魔王でない魔王、誕生
魔王が生み出して従えている数多の魔族と、勇者とその仲間達。
長きに渡る両者の戦いは魔王城にて最終決戦を迎え、勇者とその仲間達の勝利で終わった。
役目を終えた聖剣は力を失ったものの、魔王によって生み出された魔族は魔王の死に伴って全て消滅し、人々は歓喜に湧き上がる。
だが、これで全てが終わった訳では無かった。
むしろ、これから新たな始まりを迎えるとは誰も気づいていなかった。
「くそっ、忌々しい勇者共め。だがこんな事もあろうと、備えておいて正解だったな」
魔王城に一つの魂が浮かぶ。
この魂は倒された魔王のもので、それには生前の知識と記憶と力の全てが宿っている。
肉体が死に、勇者達が城を去った後で肉体から抜け出したこの魂は、無人となった城内を移動して城の地下へ向かう。
味方以外は誰も知らない地下の一室へ繋がる隠し扉をすり抜けると、そこは研究施設のような大部屋。
ここを利用していた研究員達もまた魔族だったため、既に消滅して誰もいない。
ところが奥の方に巨大な横向きのカプセルがあり、その中では十歳前半から半ばくらいの少年が横たわっていた。
カプセル内を満たす液体の中で微動だにせず、まるで眠っているかのような少年の肌の色は黒く、銀色の髪がある頭には短いながらも角が生えている。
それを見た魔王の思念体は、カプセルの前で微笑んだ。
「くくくっ、やはりな。私の肉体を人工的に複製した存在ならば、消滅していない」
カプセルの中で液体の中にいる少年の正体は、魔王が部下に命じて作らせた自身の複製体。
自身の死によって消滅するのは、魔王の力で生み出された魔族のみという点に着目し、自らの血液や皮膚といったものから作らせた存在だからこそ、消滅せずにカプセルの中で今も生き続けている。
しかしこの複製体は、魂を有していない肉体のみの存在で、入っているカプセルの中でしか生きていられない。
だが魔王にとってこの複製体は、勇者達に敗北した際に乗り移って復活するための体となることだけ。
だからこそ魂が無い状態になるよう作らせ、肉体の死後に知識と記憶と力を有した魂のみがこの世に留まり、肉体から分離できるようにするための仕込みを自身へ施した。
幾多もの失敗の関係で成長が追いつかなかったものの、しばらくは身を潜めて力を溜め、戦力を整えるつもりでいる魔王に取っては些細な事でしかない。
「さあ勇者よ、待っていろ。この肉体で復活し、雌伏の時を経て復讐を果たしてくれよう」
そう意気込んだ魔王は、魂を肉体へ定着させるために別のカプセル型の魔道具の中へ入る。
魔道具が魔王の魂を感知すると、予め溜められていた魔力によって稼働を開始。
後は魂の定着を待てばいいだけなのだが、ここで予想だにしていない事態が発生した。
『警告。魂に対して肉体の容量が足りません』
「なっ、何っ!?」
発せられた警告に魔王は驚愕する。
肉体さえあればそれでいいと考えていた魔王だが、そうではなかった。
知識と記憶と力を伴った魔王の魂はあまりに強大で、まだ成長過程の肉体が受け入れられる容量では無理があった。
そのことは以前に研究させていた部下が伝えていたのだが、魔王は話を聞いていなかった。
しかし、今となってはもう遅い。
計画が狂ったことで、魔王は悔しそうに舌打ちをする。
「ちぃっ。仕方ない、こうなったら一度中断して」
『肉体と魂、双方消滅の危機を感知。緊急回避のため、可能な範囲での継承を開始します。肉体の許容量、及び魂の容量を再計測します』
「なぁっ!?」
再び魔王は驚愕する。
魔道具の製作については部下に丸投げし、報告だけを届けさせていたのだが、この手の事がよく分からない魔王は問題無いならいいと、先の容量の報告同様に報告書や仕様書へ碌に目を通していなかった。
全ては身から出た錆。
せめてしっかり目を通していれば、こうした事態は防げただろう。
「くそっ、どうすればいいんだ!?」
緊急停止のさせ方が分からず、カプセルから出ようとしても出られない。
そうしている間にも魔道具は作動し続ける。
『再計測完了。魂と記憶の移行は容量不足ですが、力と知識は肉体へ移行させることが可能です。よって、魂と記憶を破棄して処理を開始します』
「な」
流れた音声に驚く暇も無く、魔道具によって魔王の魂から力と知識だけが肉体へ継承されだす。
「ぐあぁぁぁっ、や、やめろおぉぉぉっ!」
全てを肉体へ受け入れさせるのではなく、可能な分だけの継承を行う。
