かる。
こいつがなんなのかは、魔王や村のジジイの知識にあった。
ドラゴンの中でも五本の指に入るほどの強さを持っていうという、ブラックドラゴンだ。
気まぐれにそいつとクソつまらねぇ問答をして、いざ戦おうとしたら奴は魔王とか呟きやがった。
だが戦いは始まったんだ、余計な問答はもういらねぇ!
ぶっ飛ばして喰らってやる!
魔王技 ――嫉妬の魔力模倣――
中途半端なドラゴンを喰らって得た能力を嫉妬の力で模倣し、背中に魔力の翼を生やして飛び上がり、鼻っ面をぶん殴る。
『ぐっ!? この、力はっ!?』
おいおい、何一発だけで怯んでやがるんだよ。
勝負は始まったばかりだぜっ!
『うらあぁぁぁっ!』
わざわざ中途半端なドラゴンを喰って覚えたドラゴンの言葉で叫び、こっちを向き直した顔面を蹴りつける。
『くっ!? 調子に乗るな!』
おっ、反撃してきたな、そうこなくっちゃ。
雑魚共とは比べ物にならないほどの爪での一閃を、空中で身を翻して避ける。
『くははははっ! 楽しませろよ、黒トカゲ!』
『おのれぇっ!』
ドラゴンの蔑称だっていうトカゲ呼びをしたら、生意気にも怒ってやがる。
だが煽った甲斐があって奴は本気で掛かってきた。
爪と拳がぶつかり合い、どちらも引かない力比べをする。
さすがだ、周りで騒ぐだけのクソ雑魚共とは大違いな力だ。
『ぬうぅぅっ!』
おいおい、力比べで押せないからってそんな怖い顔すんなよ。
せっかくの勝負なんだ、楽しもうぜぇっ!
『らぁっ!』
もう一方の拳で爪を殴って前脚を上へ吹き飛ばし、接近してガラ空きのボディへ拳を叩き込む。
『ぐふっ』
どうだ、図体がデカいから懐に飛び込めばこっちの独壇場だろ。
そのまま全力で数回殴ると、鱗が何枚か割れてブラックドラゴンは反吐を吐き、怯んでいる隙に下顎を蹴り上げて牙を数本吹っ飛ばし、ついでに角も一本へし折ってやる。
『ぐっ、うぅ……』
『なんだ? この程度で終わりか黒トカゲ』
へし折った角を地上へ放り捨てながらそう言ったら、目を真っ赤にして睨んできやがる。
『舐めるなぁっ!』
おぉっ、口からなんか黒い光を吐きやがった。
これがブレスってやつか。
『ふん!』
避けられない事はないが、あえて両手を前に出して魔力の防壁を作って防ぐ。
うおぉぉぉっ、スゲェ威力だな。
気を抜いたら防壁がぶっ壊れて、後ろへ吹っ飛ばされそうだ。
うん、これならちょっとぐらい強化してもよさそうだな。
魔王技 ――憤怒の自己強化――
憤怒の魔王技による強化は、魔法による自己強化とは比べ物にならないほど強力だ。
だからブレスの勢いに負けず、前へ出ることだって出来る。
『おりゃあぁぁっ!』
魔力の防壁を展開したまま前進して、ブレスの中を進む。
『なっ!?』
目を見開くブラックドラゴンのブレスが驚きで少し弱まった。
この程度で弱めてんじゃねぇよ。
『舐めてんのかテメェ!』
そのまま口元まで行き、防壁を解くと同時にブラックドラゴンの目の前へ移動して、眉間を思いっきり殴ってやった。
『ぐおぉぉぉっ……』
鱗が割れただけでなく表皮まで傷ついたから血が噴き出て、それを浴びた。
ちょっとばかり口にも入ったが、なかなかの味だ。
全部喰わずに尻尾でも残して、肉と血を味わうのもいいかもな。
『さあ、もっと楽しませろ!』
『くっそおぉぉっ!』
*****
自棄になったような声を上げて掛かって来たブラックドラゴンとの戦いは、それなりに楽しめたが思ったほど長くは続かなかった。
傷ついて地に落ちたブラックドラゴンに対して、こっちは数ヶ所の掠り傷程度だ。
『そんな、ブラックドラゴン様が』
『負けるなんて……』
周りの雑魚共が煩い中、ブラックドラゴンが顔を上げた。
なんだ? 悪足掻きのブレスでも吐いてくるか?