それにより魔王の魂には引き裂かれるような激痛が走り、悲鳴を上げる。
勇者達との戦いでも悲鳴を上げなかった魔王だが、痛みだけでなく自分の計画が失敗し、さらには力と知識が失われていくのに伴い、自身の存在と記憶が薄まっていくことに絶望して悲鳴を上げた。
「私はもっと力を得て、勇者共に復讐をするのだ! こんなことで消滅するなど、あっていいはずがない! こんなこと、起きてはならないのだっ!」
どれだけ拒絶しようとも魔道具は止まらず、移行と消滅は進んでいく。
「力……を……」
最後にそう言い残して魔王の魂は消滅した。
力と知識は全て複製体へ移り、その後の処理が進められていく。
『継承の処理を完了。続いて魂の欠損を埋めるため、代わりの魂の作成に入ります』
予め設定されていた手順に則り、魔道具は肉体に魂を与える処理を開始する。
魔王の力の一つ、部下となる魔族を生み出すために使った生命や存在を司る力、色欲。
それを疑似的に模した機能により魂が作られていくが、その際に周囲から怨念や思念を集めたため、魔王が消滅寸前に残した僅かな思念、力への固執と渇望が混入してしまう。
図らずも僅かながら魂に関われた訳だが、そこに魔王の記憶や意思は無い。
全くの別人格として魂は生み出され、肉体へ定着される。
『魂の作成と肉体への定着を確認。試験体666号を開放します』
カプセル内を満たす液体が底にある小さな穴から排出され、液体が無くなってカプセルの蓋が開くと、ずっと閉じられていた目が開き、魔族の証である紅色の瞳が現れる。
こうして、魔王の肉体と力と知識を持った存在は誕生した。
魂が魔王のものでないため、凱旋する勇者が持つ聖剣もその存在を魔王として感知せず、力は失われたまま。
そのため誰も気づかなかった。
魔王に限りなく近い存在が誕生したことにも、それによってどんな未来が待っているのかも。
*****
「ここは……どこだ? 俺は……誰だ?」
頭が混乱している。
一体ここはどこで、俺は誰なんだ。
……分からない、何も覚えていない。
だとすれば、まずやるべきは状況把握だ。
辺りを見たら何か色々な器具が置かれているが、これは魔道具か?
うん? 何故俺はこれが魔道具だと分かる、何故状況把握をすべきだと分かるんだ。
その辺りも含めて、調べてみるべきか。
しかし誰もいないとはいえ、裸は寒いから何か羽織ろう。
入っている魔道具から出て落ちていた衣服や白衣を拾って身に纏い、大きさが合わないから袖や裾を捲っていたら、文字が書かれた紙の束を見つけた。
「これは……」
何故これが文字だと分かる、何故この文字が読める。
とにかく読んでみよう。
これは何かの研究書類か?
うん、うん……はっ?
「魔王の肉体複製器? 俺が入っていた、アレが?」
さっき出てきたカプセルとやらへ目を向け、しばらく眺めた後に書類を読み続ける。
これだけじゃ足りない、他の研究書類はどこだ。
あった……まだ足りない、他にないか、日誌があった。
何冊もの日誌と、膨大な量の研究書類、そして仕様書とやらを読み漁って理解した。
俺は魔王が勇者との戦いに負けた時に備え、新たな肉体になるべく作られた存在なのだと。
そして仕様書に沿って魔道具の稼働記録とやらを調べると、俺が受け継いだのは魔王の力と知識のみ。
魔王の魂そのものや、記憶は一切引き継いでいない。
なるほど、だから知識はあるのに記憶は無いのか。
「つまり魔王は勇者に負けた上、新たな肉体を得るのにも失敗したのか。くっ、くはっ、くはははははははっ!」
滑稽だ、あまりにも滑稽すぎる。
日誌を読むに、魔王は碌に魔道具の知識も無かったし、あの魔道具のことも把握していなかったのだろう。
だから魔道具の稼働を中断させられなかった、だから力と知識だけ奪われて消滅した。
そして俺という、魔王にあらずとも魔王の力を持つ存在が生まれた。
これが笑わずにいられるか。
「はぁーあ、笑わせてくれるぜ魔王さんよ。だがせっかく貰ったこの力と知識は、思う存分使わせてもらうぜ」
生まれた意味なんかどうでもいい。
むしろ失敗してくれたお陰で、俺という存在は生まれることが出来たんだ、その点にだけは感謝してやるよ。
「そもそも、魔王のくせに保険なんか考えるから負けるんだよ」
そんなのを準備する暇があったら、もっと力を得るべきだったな。
勇者やその仲間にすら勝てるだけの、絶対的な力を求めて渇望して手に入れれば、保険なんか必要無い。