『最後に聞かせてくれ。姿は違えど、貴様は魔王か?』
んだよ、悪足掻きでもいいから掛かって来いよ。
『当たらずとも遠からずだ』
『そうか……。やはり私の直感は正しかったか。二度と魔王とは戦わぬという誓いは、間違いではなかったのだな』
あぁ? こいつ魔王と戦ったことがあんのか?
あいつの知識は有るが、記憶は無いから分からないぜ。
まあいい、こいつを喰えば分かるか。
『さて、楽しませてもらったし、喰わせてもらおうか』
『させるかっ! 掛かれっ!』
『やめろ、お前達!』
またクソ雑魚共が出しゃばって来やがった。
せっかく気まぐれで生かしといてやってるのに、イラつかせる野郎共だ。
だったら先にぶっ殺したの共々、ブラックドラゴンを喰らう前の前菜にしてやるよ。
魔王技 ――暴食の無限触手喰い――
先端に口のある無数の触手がクソ雑魚共の下へ伸びて喰らい、ぶっ殺して放置しておいた奴らも喰っていく。
『なっ、なんだ……これは……。なんなんだ、お前はっ!?』
『魔王であって、魔王ならざる者ってところかな。そんじゃまっ、喰わせてもらうぜ』
ハッとしたブラックドラゴンへ触手が何本も襲い掛かり、生きたまま喰らっていく。
『ぬぐあぁぁぁっ!』
あぁ、良い悲鳴だ。
これがブラックドラゴンの悲鳴なのか。
喰らうの意味を命を奪われるとしか考えていなかっただけに、悲鳴に込められた絶望感が半端じゃなく強くて、思わず身震いするほど心地良い。
そして流れ込んでくる記憶を知って分かった。
こいつは以前に魔王と戦って引き分けたものの、その内にある潜在能力に恐れをなして、再戦を望まなかったのだと。
潜在能力、即ち魔王技のことを直感的に感じ取っていたのは見事だが、その後が気に入らねぇ。
それを越えるほどの力を欲することなく、せめて死なない程度の力を欲することもなく、ただ命を惜しんで戦いを避けたのが気に入らねぇ。
強い奴と戦うのが望みのくせに、死ぬのは嫌とかふざけてやがる。
だから俺の力に、お前が恐れた魔王の潜在能力で死ぬ破目になるんだよ。
力を欲して力を得ていれば、ひょっとしたら死ななかったかもしれないってのに。
『た、助け……』
みっともなく助けを求めやがって。
テメェなんざ、俺がさらなる力を得るための踏み台になるのがお似合いだよ!
『あばよ、力を欲しなかった偽りの強者』
おっと、普通に食うように尻尾は残しておかねぇとな。
*****
死の山脈からワイバーンとドラゴンが一体残らずいなくなった。
その一報を受けてやって来た国の調査隊が目の当たりにしたのは、地形が変わるほどの戦闘痕と地面に染み込んだ大量の血液。
ここで戦闘があったのは明らかだが、死体の一つどころか骨や肉片の一つすら見つからず、周辺の町や村にドラゴンやワイバーンが持ち込まれた形跡も無い。
あれだけの数がいたのに、突然いなくなった原因が全く分からない調査隊が出した結論は、何か強いものと戦って一斉に逃げたという推測。
まさかたった一人の人物によって、山脈のワイバーンとドラゴンが全滅させられたなど、到底考えられるはずがなかった。