そうだ、力だ。力さえあれば勇者だろうがなんだろうが倒せるのに、魔王が求めたのは力じゃなくて保険。
要するに自分の力を信じきれず、力を求めることを諦めたから、保険なんかに走ったんだ。
「だが俺は違う。どこまでも力を求めて渇望して欲して、力を得続けてやる」
魔王の力はここにあるが、俺は魔王じゃない。
だから魔王が求めなかった強力で絶対的な力を手に入れる。
幸い、そのために必要な知識も魔王から受け継いでいる。
本当に魔王サマサマだぜ。
「んじゃまずは、今の力を試してみるか」
力が有っても使いこなせないと意味が無いからな。
*****
力を強く求める魔王であって魔王にあらぬ存在は、魔王城の中にある演習場にて己の力を試す。
その過程で気づく。
魔王の力そのものが知識と魂を持った存在である自分には、知識の基となった魔王ですら知らない、魔王の力の使い道があると。
己の力を全て把握して完全に制御できるようになると、それを試すためにあるものを探し出す。
「おっ、あった」
探していた物があったのは、主を失った玉座の間。
設置されている禍々しい玉座の傍らには、勇者によって倒された後、討伐の証として首を斬り落とされ持ち出された魔王の首無し死体が転がっている。
「お前も知らなかったこの力で、これは有効活用してやるぜ」
そう呟くと、背中から先端に鋭い牙を持つ口がある触手が何本も生えてきて、魔王の死体を貪るように喰いだした。
この口のある触手は、魔王の力の源である七罪の一つ、暴食によって生み出されたもの。
しかも死肉だけでなく、身にまとっている衣服や装備品まで喰らっている。
当然、これにも意味がある。
暴食の力で喰らうと、同じく七罪の強欲の力が生前の肉体が持っていた戦闘技術や戦闘経験や魔法技術を、嫉妬の力が衣服や装備品に宿る効果を、なにもかも全てを奪って色欲の力が自身の力へと変化させる。
一気に大量の力を得たことで今にも力が溢れ出そうになるが、憤怒の力によって押さえ込まれ、怠惰の力で鎮められ、傲慢の力によって体へ馴染ませられていく。
「はははははっ! どうだ、魔王の力はこんな事が出来るんだぞ。お前がこれに気づいていれば、もっと力を得られたっていうのに残念だったな」
彼にとっては、自身が誕生する切っ掛けとなった魔王の死体すら、力を得るための餌としか認識していない。
如何にも魔王らしいが、魂が魔王でない彼は魔王にあらず。
やがて全てを食らい尽くすと、強化された力を実感しつつ、今度は知識を求めて書庫へ向かう。
力とは身体的なものだけではなく、知力も力の文字が付く以上は力の一端という解釈の下、山のような蔵書が収められている書庫へ行くと、再び触手を伸ばして蔵書という蔵書を喰らわせる。
内容は嫉妬の力によって一瞬で読み取られ、色欲の力で自身の知識として蓄えられていく。
大量の知識を得ることによって生じる頭痛も、先ほどと同じく憤怒と怠惰と傲慢の合わせ技で発生せず、あっという間に本は全て喰い尽くされた。
「もっと、もっとだ……」
さらなる力を得るため城内を巡る。
何かしら効果がありそうな物なら、装飾品だろうと武器だろうと防具だろうと何でも触手で喰らい、自身の力へと変換していく。
途中で自分に合いそうな衣服を見つけると、サイズが合わずに袖と裾を捲った動き辛い衣服を脱ぎ捨て、そちらへ着替える。
宝物庫にあった、金銭を除く大量の道具や自分を生み出した魔道具すらも喰らって力へと変えていく。
そうして力にできそうな物を全て喰い尽くすと、城の外へ出ることにした。
「ここにもう用はねぇ」
そう言い残し、何でも入れられる魔法の袋を喰らって得た無限収納能力にありったけの金を入れ、生命や存在に干渉できる色欲の力で外見を黒の髪と瞳をした人間に変え、ただの布のマントを羽織って魔王城を後にする。
目的は無い。
ただ好き勝手に生きて、力を得続けるためだけに外へ出たことで、魔王ではないが魔王以上の存在が野に放たれることになった。
それを知る者は誰一人としていない。
魔王に勝利したと歓喜する人類が妙な異変に気付くのは、魔王城へやってきた調査隊が魔王の死体どころか、あらゆる物がなくなっていた城内を目の当たりにした時だった。
しかしそれだけでかの存在に辿り着くはずがなく、魔王討伐を知った悪党が根こそぎ奪ったのだろうと判断された。
事の真実を一切知らずに。